J.G.ブリル社の歴史
melma back number Vol.77, Nov. 23, 2001, re-edit July 10, 2010
前回の11月21日号Vol.76の書き出しには戸惑われた方が多かったことでしょう。何の前触れもなく100年以上も前の文章が始まったわけで、お詫びしなければなりません。事前に、まずアメリカにおける市街鉄道の歴史を概説しておくべきでした。
昔々の話で、1832年に馬車鉄道、1859年に蒸気軌道、1873年にケーブルカー、1888年に電気軌道がそれぞれ始まっています。ケーブルカーはサンフランシスコに現存する方式で、一時は全米主要都市を席巻するほどの交通機関だったなどとは、ちょっと想像しがたいことです。電車のピークはインタアーバンを含めて1920年頃で、その後急激にバスと自動車にシェアを侵食され、1930年代に入り、例のPCCカーによる巻き返しに出るわけです。【画像はクリックで拡大します】
J. G. Brill Companyについては、資料を探索していくと、1868年にJohn G. Brillと息子の G. Martin Brillにより創立された当初の名称がPhiladelphia商会だったという記述もありました。最初は馬車、次にケーブルカーを製造し、1890年代の電気市街鉄道の発達につれてこの業界の最大手となった様でPhiladelphiaに加えミズーリ州St. Louis、オハイオ州Cleveland、ニュージャージー州 Elizabeth、マサチューセッツ州Springfield、イリノイ州Danvilleに工場を持ち、また1912年にはフランスのParisに進出しています。
ブリル社は車体と台車を得意として、加えてモーター、制御器およびその他の電気装置も扱っていたようです。
車体では1900年代初頭のコンバーチブルカーとセミ・コンバーチブルカーが特筆すべき開発だとあります。これらはクローズド・カーの一体となった腰板と窓枠をスライドさせて天井内に収納しオープン・カーに転換する機構で、後述の資料4に機構が載っています。
有名なブリルMCB台車の型式が“27MCB2”などとある中で、“MCB”は皆さんご存じの様に“Master Car Builders”の頭文字なのですが、その前につく“27”という数字をブリルは高速電車用として使っていたそうです。その理由は判らないのですが、27E1等という型式もありました。MCBの後の“1”から“4”までの数字は具体的には枕バネの組数を表し、27MCB2Xの“X”は“Xtra”つまり“extra”を意味していて、「2X」は1と2の間のクラスなんだそうです。そしてブリルがMCB台車を製造したのは1910年頃から1920年代後半にかけてだといいます。
1920年代に始まったモータリゼーションに対抗して、ブリルが投入したMaster Unitカーは大いに成功した様です。PCCカーが1936年に市場に現れたときには独自に“Brilliner”という流線型車両を開発したものの台車が劣っていたために不評で、Pullman-Standard社やSt. Louis Car社に遙かに先立つ1941年に電車製造から撤退し、1956年には会社が消滅ということです。
BrillinerおよびMaster Unit Carについての詳細は判りません。参考資料5のP88にBrilliner、また資料6のP38にBullet Carの文字が見えます。
というわけで、まだまだ私にとっては謎だらけのブリルなんですが、実は"History of the J.G. Brill Company"という本が発行されています。既にお持ちの方がおられましたら、ここら辺りをお教えいただきたく、BBS掲示板への御発言、または御投稿をお待ちしております。
参考資料
1 鉄道史資料保存会会報:
鉄道史料 第28号「Brill台車とその特色」西敏夫
2 鉄道ジャーナル社:鉄道ジャーナル1975年2月号「台車とわたし」高田隆雄
3 朝日新聞社「世界の鉄道'83 & '64」
4 Newton K. Gregg出版:「Train Shed Cyclopedia NO. 25」
5 Central Electric Railfans' Association会報119
「Remember When Trolley Wires Spanned the Country」
6 Kalmbach出版:「Traction Guidebook for Model Railroaders」
■その後、本文中で紹介したDebra Brill著"History of the J.G. Brill Company"2001年刊を購入しました。技術的な解説はありませんが、写真だけ見ていても会社経営の流れがよく判る様な気がします。Master UnitカーやBrillinerについても写真と解説があります。なお、広告と側構え断面図は上述資料5から転載しました。また、ウキペディア日本語版にも若干の解説があります。初期の都市交通についてはWURE氏のサイトをご覧ください。2010-07-12
■世の中にはトロリー式の船!なんてものがあるんですね。懇意にさせていただいている中村卓之さんからベルリン郊外で見たとメールを頂戴しました。ご興味をお持ちの方はHPを御訪問ください。
■カホンパスの写真満載のサイトを発見しました。画像ファイルが82~224kBもあるので少々重たいものの、俯瞰を中心とした広がりのある景観は、今まで印刷物で見ていたイメージとはガラリと異なって、空気に透明感がある様な気がします。媒体がディスプレーということもあるでしょうが、私は感激しました。SP塗装のままのSD40-2のアップ写真に、釘付けとなられる御仁もおられることでしょう。撮影者は南那轟さんという方で、全部で33枚もありました。【リンク先を変更しました。2010-07-10】
■今回のアンケートは皆さんの居住地についてです。首都圏にお住まいの方が多いこととは思いますが、意外や意外、ご近所に同好の士がおられるかも知れません。というわけで、以下の地方の中から現在の貴兄のご住所を一つ選んで、アドレス部分のクリックをお願いいたします。
締切は4日後の11月27日22時とします。
①北海道、②東北、③関東、④中部、⑤近畿、⑥中国、⑦四国、⑧九州、⑨北米、⑩その他、◎結果はVol.79です。
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