国鉄技師訪米記18:オマハにて(続)
melma! back issue 2006/02/14 Vol.180 total 274 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 18
このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。
11 オマハにて
11-2 フラナガン神父
10月27日(金)の午後、遊覧バスSightseeing Busを体験する。30人ぐらい乗れそうなバスに、私と、ニューヨークから来た27、8歳の婦人がたった2人であった。運転手が案内人を兼ねていて、いつもはマイクロフォンで名所放送をするというが、その日は、2人を直ぐ後ろに座らせ、家族的で親切な説明をしてくれる。大きなバスに一寸気恥ずかしい感じではあった。運転手が私に「自分の英語は分かりますか」と聞くので、「も少し、ゆっくり話してください」と頼むと、「OK」と返事をして聞き取り易く喋ってくれた。
フラナガン神父が作ったという「ボーイズ・タウンBoys Town」へ行く。
30年前、神父が5人の子どものために90ドルの金を借りて、オマハ市内に家をおいたのがそもそもの始まり、今は850人が世界各地から集まり、日本からも2人が来て、1,200エーカーのこの素晴らしい土地で、愉快に過ごしている。学校、劇場、図書館、大屋内体操場、各種技能養成所、住宅を設備し、それに付帯する発電施設と水源、農牧場等を見るとBoys Townというより一小都市といった感じがする。
雪の降る中に少年が子どもを背負い「ちっとも重くありませんよ。この子は僕の兄弟だもの He ain't heavy, Father..... He's m' Brother!」と言いながら笑顔で立っている姿の絵が、そこここに見られる。
彼等は子どもの社会で、友達を愛することを知り、神の恵みに感謝することを学び、世の中に出ていくことであろう。「There are no bad Boys.(世の中には悪い子どもはいない)」の言葉をこの町に残してフラナガン神父はこの世を去ったのである。
社会施設が米国においては非常に完備されていることを本で見たり、話で聞かされてはいたが、その実例に接すると、富と愛との満ちあふれた米国の美しさを十分に感じ取れるのである。宗教の強さもあろうし、神父自身も偉大な人であったろう。しかし米国の富のバックなくしてはこのボーイズタウンはとても完成できなかったのではあるまいか。「衣食足って礼節を知る」とか。
ホテルは、全て客の必要なものを整えてくれている。もちろん、理髪屋もある。高いことは承知で、話の種にとファンティネル・ホテルで理髪させる。
米国は日本のそれと違って3つの段階に分かれている。第1はヘア・カットHair cutで髪を切るだけ、第2はシャンプーShampooで石鹸をつけて洗ってくれる。第3はシェイビングShavingで剃る。日本はこの3つをしてくれて大抵は100円前後。希に300円のもある。ところが米国ではヘア・カットだけで1ドルから1ドル50セント(360~540円)になる。
滞米100日間で行った散髪7回はヘア・カットのみを原則としていたが、この日だけ試みにシャンプーさせたところ、2ドル50セントであった。日本の金にすると1,000円、この上シェービングさせたら恐らく1,500円は掛かったであろう。
技量も日本ほど上手ではない。帰国の船で、ある米人にこのことを話したら、「日本の散髪屋は世界で一番です」という。私もそう信じる。少なくとも米国よりも数等上で親切、それに値段も安い。
労働賃金を1ドル360円で換算したときに15倍も高いのだから値段は仕方がないとしても、技量も決して上等ではなかった。たった7人のことで全部を云々することは、あるいは当を得ていないかもしれないが……。
■ボーイズ・タウンは1917年、Edward J. Flanagan神父によってオマハで創設され1938年、Spencer Tracy主演の映画になったとあります。現在はNPO団体の「Girls and Boys Town(公式サイト)」で 、ウィキペディア日本語版にも解説があります。
散髪屋は、日本では理容師法という法律があって国家資格である上に、著者が訪米した当時は「第二次世界大戦後、経済復興の過程において、理美容業は比較的安定した収入が得られる職種であったため就業者が増加した。そのため業界は昭和26年ごろから過当競争」(ウィキペデ日本語版)という状態だったため、値段といい、技術レベルといい、お客にとっては最高の状態だったのではないでしょうか。それにしても3ヶ月で7回の散髪は、オシャレですね。
>>【ルーメットに乗って】
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