国鉄技師訪米記19:フィラデルフィア
melma! back issue 2006/02/17 Vol.181 total 274 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 19
このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。
9 フィラデルフィア
米国人は「フルドーフィア」と「ドー」にアクセントを付けて発音する。人口1,931,000、ニューヨーク、シカゴに次いで米国第3の都市、192の埠頭を設けてあるのをみても水陸交通の要衝であることが分かるであろう。それだけに倉庫の数と容量も莫大で、63百万立方フィートもあるという。
独立運動の発祥地としても有名なこの都市には独立記念館Independence Hallがあって、米国の独立までの苦心の跡を陳列品によって説明している。記念館は大きな建物ではなく、一寸見分け難かった。付近まで電車に乗り、土地の者らしい二人連れの青年に尋ねると、意外にも「自分は知らない」との答え。やむなくしばらくしてやってきた老人に聞いて、親切に教えてもらう。歩いて5分と掛からない程近いところであった。
現代のアプレゲールの青年にとって国家独立に際しての努力は興味のないことであるし、フィラデルフィアが独立精神の中心になっていたことも市民の誇りとは別に考えていないのかも知れない。歴史の感覚は時代の移り変わりと共に次第にずれていくのであろう。
10月3日(火)のフィラデルフィアは大変な騒ぎだった。それは35年振りにこの都市の野球チーム、フィリーズがナショナル・リーグで優勝したからである。明日からワールド・シリーズが始まるので、市街の大商店は選手の写真をショーウィンドいっぱいに拡げている。私自身も何とかして見物したかったが、予約切符は頼んだけれど駄目で、当日売りは2日前から並んでいるというし、プレミア付きも50ドル(1万8千円)以下ではとても手に入らぬと聞いて、諦めた。
日本でも早慶戦は前日から並ぶが、2日も前からということはない。米国人の熱狂は日本人よりも一つ桁が上かも知れない。
フィラデルフィア駅での失敗談。この駅は秋葉原駅の様に2段のプラット・ホームがクロスしている。それも10線同士なので初めのうちは中々分からず、行くべきホームを尋ねていると、横の床に置いていた私のスーツケースに30歳ぐらいの婦人が足を引っ掛けて、ひっくり返った拍子に膝をしたたか打った様子。直ぐに謝って立ち去り、一寸振り向くと、その婦人は、女でもそんな顔ができるのかと思えるほど、怒髪天を突いていた。背中にむずかゆいものを感じながら這々の態で逃げ出してしまった。
後日、二世の方に、「こんなときは、どうしたらよいでしょうか」と尋ねれば、「あなたはどうした?」と逆に聞く。
「Pardon meと誤った」と答えると、「それはそんなときに使う言葉ではない。直ぐに婦人の側へ寄って『痛みますか』と聞き、『どこに行かれますか』と尋ね、もし荷物があれば手伝ってやらねばならない」と言う。
「それなら隣で見ていた米国人の男が、その通りにしていました」
「それでは、なお悪い」
一米国婦人をして、一東洋人に反感を持たしめた点に責任を感ずる。しかしその時、正直な私の気持ちを表すと「他人のスーツケースに勝手に足を引っ掛けて!! も少し注意して歩いたらどうです?!」
米国では男性として、こんな考えを持ってはならないのかも知れない。
■「アプレゲール」は、今では死語でしょう。本来は仏語で「戦後」という意味、戦後に輩出した頽廃的傾向の人々を指す言葉だそうです。
著者が乗ったであろう電車は現在のセプタSEPTA(ウィキペディアの解説)ですね。今でもその路線をストリートカーが走っているのでしょうか。どなたかご存じありませんか。
この年のワールド・シリーズは、フィラデルフィア・フィリーズ対ニューヨーク・ヤンキースです。残念ながら0-4でフィリーズは敗れているようです。
秋葉原構造の「フィラデルフィア駅」は形と規模からして次の30番通りステーションでしょうか? Wikipediaの解説はhttp://en.wikipedia.org/wiki/30th_Street_Stationです。
航空写真はグーグル・マップの写真が鮮明です。拡大してご覧ください。なお、列車々窓からの写真がnortherns484さんのブログに掲載されました。
>>【再びシカゴへ】
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コメント
「アメリカ旅客鉄道史+α」管理人のWUREです。お久しぶりです。電車の話が出るのでは、と楽しみにしていたところだったので、さっそく調べてみました。
インディペンスホールと言うのは下の地図の48番だと言う事ですが、
http://www.septa.org/maps/center_city_slice_4_05.html
このSEPTAの路線網に描かれているのはバス路線。最近フィラデルフィアでは都心を通る路面電車路線15系統が復活したのですが、もうすこし北を通っているようです(財政難でLRVが購入できなくて、チョッパ制御に改造したPCC車を導入したとの話ですが)。
古い路線図を集めたサイトには
http://www.phillytrolley.org/ptc-map.html
著者来訪当時の路面電車路線の記載がありますが、廃止年月日を見ると1956年ころにはなくなっていたようです。
アメリカの大都市の路面電車は1950年代から1960年代に多くが消滅しましたが、その時期は日本の廃止に比べ数年~20年ほど早かっただけで、50年は先行していたのではと思えるモータリゼーションを考えるとなかなか善戦しているな、と感じる事もあります。
投稿: WURE | 2006/02/24 23:00