国鉄技師訪米記5:シカゴの2週間(続々)
melma! back issue 2006-01-27 Vol.167 total 269 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 5
このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。
2 シカゴの2週間
2-9 シカゴ周辺の列車
シカゴで過ごした滞米最初の2週間は、通勤列車の他には汽車に乗らなかっただけに、踏切で見る列車が珍しく、止められた自動車の中から眺める汽車が楽しみになり、機関車の形式と牽引している両数を数えては手帳に書き留めていた。そのメモを拾ってみよう。
1. | ディーゼル電機 | 1-C-C-1 | 2両で客車 | 15両 |
2. | 〃 | 〃 | 1両で | 3両 |
3. | 〃 | 〃 | 1両で | 6両 |
4. | 〃 | C-C | 3両で貨車 | 102両 |
5. | 〃 | 〃 | 3両で | 87両 |
6. | 〃 | 〃 | 1両で | 57両 |
7. | 蒸気機関車 | 2-C-1テンダ | 1両で客車 | 8両 |
きりがないのでこの辺で止めておくが、これで分かる様にシカゴ付近の平坦区間においてさえディーゼル電気機関車1両の受け持ち客車は6両に過ぎない。蒸気機関車も大体同じで、国鉄に例を取ってみればちょうどC59かC62形式の機関車が客車5両を牽いて東海道、山陽線を走っている様なものになろう。これなら加速は高いし、運転も至極楽に違いない。
飛行機とバス、トラックの挟み撃ちに会い、旅客のサービス改善とスピードアップに苦心するし、貨物列車では輸送費を下げるために、大単位輸送を指針としている。大単位にすると乗務員が少なくなるばかりでなく、列車回数の減少によって燃料の節約にもなり、また駅ヤード関係の人手も省ける。最近はディーゼルの4ユニットもあるらしく、ますます1個列車の重量は大きくなりつつある。
これに対して旅客列車は、列車単位の増大ではなく、列車速度の向上と車内のサービス改善に力を入れている。このために客車の数に対して機関車の連結両数を増加せしめることが絶対に必要なのである。
貨車の長さは平均して13mであるらしい。100両牽けば1,300mの貨物列車となる。踏切を毎時20km/hくらいの速度で通過すると、約4分通行を止めるわけで、その間に道路上を自動車が100台以上も数珠繋ぎにされる姿は日本では想像もつかない光景であろう。
シカゴの街には鉄道が蜘蛛の巣のごとく、放射状とループ状に設けられている。都心はもちろん立体交差になっているが、都心を離れると道路と平面交差しているところが多いし、ときには市内電車とさえ平面で交差する。低い速度で走る長大な貨物列車は路面交通の大きなガンに違いない。
2-10 マーシャルフィールド百貨店
シカゴの街の中心にマーシャルフィールドという大百貨店がある。地上9階、地下1階、中の整頓具合と品物の豊富なのには目を見張らされる。8月25日にこれから先の旅行に必要なスーツケースを買うため、中を一巡した後、その売り場に行くが、女物だけで男の使う様なものがない。
「男用はどこになるのか?」と店員に尋ねると、
「来る所が間違っている。外を出てみなさい」と言う。
「自分は有名なこの百貨店で買いたいのだ」と再度説明すると、
「外に、男のものを売る店がある」
同じ説明にいささか当惑したが、仕方なく一旦店外に出れば、別に小さな建物が裏通りにあって、「男物売場、マーシャルフィールド」と書いてある。
表通りの9階建ての立派な建物は婦人用と子供用のものばかりで、「男物」売り場はその裏のこぢんまりとした店になっている。レディーファーストはこんなところにも出ていた。
マーシャルフィールド店ばかりでなく、米国では男子用より婦人用の方がはるかに売れるし、婦人用の方がたくさん並んでいた。
1913年の同百貨店(絵葉書を引用)。1902年完成のState Street?に面した12階建てで本文とは整合しない。シカゴ市内には複数の店舗が併存したのかもしれない。
後日、インヂアナポリスにおいてウィンタースタイン夫妻の晩餐に招ばれて、米国の印象等を尋ねられ、最後に「不愉快な思い出は?」と訊かれたので、自分としてはユーモアを混えたつもりで、
「店では婦人用が80%に対し、男子用は20%しかない。日本では50%です」と言えば、ご主人は、
「自分は日本に住みたい」と真剣な顔。婦人が少し口をゆがめ、
「婦人が全米の金の80%を支配Controlしているから、80%のものを買うのです」と私に説明すると、すかさず御主人は、
「いや違う。80%をコントロールしているのは男子であって、婦人はただ消費Spendしているだけです」と言う。
その後を夫人が「Yes, control」、ご主人は「No, spend」と言い合い、因を作った私は非常に当惑したことであった。金を支配しているのが男子側にあるか、婦人側にあるかという点では全く意見を異にするが、婦人が80%を消費し、男子は20%に過ぎないという点は完全に一致している様だ。8対2という比率が正しいか否かは分からないが、しかし婦人物の方が男子のものより遥かに多く売られていることは事実である。
2-11 日本語を忘れていく日本人
一世は日本人であり、二世三世は米国に籍があり他の白人と区別されない米国人だと思っていたが、二世三世の人たちも「人種Race」となるとJapaneseとされるそうである。
政府機関に出す日本式に言う履歴書には「Race」の欄があり、米国人(というよりも世界人)を分類して、White、Japanese、Chinese、Blackとするという。三世四世となってもこの関係は同じかもしれない。しかし二世の人達にとっては大抵が日本語より英語の方が話し易いらしい。三世に至っては日本語を喋る人は皆無といっても良いくらいである。家庭内でも一世と一世とは日本語を主体にしているが、二世と二世、または三世と三世とではほとんど英語で話している。一世と二世と話しするときには英語と日本語を交ぜて使っている。
支那人は、彼等同士では二世であろうと三世であろうと支那語を主体にする人が多いという。決して母国語を忘れないのである。日本語が英語に比較してあまりにも困難なために、どうしても英語を主体とする様になるのは無理もない。
一世と二世の人が日本語とも英語ともつかない言葉を使うのに度々当面した。例えば「決していたしません」を「Neverしません」といってみたり、三世の子どもが「Give me ダッコ」(恐らく「ダッコしてちょうだい」)というのを聞いた。
一世の時代から二世の時代に移っていったなら、米国の日本人で日本語を満足に話せる人は極めて少数になってしまうであろう。日本からたくさんの演芸人、例えば勝太郎や虎三が米国へ行き、大歓迎を受けたのであったが、その相手は大部分日本人一世であって、二世の人々にとってはこれらの芸人は決して歓迎する芸術家の範疇に入るものではないらしい。日本語が難解だということ以外に、古来の日本演芸に対するセンスが完全に違ってきているからである。
■著者がシカゴの踏切で観察した記述の中で、ディーゼル機の軸配置である1-C-C-1とC-Cには疑問があります。この時期を考えると、前者が旅客用のEユニットやPAで、A1A-A1A、後者が貨物用のFユニットかFAで、B-Bの見誤りだと思われます。ただ貨物列車を旅客用が牽いていた可能性はあります。1950年といえばフードユニット・タイプは、GP7が49年10月に登場したばかり、SD7は52年からです。
表の「ディーゼル電機」は原文では「ディーゼル電気機関車」です。
【追記1】マーシャルフィールドはシカゴの代表的な百貨店だった様です(Marshall Field's Wikipedia-English)。マーシャルフィールズとも書かれます。2008-06-26 鉄道ターミナル型で、郊外大駐車場型のシアーズに取って代わられたという解説を見付けました(「永井孝尚の写真ブログ 2014-06-16」)。クレイトン・クリステンセンが提起した「イノベーションのジレンマ」の事例となっています。2018-07-28
>>【シカゴよりニューヨークへ】
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