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2006/02/17

国鉄技師訪米記19:フィラデルフィア

melma! back issue 2006/02/17 Vol.181 total 274 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 19

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

9 フィラデルフィア

 米国人は「フルドーフィア」と「ドー」にアクセントを付けて発音する。人口1,931,000、ニューヨーク、シカゴに次いで米国第3の都市、192の埠頭を設けてあるのをみても水陸交通の要衝であることが分かるであろう。それだけに倉庫の数と容量も莫大で、63百万立方フィートもあるという。
 独立運動の発祥地としても有名なこの都市には独立記念館Independence Hallがあって、米国の独立までの苦心の跡を陳列品によって説明している。記念館は大きな建物ではなく、一寸見分け難かった。付近まで電車に乗り、土地の者らしい二人連れの青年に尋ねると、意外にも「自分は知らない」との答え。やむなくしばらくしてやってきた老人に聞いて、親切に教えてもらう。歩いて5分と掛からない程近いところであった。

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2006/02/14

国鉄技師訪米記18:オマハにて(続)

melma! back issue 2006/02/14 Vol.180 total 274 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 18

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

11 オマハにて

11-2 フラナガン神父

 10月27日(金)の午後、遊覧バスSightseeing Busを体験する。30人ぐらい乗れそうなバスに、私と、ニューヨークから来た27、8歳の婦人がたった2人であった。運転手が案内人を兼ねていて、いつもはマイクロフォンで名所放送をするというが、その日は、2人を直ぐ後ろに座らせ、家族的で親切な説明をしてくれる。大きなバスに一寸気恥ずかしい感じではあった。運転手が私に「自分の英語は分かりますか」と聞くので、「も少し、ゆっくり話してください」と頼むと、「OK」と返事をして聞き取り易く喋ってくれた。
 フラナガン神父が作ったという「ボーイズ・タウンBoys Town」へ行く。

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2006/02/13

国鉄技師訪米記17:再びシカゴへ(続)

ニューヨーク・セントラル鉄道の最も水質の悪いインディアナポリスへ
melma! back issue 2006/02/13 Vol.179 total 273 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 17

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

10 再びシカゴへ

10-3 ストックヤード

「世界的に有名なストックヤードはシカゴを訪れた人が必ず行く」という人と、反対に「あんな残忍な、不愉快なところへは行かない方がよいでしょう」と注意する人とがあった。「有名だ」と聞くと行きたくなるし、「行くな」と言われると意地でも見たくなる。
 10月23日、話の種にと出かけることにした。豚の一群が一個所に追い込まれ、コンベアに尻尾を挟まれ、空中に吊り上げられたところで咽喉をつかれて殺され、蒸気で蒸され、皮を剥かれ、肉を切られて、ハム、ベーコン、その他になるまで流れ作業式に機械的に進んでいく。
 別に残忍な感じもなければ、不愉快な憶い出ともならなかったし、無神経なのかも知れないが、見た後の夕食に食べた牛肉の味も別に不味くもなかった。牛を殺すところは相当酷たらしいそうだが、幸か不幸かそこだけは見ずに帰ってきてしまった。豚の咽喉をつく人、牛の皮をむく人には全て黒人が当たっているが、何か米国国情の一面を見せ付けられるような気持ちであった。

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2006/02/12

国鉄技師訪米記16:ワシントン

9月27日夕、拳闘のジョー・ルイスのカムバック試合を聞く。
melma! back issue 2006/02/12 Vol.178 total 273 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 16

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

7 ワシントン

 ナイアガラの滝を見物してからバッファローに泊まる計画であったが、これを変更して再び夜行列車でワシントンへ直行、9月24日(日)米国の首都に入った。
 ユニオン・ステーションに降りて外へ出ると、連邦議会議事堂の丸い屋根が緑深い公園の中にそびえている。シカゴで紹介していただいた角田さんを訪ね、御親類の遠藤典夫さんのお宅に下宿するよう手配していただく。米国に来たからには一度は二世の方々とゆっくり話をしてみたかったし、それにホテル住まいより下宿の方がはるかに経済的であると聞いていたので、無理をお願いしたわけであった。
 案内書には次の様にある。

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2006/02/09

国鉄技師訪米記15:ナイアガラの滝

アルトゥーナからバッファローまで夜行列車で強行する。
melma! back issue 2006/02/08 Vol.177 total 273 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 15

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

6 ナイアガラの滝

 9月23日、世界に名高い滝を見るために大きな期待をもって、わざわざアルトゥーナよりバッファローまで夜行列車で強行する。途中から連絡が上手く付き、ホルバート夫妻に案内してもらうことができる。グランド・アイランド橋を渡り市街地を抜け、公園の手前で自動車を降りて緑色の芝生を踏むと、もう滝の音が聞こえる。
 その先が直ぐに滝口になる。付近には近代的な工場があり、あまりにも、あっけない景色なのには、いささかがっかりする。

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2006/02/08

国鉄技師訪米記14:ニューヨークの印象(続)

時間があったので機関区員その他の給料を聞いてみる……
melma! back issue 2006/01/08 Vol.176 total 272 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 14

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4 ニューヨークの印象

4-5 エチケット

 日本出発に際して受けた注意に「米国におけるエチケット」と題するものがあった。たくさんの中で、「乗り物では婦人に席を譲ること」と、「エレベーター内に婦人がいた場合には帽子をとること」とが、どういうわけか妙に印象に残っていた。
 シカゴに着いてバスや電車に乗るが、若い男が腰を掛け、その前に婦人が立っている姿に度々直面したし、ニューヨークでも同様であった。ある米国老人に尋ね、
「自分は米国のエチケットとして、車内で婦人に席を譲ることを学んできたが、多数の若い男が守っていない。このエチケットはなくなったのでしょうか」
「その通りです。戦前はこんな事は無かったのですが」といかにも残念そうであった。若い米人に同じことを尋ねると、
「別に譲る必要はないですよ。皆疲れているのだから、そんな習慣は昔のものです」と、いとも簡単に片付けてしまった。しかし、さすがに赤子を連れた人とか老人の立っているのは見なかった。

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2006/02/07

国鉄技師訪米記13:ニューヨークの印象

1931年に建設された102階1,250フィートのビルは
melma! back issue 2006/01/07 Vol.175 total 272 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 13

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

4 ニューヨークの印象

 3ヶ月の滞米生活中、最も印象の深かったのはやはりニューヨーク市であった。歴史の浅い慌ただしい、賑やかな、多人種を総合した米国を一カ所に集約するとニューヨークの様な都市になるのであろう。
 中心にマンハッタン島があり、その大きさは、東京の山手線ループの中にはいるくらいのものであるが、有名なエンパイア・ステート・ビル、ロックフェラー・センター、国連など高楼が所狭しと並んでいる。島の西側はハドソン川、東はイースト川、南部には自由の女神の像が海上にそびえている。斜めにうねったブロードウェーの他は東西と南北の道路が行儀良く並んでいる。ただ、南部のダウンタウンDwon Town(下町)は古い街らしく複雑な道路を有している。

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2006/02/06

国鉄技師訪米記12:シカゴよりニューヨークへ

米国に来てから18日目に初めて優等列車に乗ったので……
melma! back issue 2006/01/06 Vol.174 total 272 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 12

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

3 シカゴよりニューヨークへ

 8月28日(日)朝、ワグラーさんの2階でいつもの様に目を覚まし、荷物を片付けてインディアナポリスへ向かうつもりでナルコ会社へ出かけたが、そこのニューヨーク・セントラルNew York Central鉄道支社から返事があり、「福島はSCAPの許可を得ていないので、当方の業務機関を見せるわけには行かない」とのこと。
 仕方なく予定を変更し、夜行列車でニューヨークへ出発することとする。
 電話でニューヨーク・セントラル鉄道の営業事務所を呼び出し、切符を予約して、エングラウッド(シカゴの南部駅)から列車に乗り込む。旅費節約のため寝台をとらず、リクライニングシートで頑張ることにする。
 961マイルをチケット35ドル04セント、プルマン1ドル15セント、計36ドル19セントを払う。1km約8円となるから日本の10倍である。米国に来て18日目に初めて優等列車に乗ったので、車中の全てが珍しい。

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国鉄技師訪米記11:ロサンゼルスの憶い出

melma! back issue 2006/02/05 Vol.173 total 272 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 11

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16 ロサンゼルスの憶い出

 グランドキャニオンから夜行でロサンゼルスに向かう。この大公園へのサンタフェSanta Fe鉄道の列車は1日1往復、それも夜行である。あとは同じ鉄道経営のバスがウィリアムスから来ているだけだ。観光客は前年より10%増しだが、その大部分は自家用車とバスで、列車利用は24%も激減したとのこと。鉄道会社が自衛上、バス営業をしなければならないはずである。

16-1 日本人と日本人村

 ロサンゼルスに11月4日の朝、着いて鳴海さんに「ホテルはどこですか」と尋ねれば「都ホテルに予約しておいた」と言われる。滞米最初に経験する日本人経営のホテルに入る。
「My name is Fukushima」といえば、
Menu 「リザベーション(予約)してありますか?」と日本語で聞かれ、一寸慌てた。
 このホテルでは一切日本語で用が足りるし、ホテルの周辺には日本人の店が軒を並べ、どこでも日本語によって生活している。食事のために店に入ると「何にしますか?」と聞かれ、日本へ帰ったような錯覚に陥る。夕食は鳴海さんはじめ8人の和歌山県人会の集まりに呼ばれ、「川福」という日本料理店でスキヤキを食べる。天ぷら、吸い物、ご飯も出るし、日本のそれと何ら違うところがない。米国人も数テーブル囲んでいたが、あるいは日本で覚えたスキヤキの味が忘れられずに来ているのかもしれない。

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2006/02/04

国鉄技師訪米記10:ルーメットに乗って

日本の国鉄にこの様な客車が出現するのは
melma! back issue 2006-02-04 Vol.172 total 272 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 10

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

12 ルーメットに乗って

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                  カリフォルニア・ゼファー号に乗る間瀬さん

 
ルーメットRoometteは寝台車の一種で、1人寝台室ともいえる。昼間はベッドを起こして腰掛の室になるし、夜はベッドを横にすると室いっぱいが寝台になる。【画像はクリックで拡大】

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国鉄技師訪米記9:オマハにて

冷蔵貨車の新製を1日平均22両の割合で行なっていた。
melma! back issue 2006-02-03 Vol.171 total 272 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 9

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

11 オマハにて

 10月24日20時10分、シカゴを離れ西へ向かう。
 翌25日(水)の朝、オマハ着。人口223,000の都市で日本人らしい人には3日の間、1度も会えなかった。ファンティネル・ホテルFontenelle Hotelに先ず落ち着き、ユニオン・パシフィックUnion Pacific鉄道を視察させてもらう。

11-1 ユニオン・パシフィック鉄道の工場
 977両の蒸気機関車、549両のディーゼル電気機関車を受け持つこの工場は中々忙しそうである。局の検修課長は工場内に陣取り、工場長の隣の室で入場計画を指揮している。
 入場計画は形式別(800形式、3900形式、5000形式、7000形式、9000形式)と、第3、第4、第5の修繕程度別とに分けて各々予定計画表なるものを作り図盤の上にかけ、入場状況を一目で分かる様にしている。もしその入場計画に特殊な仕事があればその間を切り取って適当な作業を貼り付ける。

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2006/02/03

海外旅行アンケート

アメリカへは何回 旅行されましたか?

  たびたび実施している趣味のアンケートは、皆さんにご好評とはいうものの、毎回、ネタに困っているのが正直なところで、このところ2、3年前の焼き鈍しなんてものでお茶を濁してしまいました。今回も苦し紛れの感が無きにもあらずです。ちょうど国鉄技師の訪米記を連載していることから、皆さんの渡航経験をお聞きしようと思い付きました。次のカテゴリーの中から一つをお選びください。鉄道または鉄道模型趣味にご興味をお持ちの方なら、どなたでも大歓迎です。コメントボードへの発言も是非、お願いします。締め切りは2月10日18時です。アラスカ、ハワイは北米!、グアムは?

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2006/02/02

国鉄技師訪米記8:再びシカゴへ

機関車の屋根の上には、自動車のハンドルのような丸い鉄でできたアンテナがあり……
melma! Back Number 2006-02-02 Vol.170 total 270 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 8

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

10 再びシカゴへ

 10月5日(木)名残のニューヨーク、ワシントンを後にして夜行列車に乗りシカゴへ帰る。
 翌6日10時30分シカゴ着、荷物は差し当たり必要ないものはシカゴと日本へ送り返しておいたが、それでもスーツケースの大小2個とタイプライターの計3個になり、列車を降りてしばらく赤帽を呼ぶべくホームにいると、「May I help you?(助けてあげようか?)」といって、兵隊さんが一人近づいてきて、1番重いスーツケースを持ち駅の外のタクシー乗り場まで来てくれる。兵隊さんは「Good Luck」と言って去っていったが、米国を旅行して親切にされるのは誠にうれしいもので、愉快な憶い出の一つを得たことを喜んだ。
 宿は前から予約しておいたYMCAホテルに行く。

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2006/02/01

国鉄技師訪米記7:ボルチモア・オハイオ鉄道

9時10分の貨物列車の蒸気機関車に添乗する。
melma! Back Number 2006-02-01 Vol.169 total 270 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 7

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

8 ボルチモア・オハイオ鉄道

 ボルチモア・オハイオ鉄道Baltimore & Ohio鉄道は6,202マイルの営業距離を持ち1,900両の機関車、95,000両の貨車、1,100両の客車を有し、米国では大きい部に入る。本社はバルテモアにあり、そこに宿をとれば都合は良かったが、美しいワシントン市に一旦住んでしまい、そこから毎日往復することにした。
 SCAP事務所からの手紙に依り、本社では私の見学視察計画を決め、次のような書類を作ってくれる。

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国鉄技師訪米記6:ペンシルベニア鉄道

melma! back issue 2006-01-30 Vol.168 total 269 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 6

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

5 ペンシルベニア鉄道

 営業距離9,714マイル、機関車3,607両、貨車196,505両、客車6,913両を有するペンシルベニアPennsylvania鉄道は米国の東部における最も大きな鉄道会社であるし、諸施設の近代化の先端を行くものとして我々鉄道人の目標の一つでもある。
 本社はフィラデルフィア市の中心にあり、東はニューヨーク、西はシカゴまでを運営している。9月18日より1週間この鉄道を見学させてもらうべくフィラデルフィアに出かけたのが14日であった。車両局長コーバー氏は不在で次長のウッド氏が世話をしてくれる。

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