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2008/01/27

小田急1972年

 大昔に撮影したモノクロプリントが出てきたので紹介します。
 時は昭和47年(1972年)4月10日朝、場所は小田急の東北沢駅とメモにあります。アルバイトの金で買ったばかりのNikomat FTN、レンズは50mm f2.0です。単にDPE店で焼いてもらったサービス版ですから、画質は最悪です。どこかにあるはずのネガが見つかれば、もう少しマシなものをお見せできるのですが、取りあえずということで……【画像はクリックで拡大します】

 まず1枚目は、駅の跨線橋から撮ったもので、パンタグラフの架線を擦る音がシューと大きかったのが印象的でした。既に摺り板は合金系を使っていたのでしょうか。
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 ここから線路際に入り込んでいます。それが許された長閑な時代です。
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 こちらに分岐している線路は、古い砂利ホッパーに繋がっていました。
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 当時最新鋭だった9000系は4両ユニットが、急行や快速の新宿寄に連結されていたと思います。ただし、この写真は回送です。この車両が既に全車廃車されているとは、信じられません。
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 こちらは小田原寄に2両が連結されていた切妻1800系で、右の線路2本が砂利ホッパーです。たぶん、これが後年問題となった4000系との併結編成だと思います。空気バネと金属バネの混結が脱線の原因という話ですが、どう考えても変な理屈で、本当の理由を隠蔽したかったのかと勘ぐったものです。
Img727a

 このとき、どういう理由で上京したのか記憶にありません。雑色のピノチオへ行ったのではなかったかと思います。東北沢にはオヤジの会社の東京寮があって、安く泊めてもらえたのです。そこで寝ていたら、ロマンスカーのミュージックホーンが聞こえて、「毎日では迷惑だな」と想いました。

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