国鉄技師訪米記7:ボルチモア・オハイオ鉄道
9時10分の貨物列車の蒸気機関車に添乗する。
melma! Back Number 2006-02-01 Vol.169 total 270 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 7
このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。
8 ボルチモア・オハイオ鉄道
ボルチモア・オハイオ鉄道Baltimore & Ohio鉄道は6,202マイルの営業距離を持ち1,900両の機関車、95,000両の貨車、1,100両の客車を有し、米国では大きい部に入る。本社はバルテモアにあり、そこに宿をとれば都合は良かったが、美しいワシントン市に一旦住んでしまい、そこから毎日往復することにした。
SCAP事務所からの手紙に依り、本社では私の見学視察計画を決め、次のような書類を作ってくれる。
先ず最初に本社の副社長室へ
同日、燃料課長サンプル氏のところで、燃料の経済的利用について検討
第2日、研究所にてセニフ氏と缶水処理の研究および化学的事項について打合
第3日、動力車課長アインバヒテル氏のもとで石炭節約上の機関車の構造につき検討
第4日、車両局長ガロウェー氏に一般的事項を打合
最終日、機関車添乗
という具合に月曜から金曜まで予定を立ててくれ、その書類は私宛に前以て発送されていると同時に、関係の業務機関へも写しが届き、副社長ヘンデ氏の手紙を添え「別紙、福島宛の手紙に従い、適切なる指導をなすべし」と通報されていた。
事務の運びの早いことと末端まで徹底されていることには感心した次第である。指定された時間に指定された人のところへ行けば、相手は予定にしたがって見学の指導をしてくれるのには感謝もした。
8-1 石炭
燃料課長サンプル氏は石炭の合理的使用と機関車乗務員の教育とを受け持っている。先ず「石炭の使用について実績を見せてもらいたい」と頼めば、気持ち良く表を見せてくれる。
石炭使用量が全部「実トン」で出ているのに疑問を持ち、
「米国ではなぜ換算カロリーを使わないのですか」
「Equivalent valueとは何か?」
「石炭の種類を先ず決め、8,200カロリーの標準炭に対し、それぞれが何%の価値を持つかを試験によって調べ、炭種別に換算値を決める」
「米国人にとっては非常に難しい仕事だ」
「難しくはない。一旦試験の結果を表に作っておけば、後はそれによって換算すればよい」
「それで石炭成績を求めるのは複雑すぎる」
「各機関区で各種の石炭に対して換算率(Equivalent Ratio)を作り、その率を石炭の使用量に乗ずるのでなければ、正確な比較はできない」
「その方法は理想的であるけれども、人手がかかって米国では不可能だ」
長い会話の内容を簡単にするとこのようになる。私の英語の下手なのも手伝ってか、中々換算率が相手に分からずに困ったのである。その他のことでは表の作り方は国鉄と大体同じようなものであった。
「煉炭を使用しているか」との質問に対しては、
「今まで使用したことはない。また将来使用する計画もない」とのこと。
「石炭使用量を減少せしめる手段として、成績のよい局に賞金Prize moneyをやるか?」と問えば、「それも一つの方法であると思う。昔ユニオン・パシフィック鉄道では出したことがある。しかし当社ではその経験もなく、現在出すことも不可能だ」
「賞金を出すのは良い方法と考えるか?」と再び問うと、「自分は良いと思う」
「ではなぜ出さないか?」と突っ込むと、「社長がyesと言わない」
といとも簡単に片付けてしまう。
8-2 ディーゼル電気機関車の経済性
副社長の下に企画室があり、そこには特殊技師Special Engineerがいる。9月25日、ここでディーゼル電気機関車の経済性について質問すると、実に親切にいろいろな表を見せ計算結果を教えてくれる。カンバーランドとクラフター間では、詳細は後述するが、費用は蒸気機関車の方が2倍くらい掛かっている。そして、
「現在米国鉄道で最も重要なことは動力車をディーゼルにすることです」という。
「蒸機の車庫をつぶしてディーゼルのそれを作るには莫大な費用がかかるが」と言えば、
「機関車と車庫の減価償却を考えても、ディーゼルが有利だ」と答えるので、さらに、
「現在はディーゼル油の方が安いが、全部の鉄道が使用するようになれば、価格が騰貴するでしょう」
「石炭は安くなるとは思わない」と簡単に答えるだけ。“将来のことが分かるものか?”といった表情だ。逆に、
「日本にはディーゼル電気機関車は何台あるか」と尋ねる。
「日本国有鉄道にはない。米陸軍所属の小さいのが8両あるだけだ」
「なぜ使用しないのか? 日本では製作できないのか?」
「日本でも作ることはできる。しかし石炭はあるがディーゼル油が少ないので困る」
「なるほど」と、輸入したらどうかとかは別に追及しようともしない。燃料で困ることは彼らとしては想像もできない点ではなかろうか。
8-3 設計課
米国鉄道では設計は皆、車両製作会社に委していると聞いていたが、この鉄道は例外に属し、約40名の設計者をおいて、改良工事の図面を描いていた。
ディーゼル車庫の図面の検討。日本式にいえば停車場改良工事ともいうべきもので、ゼネラル・エレクトリック会社【たぶん、ゼネラル・モーターズの勘違い。ハリスバーグ機関区の項にある車庫の挿絵には、明らかにEMD-GMの機関車が描き込まれている。この時点でGEはアルコ等に電気品を供給しているだけだった】において作ったパンフレットに従って蒸気機関車庫を直す設計をしている。扇形庫をいかにして矩形庫にするかが、一番苦心するところであるらしく、二三の例外を除いて大部分の機関区には扇形庫の傍らに矩形庫を新設しているようであった。
蒸気機関車の改良工事にも相当力を入れており、ハルソン形の火格子やサイクロン煙室の図を見せてくれる。石炭の節約にはこれが一番良いという。米国には燃料研究機関があり、そこの研究員は各鉄道会社から給料を支払われ、研究結果はその都度各鉄道に報告され、燃焼装置の改善を計るので、一鉄道会社のみで高価な研究機関を持つ必要はない。ここの設計課もこの研究結果に基づいて活動している。
機関車の動軸には何を使っているかと聞けば、「グリース給油75%、油24%、ローラーベアリング1%」と答える。ティムケン会社で聞いたときの数と非常に違っているから、これもあまり信用ならない数字かも知れない。
客車係ではタイトカプラーの検討と、窓ガラスの改良設計に苦心していた。窓を手で上下する旧式の車を、2重窓のエアコンディショニングの車に改良する図面を見せ、窓ガラスは1/4インチ2枚を1/4インチの空間をおいてはめ込み、内側の1/4インチのガラスは1/8インチ・ガラス2枚合わせた安全ガラスと説明する。2枚のガラスの空間へ空気を導く方法も検討していた。
貨車は未だに木造車が相当数両あるらしく、日本の鉄道で今盛んに木造客車の鋼体化が進んでいると同じように、この鉄道では木造貨車の鋼体化の図面を作っていた。これが貨車係の最大の仕事のようであった。
新車を製造する場合は大体の要点をこの設計課で決定し、製造会社に指示し、その決定図面をここで再び検討するだけらしく、日本のそれのようにボルト、ナットまで鉄道で設計する方針はとっていない。設計の陣容はもちろん製造会社が勝っているという。
設計図面は大きな防火室に各種大きさの引き出しがあり、番号別に整頓されている。整頓の方法は国鉄の方式と大差ない。金庫に入れるというよりも、室全体が大きな防火金庫といえるかも知れない。これをTracing Roomと称していた。
8-4 マントクレア工場
9月27日の午後マントクレア工場を見る。ボルチモア・オハイオ鉄道最大の工場で、技工は1,800人、1カ月にディーゼル電気機関車の大修理9両、蒸気機関車15両施行している。工場長スペンス氏の言によれば、工場の標語は「考えよ」だとのことで、凡ゆるところ、見易いところに“THINK”と大きな字が書いてある。そして力を入れている点は工場内の整頓、清掃と安全とであると説明しながら案内してくれる。なるほど道路には物が置いてない。古い古いこの工場も鉄道の動脈をしっかりと活動せしめるには不可欠のものに違いない。
蒸気機関車の第1種修繕をしていない点はペンシルベニアのアルトゥーナ工場と同じである。蒸気機関車は第2種修繕でも22,000ドル(800万円)かかるという。これに対しディーゼルの大修理は7,000ドル(250万円)で済むという。
1837年製の蒸気機関車が未だに工場内入換に使用され、ちょうど日本でいえば弁慶号が大宮工場の入換用に使われている姿を想像せねばならない。
毎日23,000ポンドの鋳鉄を生産するけれども、制輪子は全然作らず全部外注するとのことで、外注の方が安いのか、この辺少し割り切れなかった。
ディーゼル機関車の修理費は200~300万マイルごとに7千ドル掛かると説明してくれたが、この数字はペンシルベニア鉄道その他で聞いた値よりいくぶん低いように思う。蒸気機関車の第1種と第2種修繕を施行していない。
「なぜしないのですか」
「蒸気の第2種では火室を新品と変えなければいけない。それで全部の修理費が1両当たり22,000ドルになる」
「しかし蒸気機関車を使わなければならないでしょう」
「いや、すぐにディーゼルになりましょう」
「それまでの間は?」
「第3種、第4種修繕で運転していくつもりです」
要するにディーゼル化がこの工場の作業を根本的に変更しているわけである。
最後に工場長は私に、
「この工場をどう思うか?」と尋ねるので、
「非常に古いけれども、非常に整頓され、通路には物が置いてない」
「通路に物を置かない様にするには2年の日数を要した」
「負傷者も少なくなったでしょう」
「もちろん」
別にお上手を言ったつもりはなかった。本当に良く整頓された、古い工場である。
8-5 機関車の添乗
9月28日、ボルチモア発9時10分の貨物列車の蒸気機関車に添乗する。この列車は1時半も遅れて10時40分に発車した。機関士は50歳ぐらい、機関助士は25~30歳だが、私が乗るためにロードフォアマン・オブ・エンヂンRoad foreman of Engine(運転監督)が乗り込んだので、私を入れて合計4人というわけであった。この運転監督は管理部長直属の部下で、トレインマスター(輸送長)にも、マスターメカニックス(車両長)にも属していない。
発車前の点検と火床の整理は、日本の方法と別にたいした変わりはない。運転監督は機関助士の仕事を一手に引き受けているので、機関助士は時々信号を見るだけで、あとは私と話してばかりしている。運転監督が乗ってくると、機関助士は大いに助かるらしい。
米国では一部特殊鉄道を除いて右側運転なので機関士席は右についており、左機関助士席の後方に補助腰掛がついていて、これを私に提供してくれる。
もちろんストーカー付きであり、石炭は塊炭のみといってよいくらいに粉炭が少ない。大きさは人間の頭くらいのものもあるが、クラッシャーで砕くから問題はない。撒水する装置があり用事のない機関助士が時々操作するが、その相手は石炭でなくキャブの床で、20分おきに撒いてくれる。
運転室内に電球が7個ついている。水面計2個分に対し2個、ストーカーのメーターに1個、缶圧力計に1個、エヤブレーキ関係のゲーヂに2個、機関士の後方に彼の用事のために1個というわけで中々贅沢にできている。
ボルチモア駅は、その他の主要な都市にある駅と同様地下にあり、地上に出るまで約30分間は電気機関車が牽いてくれる。そしてこの電機は前補機で走りながら、用がなくなれば前方に逃げていくのだが、本列車を止めずに別の線に抜けて行く。
速度計はついていない。
「なぜ付いていないのか?」と聞くと、
「貨物列車には要らないのではないか」との答えで、機関士が「なぜそんなつまらなぬ質問をするのか?」といいたげな表情をしたので、それ以上尋ねるのを止めてしまった。
機関車は決して上等とはいえず、内火室には10センチの亀裂があり蒸気が吹き出しているし、太い端からは物凄い音を出しており、振動に至っては恐ろしいくらいであった。
給油は例外なしにグリースを使っており、軸箱もモーションリンクまでも……。
信号喚呼は機関車の音があまり高いので手真似でする(喚呼を手でするとはおかしな日本語だが)。信号の現示は、こちらの大部分の鉄道と同様に、この線も灯列式で、進行のときは機関士と機関助士(私の添乗したときは運転監督)がお互いにものも言わずに手を上下する(この場合、先に機関助士から)。注意のときはCautionと声を出して手を斜めに振り合う。
機関士と機関助士に、「石炭の発熱量は?」と聞いたところ、
「そんなことは知らない。彼(運転監督)に聞きなさい」という。その彼も自信なさそうに、「13,000 B.T.U.(7,200カロリー)」と答える。
水入れガラス瓶を機関車に設置された箱の中に入れておき、時々それを出しては乗務員が飲んでいる。テンダーの水にはもちろん清缶剤が入っているから飲むことはできない。
途中2回事故があった。一つは発熱事故でこれは不良貨車を解放し、もう一つは空気ホースの破裂で予備ホースと取り替えて発車した。
そのため1時間以上遅れていた列車が、予定より3時間半も遅れてフィラデルフィアに到着することとなってしまった。
貨車解放のため、途中駅で入換中ポイントを割り出して通過しようとしたので、機関助士が、
「ポイントが駄目だ?」と頓狂な声で叫ぶ。機関士が落ち着いて、
「あれはスプリング・ポイントだ」というと機関助士が恥ずかしそうに、
「Oh, I see.(ああ、そうか)」もちろんその標識はちゃんと付いていた。
発車の汽笛合図はなく、天に向かって吠えることもなく、素直に出ていくが(日本の国鉄電車の様に)これでも良さそうにも思われる。
機関助士に給料を聞くと、先任順位Seniorityは下の方だが、1時間1ドル44セントだという。今日は列車が遅れてオーバータイムになり、その分は50%増しとなるという。従って今日の手取りは、
常給 1ドル44セント×8時間 =11ドル52セント
オーバータイム 1ドル44セント×1.5×1時間 = 2ドル16セント
計13ドル68セント
1カ月に20日乗務し、往路1日、帰路1日、2日で1往復し、それを月に10回、毎仕業同じ列車を牽くが、1カ月の収入は250ドル(9万円)になるらしい。
帰りのフィラデルフィアからワシントンまで、時代の先端をいくディーゼルに乗り込む。「お前はまだ乗るつもりか?」とロード・フォアマンも一寸呆れ顔であった。列車は18時41分発、ワシントンに20時55分着、前の貨物列車と合わせて10時間以上乗り続けたことになる。
蒸気機関車と比較して何と違うことか。振動はないし、汚れないし、速度は出せるし、見透しも良い。日本の蒸気と電気とよりもっと差があるように思われる。列車は130マイル(250!))を2時間14分で走るが、停車場間の途中速度は、70~80mph(100~120km/h)である。夕闇迫る大陸の広野の中で、ヘッドライトの強烈な光に照らし出された線路上を、120km/hで驀進していくのは全く気持ちが良い。
機関士は時刻表を見ない--そういえば時刻表掛けなるものもない。毎日同じ列車を運転しているので、覚え込んでしまって世話がないのである。日本で使用しているような時刻表は持ってはいるが、見る必要がないほど覚えている。
米国には「列車ダイヤTrain Dia」なるものはない。トレインマスターも時刻表を持っているだけであるという。
ディーゼルの中では声を出して信号喚呼をやっている。これも機関助士が先ず「Clear」というと機関士が続く。機関車には工場作業掛Shop manが乗っているが、これは日本の機関車検査掛に相当するものかも知れない。何れにしても現在の状況では、ディーゼルの運転に際して、機関部の点検には機関助士一人では不十分なのであろう。
例によって機関士の給料を聞く。「君の給料を尋ねてもよいか?」というと、うれしそうに「Sure どうぞ」といって説明してくれる。職員中比較的高給をとっている機関士は、得意になって説明してくれるわけであろう。
彼はワシントン・ニューヨーク間230マイルを2日かかって往復しているが、片道4時間半、往復の乗務時間計は9時間、これを1ラウンド(1仕業)といい、1ラウンドの給料は58ドル。一月に10ラウンドするので、月収は580ドル(約21万円)なる。それでも彼は「政府の税金が高いからね」とぼやくのであった。米国では政府の税、州の税、市の税とあって日本と同様であるが、この中政府の税が一番高いらしい。
この機関車には、速度計、電流計、2個の空気ブレーキの計器、暖房ボイラーの圧力計、燃料の残量計、水の残量計等がある。
信号機はスピード・シグナル(速度制御式)を用いているので、進路の信号機さえ見ていれば良い。乗務員にとっては誠に好都合である。もちろん機関士はどの線に入るか事前に判らない。ただ、信号機に導かれてホームに着くだけのことで、この方法も良さそうに思った。
■Mount Clare工場は現在、正にB&O鉄道博物館http://www.borail.org/index.shtmlになっているようです。グーグル・ローカル http://maps.google.com/ の検索欄にその所在地「901 W Pratt St Baltimore, MD」を入力してご覧ください。
>>【フィラデルフィア】
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コメント
はじめまして。
とても興味深い本ですね。1950年というのも、まさに無煙化が急速に始まる直前とも言うべき絶好の時期ですね。
ワシントンDCに住んでいたことがあるので、懐かしい地名が出てきます。
Primera
投稿: Primera | 2006/02/01 22:31