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2006/02/06

国鉄技師訪米記11:ロサンゼルスの憶い出

melma! back issue 2006/02/05 Vol.173 total 272 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 11

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

16 ロサンゼルスの憶い出

 グランドキャニオンから夜行でロサンゼルスに向かう。この大公園へのサンタフェSanta Fe鉄道の列車は1日1往復、それも夜行である。あとは同じ鉄道経営のバスがウィリアムスから来ているだけだ。観光客は前年より10%増しだが、その大部分は自家用車とバスで、列車利用は24%も激減したとのこと。鉄道会社が自衛上、バス営業をしなければならないはずである。

16-1 日本人と日本人村

 ロサンゼルスに11月4日の朝、着いて鳴海さんに「ホテルはどこですか」と尋ねれば「都ホテルに予約しておいた」と言われる。滞米最初に経験する日本人経営のホテルに入る。
「My name is Fukushima」といえば、
Menu 「リザベーション(予約)してありますか?」と日本語で聞かれ、一寸慌てた。
 このホテルでは一切日本語で用が足りるし、ホテルの周辺には日本人の店が軒を並べ、どこでも日本語によって生活している。食事のために店に入ると「何にしますか?」と聞かれ、日本へ帰ったような錯覚に陥る。夕食は鳴海さんはじめ8人の和歌山県人会の集まりに呼ばれ、「川福」という日本料理店でスキヤキを食べる。天ぷら、吸い物、ご飯も出るし、日本のそれと何ら違うところがない。米国人も数テーブル囲んでいたが、あるいは日本で覚えたスキヤキの味が忘れられずに来ているのかもしれない。

 こうして暮らしていれば英語を必要としないので、一世の大部分の人々は毎日日本語の生活をしているという。
 戦争勃発と同時に追い立てを食い、戦争終了により再びこの土地に集まったときには、大部分の建物は黒人の占有するところとなっていたが、日本人の努力と団結とによって再び戦前の繁栄をもたらしたのであるという。街で見る日本人のどの人の顔にも活気があふれている。

16-2 MRAの会

 日本では名前を聞いたことがある程度で、別に大した関心を持っていなかったが、9月17日、ニューヨークでロビンソン氏に「MRAの会へ行ってみないか」と誘われたのが最初。その会場がニューヨークの郊外マウントキスコであった。このときロサンゼルスの一婦人内藤さんに会い、また内藤さんの紹介で三谷、相馬両氏に会えたし、ご両人から米人のリビーさんと、アボットさん、スエーデン人のカールソンさん、フィンランド人のシュネルマンさんとオランダ人のファンデルボルさんを紹介していただいた。

 11月5日(日)のロサンゼルスの会は盛大であった。翌々日の7日(火)三谷、相馬両氏はじめ、前記の人々と共に夕食をとりながら、社会問題を論じ合う。三谷さんからの話をそのままここに記録しよう。
「MRAはMoral Rearmament(道徳的再武装)の略で、現実の世界の悪を駆逐するには精神的に再武装しなければならないという意味です。悪を強行せんとする人々は団結力を利用しているのですが、これに対抗するべき善良な人々の団結心は頗る弱いでしょう。相共に団結しなければいけません。MRAは1938年ブックマンBookman婦人の提唱したのが始まりで、絶対の正直(Absolute Honesty)、絶対の純血(Absolute Purity)、絶対の無私(Absolute Unselfishness)、絶対の愛(Absolute Love)を標語として、人種を超越して働きかけているのです。世界を考える前に自らが変わらねばならないと主張する。それには先ず手近の所から例えば妻に対する態度、子に対する態度を変えていけばよいと思います」
 三谷さんの説明は熱を帯びてくる。一航空会社のストライキでは、労働組合のリーダーがMRAの感化を受けてから急激に労使の折衝の過程が好転し、今ではデンバーで労使代表の友好的な会議が開かれていることも付け加える。

 私自身MRAを傍観者としてみてきたのであったが、人種を超越した愛の団結の運動が宗教的なにおい無しに進むところに、科学的な魅力を有するように考えられたし、またこの運動が、もっと広く、深く全ての人々の心に入っていくことを心から祈って、三谷さん、相馬さん、リビーさんとお別れしたのであった。
 白人も黄色人種も黒人も共に同一の権利と自由とをもって議論しあっている。この運動を実際に体験し得たことは、滞米百日の最も気持ちの良い想い出でもあった。

16-3 選挙

 11月7日(火)は米国の中間選挙と同時に、ロサンゼルス市においては現市長バウロン氏のリコールも行われた。バウロン氏は米国政界きっての硬骨漢で、堕落していたロサンゼルス市の市長に任命されるや、非常な勇気をもって市の粛正にかかり、整然たる市政を推し進めていた。余りにもきつい方針には当然ながら幾多の反対者をつくり、選挙前の批評はリコールされるか否か何れとも不明であった。
 選挙は日本のように紙に書くのではなく、機械的に一切処理される。
「あなたはフレッチャー・バウロン氏をリコールによって転任せしめますか」と書いてあるところにYesとNoとのハンドルがあり、いずれかをいじるだけでよい。リコールに賛成ならYes、反対ならNoのハンドルを回す。その次に「市長として何々氏を」と記されたハンドルを引けば何々氏に一票入れたことになる。そのまま直ぐに記録が収録され直ちに結果が分かる。
 バウロン氏は反対党の猛運動にもかかわらず、再度市長として選ばれた。氏は病院の一室から「大部分の市民が自分の強い正しい施政を支持してくれたことを感謝する」と述べていた。
 他の都市に比して確かにロサンゼルス市は粛正されているように思われる。「粛正」を標榜する現市長が多数の市民の支持を受けて再選されたことは、自由を尊ぶ米人の中にもその自由に自ら限度のあるべきことを信ずる人の方が多いことを示しているのであろう。米国人の大多数は自由と堕落との間に明確な一線を引いている。

16-4 サンバナディーノ工場

 11月9日伊東道夫氏(国鉄客貨車設計課長)とサンタフェ鉄道のサンバナディーノ【San Bernardino】工場へ行く。車両部長のハートマン氏とマスターメカニックのタック氏に案内していただく。この工場は工員1,800人、修繕と同時に貨車の新製もしている。
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 原文には「ロサンゼルスのヤード、きれいな整頓」とありますが、Trainorders.comで問い合わせてみると、ロサンゼルスのUnion Passenger Terminalで、ダウンタウン方向を向いたショットだろうとのことです。

 防火施設、防火対策に非常に重点が置かれ、工場内に日本の消防署と同じ大きさほどのガレージと消防員詰所がある。
 蒸気機関車工場をディーゼルに置き換えつつあることは他と同じ。
 工場の中に機関区がある。ここでは主として洗缶だけを施行している。洗缶の水の温度は華氏120度【=50度C】、洗缶剤はヂューポン【デュポン】とナルコとの2社のを用いている。缶水清浄装置は給水ポンプによって自動的に作用する弁を付けている。
 客車工場ではタイヤにグラインダーをかけ、左右の差を5/1000インチ【=0.127mm、50/1000in.=1.27mmの聞き違いか?】以下にしている。動揺防止のために必要だという。
 サンドブラストは実に強力で効果的である。
 機関区における水処理について検討し、再び車両部長とマスターメカニックと共にロサンゼルスに帰った。
 これに引き続いて数日間、この地の缶用水処理について検討する。詳細は後述。

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                                                  マーカイム操車場、リターダー操作塔と通信管


【追記】ロサンゼルスのユニオン・パッセンジャー・ターミナルは略称がLAUPTで現存し、ウィキペディアに解説があります。

MRH誌2018年6月号p122から引用

「マーカイム操車場」について、綴りをいろいろに想定して探したのですが判明しません。Markheim? 「サンバナディーノSan Bernardino」は「サン ・ ベルナルディーノ」とも表記するようです。

>>【ロサンゼルスの憶い出(続)

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