« 国鉄技師訪米記25:鉄道における水処理(上) | トップページ | 国鉄技師訪米記27:サンフランシスコ(続) »

2006/10/12

国鉄技師訪米記26:ロサンゼルスの憶い出(続)

貴方はそろそろ罰金を払っても良い時分だ……
melma! back issue 2006/10/12 Vol.203 total 307 copies
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 26

このテキストの経緯と詳細については、第1回をご覧ください。

16 ロサンゼルスの憶い出

16-5 便利な電話

 サンタフェ鉄道の見学を終了して、伊東さんと共にロサンゼルス支社に挨拶に行くことにした。伊東さんはこれから東のトペカの工場を視察するのであるし、私は日本へ帰るお礼を述べるためであった。
 係の人は直ぐにシカゴの本社に連絡して、伊東さんのトペカ行きの都合を尋ねてくれたが、その電話が2,000マイル以上離れたシカゴを呼んでいるのに、相手が数分にして出るには吃驚した。ところが先方が昼食で外出中だという。「しかし時計は10時10分頃だが」と不思議がると、「ロサンゼルスでは10時10分だが、シカゴは12時10分ですよ」という。2時間の時差のある場所が数分でつながる米国の通信にはいささか度肝を抜かれた態であった。

 市内の通話はもちろん直ぐにかかる。日本のように局番だけ呼んでも話中だったり、間違って別の番号へかかることは一度も経験しなかった。日本も早くこうなってもらいたいものと思った。
 また電話の便利な例として会議が出来るという。例えばシカゴの本社とトペカ、サンフランシスコ、ロサンゼルスを相互に連絡しておけば、4人で4カ所において会議になる。「ロサンゼルスの意見は……」と述べると、その通話はシカゴの本社だけでなく他の2カ所にもかかって相談が出来る。すなわち一カ所に集合する必要無しに、数人、十数人の会議も打ち合わせも出来るわけで、まことに便利なものだという。
 電話料金は市内は大抵5セント(18円)でかかる。ホテルの室からかけると15セント(48円)、これは交換手の手をかける理由による。サンフランシスコからロサンゼルスまで約600kmはステーション・コールで5ドル(1,800円)であった。料金は日本のそれよりだいぶ高いようだ。

16-6 罰金

 Bさんの運転してくれた自動車は、もの凄いスピードでロングビーチからロサンゼルスに向かっていた。アトランチック・ブルーバードをまっしぐらに北上し、市内に入りかけた途端、後方から甲高いサイレンの響きが聞こえ、一台の自動車が後をつけてきた。
「あっ、しまった。つかまったか」
とBさんはあきらめ顔で、道路の横につけると、後ろの車はピタリとBさんの自動車をかばうように止まる。一人の警官が降りてきて、Bさんの所まで近づいてくる。
「あなたは免許状をもっていますか」
「もちろん」
「一寸見せてください」
Bさんは免許状を出しながら、
「何か悪いところでもありましたか」と尋ねると警官は一寸うなずき、
「Sure、ありましたとも」
仕方なくBさんは降りて後方の車の所まで行く。(日本式にいうと連行されたのである)
 数分なにやら話し声が聞こえるが、遠くのこととて内容は分からない。しかし途中で突然大きな笑声が聞こえた。5分ばかりするとBさんはさっきの警官と私達の車に戻ってきたが、警官は、終戦後日本にいたとかで、私を懐かしそうに、
「日本のどこですか」
「東京です。あなたはどこにいたのですか」
「三沢飛行場」
「日本が好きですか」
「日本と日本人は大好きです。君は米国が好きですか。米国人は好きですか?」
「米国人は親切だから好きです。しかし米国には自動車が多すぎる」
 Bさんと警官は爆笑する。警官と別れ、Bさんの自動車は再びアトランチック・ブルーバードを北上して行く。
「何の罰金ですか」とBさんに尋ねると、
「40マイルの速度制限箇所を48マイルで走ったから8マイル超過、ラインからライン(3列縦隊の各線をラインという)に移行する場合は30マイル以下にしなければならないのに45マイル出していたから罰金です」
「罰金はいくらですか」
「明日にならねば決まりませんが、だいたい超過1マイルにつき1ドルです。ですから8マイルと15マイルの計23マイルで23ドルでしょう」
「さっき大きな声で笑ったのは?」
「警官が『君は前にいつ罰金を取られたか?』と聞きますので、『4年くらい前』と答えたら、『それならもうそろそろ罰金を払っても良い時分だ』といったので大笑いになったのですよ」
 米国人はユーモアを解し、ユーモアを喜び、ユーモアを愛する国民である。罰金を取る警官さえもが腹の中にユーモアを蓄え、ときどき発散するのを知ってまことに愉快であった。

16-7 ドライブイン

 自動車と離れることの出来ない米国人にとっては、またドライブインDrive inとも別れるわけにはいかないらしい。自動車のままは入れる映画館がドライブイン・シアターDrive in Theater、自動車から降りずに食べられるドライブイン・レストランDrive in Restaurant、自動車の運転台から用が足せる銀行がドライブイン・バンクDrive in Bank等々、これから何が出来るのか我々日本人には想像もつかない。Theater
 ドライブイン・シアターは写真に示すような広々とした場内に、とてつもなく大きなコンクリート作りのスクリーンが端に立ち、ちょうど野球場のように放射状に場内が開き、一定間隙にスピーカーの付いた柱が立っている。青天井であるから、もちろん昼間は使えないし、雨天、雪降りの時は休業せざるを得ない。
 映画館の入り口で入場料を払うことは普通の映画館と同じだが、自動車1台について幾らと払うのではなく、入場係が中をのぞき込み「何人ですから何ドルください」という。乗車しているのが1人であろうと、5人であろうと、1台だったら、面積が同じなのであるから、同一料金にしたら良さそうに、と一寸不思議に考えさせられた。料金を払って入ると、案内係が空いている場所を薄明かりで示してくれる。
 左右の間隙はぎっしり詰まっているが、前後はちょうど自動車の長さだけ空いており、出入りに便のためと、かつ観客の見通しをよくするためにも役立っている。ただ最近製作される自動車の高さはだいたい似ているけれど、古い型にはすごく高いのがあり、この後方に席を占めたときは、えらい迷惑で、時には場所を変えなければならない。所々、見やすい絶好の場所が空いていて、おかしいなと思い、前方を見ると、たいていこの古い型が頑張っている。しかし、入場料に差はないらしい。

 適当な場所で止まって、横の柱からスピーカーを外し、窓から車内へ取り入れてスイッチをひねると、画面のトーキーが聞こえてくる。同行のF氏とこんな会話が交わされる。
「普通の映画館で見た方がよいのではないですか」
「その通りです」
「なぜ、こんなにたくさんの人が集まるのでしょうか」
「第一、気が楽ですよ。婦人は外出着に着替えなくてもよいし、子どもは寝間着のままでも来られます」
「子どもが寝てしまったら、後ろのシートに毛布を掛けて寝かせ得ておけばよいし……」
「なかなか映画館に出かけるに億劫な老人でも容易に来られますからね。一寸くらい声を出して騒いでも隣の迷惑にならない点も長所かもしれません」
 自動車を持っていることが前提条件にならなければ、こんなものは日本ではとても出来るわけがない。

 ドライブイン・レストランは最近、進駐軍用として、東京都内にも見受けられる。乗り付けると、ガラス窓に特殊な構造の足が付いた盆を掛けてくれ、その上に頼んだ料理をサービスガールが運んでくれる。はじめの間は「みんな、足がないわけではなし、何と無精な」と思っていたが、米国での日数がかさみ、ロサンゼルスに来た頃には、これが別におかしくなく、むしろ当然だと感ずるように、センスが変わってしまった。

 ドライブイン・バンクも同様、自動車から降りずに、預金、支払い、その他の事務を依頼できる仕組みになっており、最近各都市でポツポツ試みられているとのこと。
 米国人は自動車と離れることが出来ないし、彼等は常にそれを利用しつつ、行動していることを前提にしないと生活には全く入れない。多すぎるため苦悩していることは前述したが、その反対に都心から恐ろしく離れた人家希なところに、とてつもなく大きな店がある。日本であったら交通不便でとても流行りそうもない場所に、近代的な香りのする店が大いに繁盛している。駐車用地さえあるならば、そして店の中の品物が良ければ、たとえ都心から遠く離れた場所にも買う人を幾らでも集めることが出来る。主婦が買い物をするとき、自由に自動車が使えるからに他ならない。

 急激に膨張した都市には、日本と程度の差こそあれ、住宅不足に悩んでいることは事実らしく、そこここに「トレーラー村」が見える。トレーラーは自動車で引きだせばどこへでも移動できる。便所と風呂とは大抵共用らしく、それらしい建物が中央に位置している。トレーラーの中では、料理と睡眠がとれるけれども実に簡単な生活になろう。日本人がもし今の10倍の富を得たならば、一番はじめにやはり床の間のある家を造るのでは無かろうか。トレーラーの中に押し込められた味気ない生活には到底耐えられない。この点は米国人には日本人に比較して趣味を解しないのかもしれないし、あるいはより質実剛健なのかもしれない。

【追記】MRAはMoral Re-Armamentの略で、Wikipedia英語版に解説がありました。それによれば「ブックマンBookman婦人」というのは誤りでFrank N. D. Buchmanという男性のようです。なお、その関係の相馬、三谷という名字は1952年MRA世界大会日本人参加者リストに現れる二人でしょうか。前者の相馬雪香は尾崎行雄の三女です。2007-3-22

>>【サンフランシスコ

|

« 国鉄技師訪米記25:鉄道における水処理(上) | トップページ | 国鉄技師訪米記27:サンフランシスコ(続) »

国鉄技師訪米記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 国鉄技師訪米記26:ロサンゼルスの憶い出(続):

« 国鉄技師訪米記25:鉄道における水処理(上) | トップページ | 国鉄技師訪米記27:サンフランシスコ(続) »