小田急1972年
ここから線路際に入り込んでいます。それが許された長閑な時代です。
こちらに分岐している線路は、古い砂利ホッパーに繋がっていました。
当時最新鋭だった9000系は4両ユニットが、急行や快速の新宿寄に連結されていたと思います。ただし、この写真は回送です。この車両が既に全車廃車されているとは、信じられません。
こちらは小田原寄に2両が連結されていた切妻1800系で、右の線路2本が砂利ホッパーです。たぶん、これが後年問題となった4000系との併結編成だと思います。空気バネと金属バネの混結が脱線の原因という話ですが、どう考えても変な理屈で、本当の理由を隠蔽したかったのかと勘ぐったものです。
このとき、どういう理由で上京したのか記憶にありません。雑色のピノチオへ行ったのではなかったかと思います。東北沢にはオヤジの会社の東京寮があって、安く泊めてもらえたのです。そこで寝ていたら、ロマンスカーのミュージックホーンが聞こえて、「毎日では迷惑だな」と想いました。
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