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2006/01/24

国鉄技師訪米記4:シカゴの2週間(続)

D51形式機関車の図面を見せて、「動軸をローラーベアリングにすると
melma! Back Number 2006/01/23 Vol.166 total 269 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 4

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

2 シカゴの2週間

2-4 英語の失敗

 米国に着いて一番の問題は予期していたとおり言葉、特に発音の困難さであった。中でも大事なことはアクセントの位置とその場所の発音で、アクセントのないところの発音は少しくらいは間違えても相手に分かるが、もしアクセントのあるところを間違えたら決して通じないし、その場所の発音が悪かったら結果は同じである。
 シャーマン・ホテルは25階のビル、私の室は12階で、もちろんエレベーターを利用しなければならない。エレベーターに乗ると運転手は、「Floor Please(何階ですか?)」と問う。「Twelve(12階)」と答えると、「Ten?(10階ですか?)」と聞き返すので、「ノー? トエルブ」と言えば、またも「Ten?」と聞き直すのでいささか不愉快気に、室の鍵を見せると、その鍵には1244(12階の44号)とあるのを見て「オオ! トウ“ア”ルブ」と“ア”にアクセントをつけて12階で止めてくれる。

 口惜しいやら恥ずかしいやらで一寸くさったが、その後、大きな声で“ア”にアクセントをつけて「トウ“ア”ルブ」と言えば「サンキュー サー」と一度で分かったらしい。
 私のTwelveのTwの前の方にアクセントをつけたのでTにアクセントのある数字はTenしかないし、Tenにしては後ろの方にくっついたlveの発音がおかしいので「テン?」と聞き返したのであろう。「テン」とも「トウ“ア”ルブ」ともつかない妙な発音があったためにまごついたのであることが分かり、その後、米語の発音に慣れることと、練習することに努めた。

 その後覚えた発音の主なものは、
 Phenol phtalainフェノールフタレン)は“”ェノ“”レン
 Solvility(ソルビルティ 溶解度)はサイ“ボ”リティー
 Little(リトル 小さい)は“”ル
 Twenty(トウエンティ 20)はト“”ニー
 Water(オーター 水)はウ“”ラー
 Hockey(ホッケー)は“”キー
 Philadelphia(フィラデルフィア)はフル“”ーフィア
 Ion(イオン)は“”イアン
 Iron(アイアン 鉄)は“”イラン
 Vitamin(ヴィタミン)は“ヴァ”イタミン
 Diesel(ディーゼル)は“”ィーソ
等、米語(英語ではない)の難しさは非常なもので、言葉の中に入っているアクセントのないTを発音しないのもこの困難を倍加させている。

 最初に会った人には当然、名前を伝えねばならない。口頭で述べたり、名刺を出したり、臨機応変に変えたが、名刺にYOSHIKIYO FUKUSHIMAとあるのを見て、「なんと発音する? Pronounciate?」と何回も聞かれたのであった。
 私はヘボン式ローマ字がなぜに米国人に分からないのであろうかと疑問を持ったのだが、その後、質問の内容が「どこにアクセントがあるのか?」“フ”クシマか、フク“シ”マかという意味と分かった。
「“フ”クシマでもフク“シ”マでもいずれでもかまいません。同じです。しかし日本ではアクセントなしにフクシマと呼びます」と説明すると、困ったような顔をして、しかも、真面目な顔で何遍もアクセントつけずに「フクシマ、フクシマ」と言いにくそうに練習する。氏名も英語と同様にアクセントが最大の重要点なのである。
 名刺を出さずに氏名を相手に判らせることは容易でない。
「あなたの名前は?」、「フクシマ」
 この一回の応答だけで覚えてくれたことは先ずないといってよいと思う。数回繰り返しても通じない場合があった。それから米人と米人とがお互いに氏名を言って挨拶するのを見ていると、度々氏名の後にスペリング(つづり)を付け加えているのを発見したので、それを真似てその後は、
「あなたの名前は?」、「マイ ネーム イズ フクシマ。エフユー、ケーユー、エスエッチアイ、エムエー」

 この方法は確かに成功し、たいてい一回で判ってくれた。
 ある日、アイスクリームを食べたくなったので、ドラッグストアに行き、
「アイスクリームをください」
「コーンですかサンドウィッチですか?」
「いやアイスクリームが欲しい」
「コーンかサンドウィッチか?」
 何遍繰り返しても同じ応答であった。「コーン」とはcorn玉蜀黍(トウモロコシ)またはcone円錐形の意味だし、「アイスクリームをくれ」というのに「玉蜀黍ですかサンドウィッチですか」とは随分とぼけた店員もいるものかなと呆れもしたし、憤慨もした。しかし目をつぶって「コーン」と言うと、やっとのことでアイスクリームが食べられた。実はアイスクリームには2種あって、一つは円錐形の入れ物に山盛りにしたもので、他はアイスクリームの上にチョコレートその他を掛けた、いわゆる「サンデー」であった。
 店員はアイスクリームを求める客が来たので、「円錐形の入れ物にしますか、それともサンデーにしますか?」と聞いたのだ。所が客の方は「そうではない、アイスクリームを買いたい」との一点張り、物分かりの悪い客が入ってきた、困った人だとさだめし弱ったのであったろう。「サンデー」が「サンドウィッチ」に聞こえたのも、今考えても不可解なことの一つである。

 こんなことは失敗してみなければ到底覚えられることではないかも知れない。
 「ドラッグストア」とはDrug storeと書き、直訳すれば薬屋さんになる。米国では夕方5時過ぎると大抵の店は閉めてしまい、日曜日は休業している。しかし薬屋だけは人命との密接な関係から夜遅くまで、日曜日も一日中店を開いていた。その店にいつの間にか一般の日用品雑貨を売るようになり、最近では一部のドラッグストアで酒を売り出したのがひどく当たって大儲けをしたらしく、酒類を販売するこの種の店が急激に増加しているそうである。
 あまり上等の品物は売ってはいないが大抵の日曜雑貨はドラッグストアで間に合う。

2-5 食事

「ホテル住まいをしても、食事だけは外で済ませなさい」とは、日本出発に際して経験者から異口同音に出た注意であった。事実ホテルの食堂で3ドルぐらいかかるものは、外のキャフェテリアCafeterire【Cafeteria?】では1ドルそこそこである。キャフェテリアまたはワルグリーンWalgreenと表示された店には、料理が何十種もずらりと並んでいて、お客は自分でお盆を持ってナイフとフォークとスプン【原文のまま】を揃え、好きな献立を選んでお盆に載せながら歩いて行く。最初のところはジュース、その次は肉、魚、野菜、菓子、パン、コーヒーその他の飲み物の順序、最後に計算係に金を払う。

DSCF2242  8月21日の一例を計算紙によって示すと図の通り。すなわち肉62セント、ポテト8セント、パン5セント、ジュース13セント、パイ16セント。これに税金が2セントで計1ドル6セント(380円)を払えば1食として十分な量がとれる。
 こんなところで食べている間は別に苦労もなく、たいした不便は感ぜられないが、ホテルの食堂その他、白いテーブルクロースの掛かっているところへ入るとボーイがメニューを持ってきて、「何になさいますか?」と尋ねる。
 見るがさっぱりどれがおいしいのやら、どんな味なのか分からぬので閉口する。も少し食事の勉強をしておけばよかったと悔やんでみたところでどうにもならない。ざっくばらんに一緒の人に、「米国の食物の種類があまりにも多すぎ、どれが良いか私には分かりませんから、今日の料理の中でおいしいものを選んで下さい」とあっさり降参すると、必ず親切に教えてくれるので、以後専らこの手をとることにした。

 8月19日(土)の夕食に、ナルコ外国部のワグラーさん夫妻の招待をうけ、シカゴのミシガン湖畔のきれいなグリルに出かけたとき、例のごとく私が、「一番おいしいものを……」と言えば、「ビフテキは好きですか?」と聞くので、「好き」と答える。
 するとまた、「Big(大)がよいかSmall(小)がよいか?」と尋ねる。米国では何事も遠慮はしてはならぬと聞いていたし、それにその日は朝食が遅く、昼食を抜いていたのでいささか腹が減っていたし、遠慮なしに、「Big」と答えたのが原因で、出されたビフテキの大きさが何と長さ13インチ(33cm:後学のため、持っていた尺で測定したもの)、幅6インチ(15cm)で、厚さも相当あり、ワグラー夫人は私の顔を見て笑い出す始末。見ただけでガッカリ、一生懸命に食べたが60%くらいをやっと処分、ワグラー氏と夫人とは「助けてあげようか」と言う。もちろん頼む。
 聞けばBigは2人または3人で食べるもので、1人で処分する人は稀だそうである。
 その後はあまりこんな失敗はせずに済んだが、メニューの内容が分からずに当惑したことは縷々あった。

 米国人は総体的にいって、日本人の様に遠慮深く物事を正直に述べないのとは反対に、相当ズケズケものを言う。例えば「あなたは腹が減っていますか?」と他人の家で尋ねられたときに、大抵の日本人はそうであっても、「いえ」と言うか、精々「そんなに減っていません」と答えるくらいであろう。もしこんな答えを英語に直訳して発していては恐らく食事にはありつけない。
「あなたは酒を飲みますか?」と聞かれたとき、「私は飲みません」と一度言えば飲まないで済むし、酒の嫌いな人にはまことに都合がよい。日本人の様に「まあそう言わずに、一杯如何です。そう遠慮なさらずとも……」と強要されることはない。
 味もない、風情もないと言ってしまえばそれまでであるが、無理矢理に飲めもしない酒を強要されるよりどれだけ気持ちがよいかしれない。
 米国の土を踏んだ以上、「あなたはお腹が空いていますか?」、「酒を飲みますか?」、「眠いですか?」と尋ねられたとき、yesと言いたい気持ちをそのまま口に出せるだけの度胸を付けることが必要だし、それが当然だと考える様にならねばならない。米国人に言わせれば、「遠慮」とは、時間の浪費以外の何ものでもないということになる。

2-6 ワグラーさんの家庭

 シカゴの生活も1週間ばかり経って少し慣れてきた頃を見計らい、ワグラー氏に、「シャーマン・ホテルは1日に6ドル以上もかかるし、また騒々しいから、もう少し静かで安いホテルを探してもらいたい」と頼む。自分で探しても別に大して難しいことではないけれど、ここを世話してくれたのがワグラーさんであったので、出るには一応意見をうかがった方がよいと思って相談したところ、氏は「もし君がよければ、自分の家の2階へ来たらどうか?」と言われるので、遠慮無くおじゃまする。

 それはもちろん、経済的に有利な点もあったが、米国に来たからにはやはり米国人の家庭の空気を実際にその人達と住居を同じにして吸いたかったからである。ワグラーさんの家庭は、夫人と8歳、6歳の令嬢の4人家族。氏自身熱心な新教徒で、酒も煙草もやらない。日課は7時起床、朝食は8時、食事の前に一同神に感謝し、恵みを祈る。そして合掌。食事はオートミール、卵、ベーコンとコーヒー。子供等にはコーヒーを飲ませない。ワグラー氏もミルクばかりで、コーヒーは夫人と私だけであった。

 8時半自動車で出勤、その後の3時間半は目の回る様な忙しさ、外国部長のファルキンバーク氏が不在のためもあったかもしれない。昼は簡易食堂またはクラブで簡単な食事を済ませ、1時から4時間ばかり、寸暇ない仕事振りである。16時50分退社、帰宅は17時10分となる。通勤の自動車は近所のナルコ会社員3名とグループを作り、交互に各自の自動車を使っていた。ワグラーさんの自動車は4日に1回会社まで行くわけで、そのときは3人の友達を乗せて行き、その他の3日は友人の自動車に順次乗せてもらうことになる。

 18時夕食、食事の前のお祈りと合掌は朝と同じ。食後にワグラーさんが聖書の一節を子供等に読んで聞かせる。夜は一家の団欒。
 子供の躾は実に厳格で、食事中、大きな声を出すと、Be quiet!(静かにしなさい)と叱られるし、もじもじするとSit still(じっとしていなさい)とおどされる。子供は行儀が良く可愛らしく、私になついて私の室に入って来たがるが、父親におこられるのでもじもじしている。も少しのんびり育ててやったらと思うくらいであった。

 日曜日は必ず教会へ行き、土曜日は家族一同と愉快に過ごす。8月19日の土曜日にはご家族と一緒にシカゴの博覧会に行き、米国の歴史のページェントと水上スキーWater skiの曲芸を見たのであった。ページェントは米国が独立せんとした時代の苦心と、独立後の米国、特にシカゴの発展に対する努力を劇の形にして良く表現していた。一幕毎に拍手が湧く。祖先の業績に対する感謝と感激を表すものであろう。水上スキーの曲芸は見事なもので、5人のスマートな海水着の女性の目の覚める様な滑り方も綺麗だったが、スキーを全部取り去り、足の裏と水面の運動による浮力だけで水上を走る姿を見せられては、唯々驚嘆の他はなかった。
 会場にはシカゴの市民はもちろん、遠くはニューヨーク付近からもいっぱいに詰めかけていた。土曜、日曜のウィークエンドを家族と共に団欒の中に過ごすたくさんの平和そうな老若男女の姿に接すると、米国人の家庭内の暖かさを感じ取ることが出来る様な気がした。

2-7 街の信号機

 シカゴの街の中には、日本の主要都市と同じように信号機がついていて、赤、橙、緑の3色を示し、その現示の意味は全く日本と同じだが、その相手はただ自動車のみで、人には無関係らしい。信号が赤であっても、もし自動車が通っていなければ平気で通るし、巡査がそれを見ても、日本の様に「おい! コラッ!」とは言わずに黙って見過ごしている。
 自動車と自動車では危険だが、人間と人間とが交差しても別に危険はないわけだから、この方がはるかに合理的の様に思われる。
 ある経験者の曰く、「道路横断の時は西部の都市を除いてどこの都市でも信号機の現示に従わなくてもよろしいが、もし確実に対岸へ行きたいと思ったら婦人のそばを離れないで横断しなさい。米国では婦人が絶対に優先ですから」と。その後は混んだ道路を横断するときは努めて、同一方向へ行く婦人の傍らについて歩くことにした。これは成功であった。

2-8 ロックアイランド機関区(シカゴ)

 8月21日ロックアイランド機関区を見に行く。この時は別に機関区が目的ではなく、同所のロックアイランド研究所に調べたいものがあったので、セドウィックさんという以前この所長をやっていた人に案内していただいたのであった。
 金属の表面の腐食について調べた後、同研究所で偏光応力測定器、風化度測定器、スペクトル利用分析器等々の珍しい機器がずらりと並んでいるのを見ると、営業キロ1,700km、従事員25,000人の小鉄道でよくもこのように内容を整えたものと感心させられる。

 この研究所の隣に、日本流にいう機関区と検車区とが並び、シカゴの終端駅としての作業を完遂している。
 この機関区は古い古い蒸気機関庫で、中にある機関車も決して上等とはいえない。ロッド回りには一ぱい油かすがついているし、数台の缶からは蒸気が漏れている。入換機関車のボックスからは物凄い金属的な不愉快な音を出していた。ただここで気がついたことはローラーベアリングの利用と、自動列車制御装置の設備で、本線用の機関車の動軸には例外なしにテイムケンTimkenのローラーベアリングを用い、長距離運転に都合良く設計されているし、自動列車制御装置をつけて事故を防止している。

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 次の日、テイムケン・ローラーベアリング会社へ行き、種々検討した後に、国鉄で使用しているD51形式機関車の図面を見せて、「動軸をローラーベアリングにすると、どの位かかりますか?」と尋ねると、図面をしきりと見ながら、1台分は「施工両数にもよりますが、大体3,500ドル(130万円)になるでしょう」という。
 効果はもちろんあるであろうが、余りにも高価なのにはびっくりする。しかし3年ないし5年の間度々給油するだけで、修理を全然必要としないで済む点は大きな魅力に違いない。
 同行のセドウィックさんの自動車に乗せてもらい、帰途につく。氏はしきりとローラーベアリングを薦める。
「福島さん、あなたの鉄道ではローラーベアリングを使っていますか」
「客車、電車、電気機関車と、蒸気機関車のテンダーに使用しています」
「蒸気機関車の動軸にはなぜ使わないのですか」、「信頼性がありません」
「テイムケン会社にしなさい」、「高価です」
「高価? なぜ?」、「3,500ドルは高すぎます」
「しかし人件費が節約できますよ」
 その影響が米国産業に対しては日本のそれよりはるかに大きなものになることを発見したのは、それから間のなくであった。「人件費の節約」こそ鉄道のみならず全産業の経営合理化上、最も重要なことなのである。

「ワルグリーンズWalgreens」は今も存続するドラッグストア・チェーン。ただし、名前の最後に「s」が付くか付かないかはよく判りません。本文中は原文通り無しとしています。
 ロックアイランド鉄道の蒸機は真にローラーベアリング付か、という話がnortherns484氏のブログにあります。2008-06-26

>>【シカゴの2週間(続々)

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