国鉄技師訪米記23:船で帰国
「深海の魚釣」とはどうも判らない。日付変更線を西に向かうと
melma! back issue 2006/09/28 Vol.199 total 306 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 23
このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。
22 船で帰国
11月25日(土)、いよいよ想い出の米国を去る日だ。12時5分、プレジデント・ウィルソンPresident Wilson号は静かにサンフランシスコ湾の中へ滑り出していく。見送りのロンゴ氏とザーム氏は固い握手をしてくれて「この次に来るときには家族を連れておいでなさい」という。
船は一旦ロサンゼルスに2日寄港して、ハワイで半日とまり、横浜まで全コースを15日かかって行くのである。
まず仕事の予定を立て、ハワイまでの間に米国滞在中にお世話になった人への礼状を24通書き、ハワイから日本までの間に帰国後GHQに出すべき報告書を作る。そして余裕の時間は集めたパンフレットの整理と、買ってきた書物類を読むつもりであった。しかし船には遊ぶ道具が豊富だし、じっとして本を読み字を書いていると不愉快な動揺が頭にくる。手紙を書き終え報告書も半分出来たがただそれだけで他は何も出来ない。残念だが仕方なかった。
船の大きさは、重さ15,360トン、長さ455フィート、速度19ノット、乗客の数1等322、3等220(2等はない)とあり、アメリカンプレジデント会社の誇る豪華船である。
22-1 麻雀と囲碁とキャナスタ
日本人と支那人が多数乗船するためか麻雀がおいてある。しかし牌の中で東にはE、南にはS、西にはW、北にはNのマークが入っているし、萬子には算用数字が入れてあったのを見ると、あるいは米人の中でする人もあるのかもしれない。揺れる船の中でも出来る様に、象牙だけで竹はついていない。牌を、傾斜した台の上に載せ各人の前に置く、馴れるとまことにやりやすい。毎日日本人の中の誰かが使用していた。
囲碁もおいてある。しかしこれは日本人の一部がするだけで、多くの場合戸棚に仕舞い込まれていた。
米国人はトランプで遊んでいる。遊技の種類はブリッヂとキャナスタとが圧倒的に多い。キャナスタは今はやりの遊技で、やってみるとなかなか面白い。2人でも3人でも4人でも出来るもので、ヂョーカー2枚入ったトランプを2組計108枚使ってする。恐らく日本でも流行するのではあるまいか。
横浜に船が着く前に麻雀、キャナスタ、ブリッヂ、ピンポン、デッキゴルフのトーナメントがあり、優勝者には船長からトロフィーが渡される。麻雀の優勝者は有元さんであった。
22-2 食堂
何をいくら食べても料金には関係はない。胃袋の丈夫な人には至極有利な条件と言えるかもしれないが、しかし船が揺れて半数ぐらいの乗客は食欲を減ずる。私自身も船酔いでほとんど食べられなかった。
食堂のボーイが盛んにサービスしてくれ、「魚を食べなさい」「今日は鳥がおいしい」「パンケーキを試みなさい」「サンデーが素晴らしい」と色々説明し食欲をそそってはくれるが、肝心の胃袋が少しも要求しない。仕方なしに果物に重点を置いて栄養をとることにした。
食堂のテーブルは各人が好きなメンバーで並ぶことが出来る。私のテーブルには東鉄の信号通信長鈴木嶺夫さんとニューヨークに15年いて明治学院から講師として招聘された松本亨さん(カムカム先生の後任として現在、ラヂオの英語会話の先生)とマニラ大学の先生フューストン氏との4人であった。松本さんとフューストンさんから食事の内容とメニューの説明を聞きながら、食事学を勉強する。
22-3 ハワイ島に寄る
ハワイ列島オアフ島のホノルルに着いたら、フラダンスを見ようと思っていた。しかし船は12月2日の朝着いて同日の夕方には出てしまう。オアフ島の景色を見ただけで、いわゆるハワイの情緒なるものはやはり泊まらねば駄目であった。
ホノルルでは日本に永い間おられた宣教師のポールス夫妻を訪ねると、80歳のポールス氏自身埠頭までお迎えくだされ非常に喜んで歓待し、小島さんを紹介してくれる。
小島さんのご友人夫妻の案内でダイヤモンドヘッド、カピオラニ公園から真珠湾へと向かう。軍港を真下に見下ろす山頂も別に入ることを禁ずるわけでもなく、戦前の日本の感じとだいぶ違う。撮ろうとすれば写真も自由かもしれない。小雨しょぼ降りで視野狭く、ドライブには不適当な日であったが、オアフ島の一面に接することの出来たのは望外の幸せであった。
蒸し暑いホノルルを離れたときは、既に日は西に傾き薄暗くなっていた。
22-4 船ゆれる
12月の太平洋は荒れる時だと船員が説明してくれた通り、ホノルルを出た翌々日からすごい揺れ方をする。上下動、ローリング、ピッチングだけではない。ズーウッと持ち上がったかと思うと、ドッドッドッドーッと船が壊れるかと心配する様な不愉快な動揺で落ちてゆく。乗客は半分は参ってしまった。私も残念ながらこの半分の仲間入りで、食欲もなく、本を読む元気もなく、麻雀をしてごまかそうとしたが駄目であった。往路の飛行機旅行に比較して何と不愉快な旅であろう! もちろん船に強い人々にとってはこのくらいの揺れ方は何でもないらしく、1日3回の食事を十分に摂っているのが羨ましい限りであった。
同行の松本さんとフューストンさんは「船酔いは気持ちの持ち方一つで治りますよ。ネクタイを外して運動しなさい。船室で寝ていてはいけない。歩きなさい! 歩くんです!」という。その通りやってみるがあまり効果はない。ベッドに潜って食堂へは出かけずにリンゴをかじることにしたが、どうもこれが一番良いようであった。
22-5 深海の魚釣
船の中には毎日の日課が発表される。12月5日(火)午前10時…デッキスポーツ、午後3時…お子さん向きの映画、午後8時半…競馬、それに引き続き…ダンス。12月6日(水)一日中…深海で魚釣Deep Water Fishing
以上が日課の一部を抜粋したものである。デッキスポーツはデッキの上で行う遊技で、3時の映画はお子さん向きのもの、競馬は玩具の馬を使う。ダンスは好きな人を連れて勝手に踊れる。しかし「深海の魚釣」とはどうも判らない。
日付変更線を西に向かうと12月5日から7日に飛ぶ。私は8月10日を2日もった代わりに12月6日を失ったわけである。「日付変更線を通過しますので12月5日から7日に飛び6日はありません」という代わりに「12月6日はDeep Water Fishing」としゃれたユーモアであった。
22-6 日本が見える
12月11日5時起床、デッキに上がってみると薄い朝霧の中から房総半島が見える。4ヶ月ぶりの日本の姿である。やはり日本は美しい。デッキでコーヒーを飲みつつ、西を眺めれば真っ白な富士山が朝日に頭を輝かして現れている。
Wonderful、 Beautiful Fuji
異口同音に感嘆の声、写真機を出して、自分の姿と富士山とを撮そうとする人々、全く賑やかな船の上だ。昨日まで船酔いで弱ってた人も今日は素晴らしく元気である。昨日まで暑かった空気は一変して冬になっている。
岸壁が近づくと迎えの人々の姿が見える。父の顔、妻の顔、娘の顔、そして知人の姿、皆うれしそうに笑っている。・・・・・・すがすがしい晴れ渡った冬空の下、プレジデント・ウィルソン号は静かに岸壁に着いた。
■「アメリカン・プレジデント会社」というのは、かのAPL、アメリカン・プレジデント・ラインズのことですね。終戦直後のプレジデント・ウィルソン号は日本に馴染みのある船だとのことで、次に写真、時刻表も出ています。
http://www.tt-museum.jp/war_0180_apl1949.html
http://www.tt-museum.jp/post_05.html
カードゲームの「キャナスタ」については、一寸判りませんでした。スーパーキャナスタという日本で開発されたものがあるようです。
明治学院の「松本亨」先生というのは、英会話教育界では有名な方のようです。著作もたくさんあります。
さて、この訪問記も帰国部分を上掲して、一応「完結」の形となりましたが、いくつかの章を省いています。また巻末の2つの報告書もファンには興味深いページですので、できるだけ早くタイプするつもりなのですが‥‥‥。
>>【[報告]米国鉄道における水処理(上)】
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