国鉄技師訪米記9:オマハにて
冷蔵貨車の新製を1日平均22両の割合で行なっていた。
melma! back issue 2006-02-03 Vol.171 total 272 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 9
このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。
11 オマハにて
10月24日20時10分、シカゴを離れ西へ向かう。
翌25日(水)の朝、オマハ着。人口223,000の都市で日本人らしい人には3日の間、1度も会えなかった。ファンティネル・ホテルFontenelle Hotelに先ず落ち着き、ユニオン・パシフィックUnion Pacific鉄道を視察させてもらう。
11-1 ユニオン・パシフィック鉄道の工場
977両の蒸気機関車、549両のディーゼル電気機関車を受け持つこの工場は中々忙しそうである。局の検修課長は工場内に陣取り、工場長の隣の室で入場計画を指揮している。
入場計画は形式別(800形式、3900形式、5000形式、7000形式、9000形式)と、第3、第4、第5の修繕程度別とに分けて各々予定計画表なるものを作り図盤の上にかけ、入場状況を一目で分かる様にしている。もしその入場計画に特殊な仕事があればその間を切り取って適当な作業を貼り付ける。
この検修課長は毎月、機関車毎に火室、煙管、タイヤ、走り装置の状況を各局より報告せしめ、工場長に通知する。
米国鉄道における蒸気機関車の修繕種別は5種あって、
第1種=缶、火室、機械部分を全部新しくする。
第2種=火室、煙管、機械部分を新品に変える。
第3種=煙管と機械部分を新品に変える。
第4種=必要と認めたものだけ、煙管と機械部分の新品との変更を行う。
第5種=機械部分のみ新しくする。
第1種と第2種とは火室を全面的に変えるのでは相当大きな作業となり、大部分の鉄道ではディーゼル化しておるため施行せず、この回期に来たときは廃車する方針らしい。
これらの修理の人工も色々で、この鉄道工場における修理費を示すと次の如くなる。
第3種 第4種 第5種
800形式 4,388 2,896 2,299
3900形式 5,333 - -
5000形式 3,809 3,311 2,569
7000形式 3,752 3,161 -
9000形式 4,411 3,224 2,523
国鉄を基準にすると、第3種は甲修と乙修の中間、第4種は乙修、第5種は丙修に相当するといえよう。人工の単位はman-hourで、人数と時間の積であるから、国鉄でいう人工とは全く異なる。
技工は試採用されると勤務の外に1週間4時間の教養時間を与えられ、製缶、鍛冶、機械、電気、木工に分かれて3~4年の間、教育を受ける。この教育は義務付けられ、これをパスしないと本採用にならない。
この工場も他と同様に、監督者の陣容は少なく、機関車関係の技工369名に対し60名足らずであった。
技工の平均年令は30歳、1カ月22日働き平均給300ドル(約10万円)という。1940年と41年には労働関係の問題が度々起きたが、現在ではほとんどなく、平穏無事らしい。
貨車職場では車輪の取替作業が流れ作業式に進められていた。車輪を車軸から外し、新しい鋳鉄車輪Chilled Wheelをはめ込み、タイヤレース[旋盤」に掛け完成するまで、わずか5名の作業員によって、1日110対を完成するという。
また冷蔵貨車の新製を1日平均22両の割合で行なっていた。この作業場はペンキ作業場以外は全部屋外で、いささか驚かされた。雨天の日が少ないためであろうか。
■冷蔵貨車はたぶん、PFEのそれでしょうね。車輪の差し替えが1日110セットというのは、ちょっと多すぎる気もします。また蒸機検修形式例の中に3950形式(ジャベルマン・チャレンジャー)と4000形式(ビッグ・ボーイ)が抜けているのが気になります。何か、恣意的なものを感じますね (^_^; あるいは、この工場の担当ではなかっただけかも……。
ネブラスカ州オマハで線路の混み入ったところを探すと、訪問された工場はこの辺りでしょうか。
TerraServer USAの地図・航空写真へ(リンク切れ)
■ファンティネルはオマハで有名なホテルのようです。Wikipediaをご覧ください。このホテルで散髪した話が次の11-3 ホテルの理髪屋に出てきます。
>>【オマハにて(続)】
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