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アドレス(URL): http://worksk.d.dooo.jp/index.htm
居住地: Japan

自己紹介文

 ワークスKは私、栗生弘太郎(くりう・こうたろう)が経営する鉄道車両製造を主眼とした事業所です。粟生弘太郎ではありませんm<_ _>m
 生産品の主力はアメリカ型で、HOゲージではバーリントン・ノーザン鉄道BN向け機関車と客貨車です。ほとんどがアサーン社などから購入したプラスチック製品に加工(キットバッシュ)を施して出荷していますが、その一方でブラス製品をそのまま納入するという安易な商売(コレクション)も行なっています。
 また、BNが1970年から95年までという限られた年代にしか存在しなかったことから発生するフラストレーションを解消する目的で、それ以外の時代や鉄道についてはOゲージを手掛けていて、興味の対象はアメリカ型全般となっています。
 
 さて、モデル・トレインに興味を持ち始めたのは小学校時代の1960年前後で、乾電池式のブリキ製玩具から入りました。その後、お決まりのOゲージ3線式EB58を経てHOゲージ(1/80、16.5mm)に移行し、受験勉強の長い雌伏の後、本格的に没頭し始めたのは1970年(昭和45年)です。当時の工場は金沢市にあって、旧型国電の大御所である西尾博保氏の技術指導の下、専らペーパーで70系スカ電6連、ジュラ電4連、そして京急や京王、さらに故郷である上田丸子電鉄真田線の車両などを手掛けました。こんな中で、荒崎良徳氏の先例を模倣したカント付き組立てレイアウトをTMSの1971年8月号に発表しています。ちなみに、その39年目の様子はTransPacific 2010-5-31をご覧ください。
 
 その後、工場を大阪府枚方市に移し、同じくペーパーで京阪500系2連を完成【TransPacific 2008-10-25】させたものの、1/80のスケールと、16.5mmのゲージの間にある、ぬぐうことの出来ないジレンマから、スイス風のフリーランス(TMS 1987年10月号参照)を手掛けたところで、ベモ・ブームに遭遇してHOmに傾いた頃もありました。
 しかし、エンターテイメントとソフト両ディビジョンの興隆があって、車両製造ディビジョンは開店休業が長く続くこととなったのです。
 
 それが1993年の訪米で、アメリカ型に目覚めてしまいました。この時の感激は、トレイン誌1993年9、10月号、1994年9、12月号に発表しています。モデルの方も同誌上で披露したものだけでも1996年1月号にE9Aを2両、1999年7月号にSD40-2を7両、同2000年1月号にACFセンターフロー・カバードホッパー14両などとなっています。
 
 一応クラブはNAMRAC(North American Model RAilroaders Club in Japan)に所属しているものの、完全なユーレイ・メンバーです。OゲージではJORC関西に加えていただきました。京都隧道倶楽部の末席を汚してもいます。
 また同時に、インターネットのメールマガジンとして「アメリカ型鉄道模型情報」を発行していましたが、興味はアメリカに留まらず、現在ではTransPasific Railroad(太平洋横断鉄道?)なる名前でブログを中心に展開しています。
 
 工場所在地は京都市郊外の、石清水八幡宮で有名な八幡市です。50歳を迎えたのを機にモデルに本腰を入れようと、BNグリーンのスプレー缶を特注した途端に本業での単身赴任、JAM大阪大会への参加、琵琶湖のあたりでの紆余曲折、家庭環境の変化、さらには還暦を迎えてリタイアと続いて、ブログの書き込みは増えているものの、モデリングの方は‥‥‥まあ、ボチボチでんなあ(^^;
 
 ネット上での活動の経緯などはこちらをご覧ください。


水色カメラ2 趣味を含めて日常の徒然です

 
我が家の年賀状傑作選  プリントゴッコに血道を上げた時代もありました