Oスケール・ウエストとJAMと
意外かつ嬉しかったのは、様々な方とお会いできたことです。10年前にGS-4を買ったRod Miller氏は覚えていてくれたし、通販で利用したことのあるAmerican O ScaleのBill Davis氏には奥様を紹介され、インターマウンテン社の創業者Jerry Porter氏とも会えました。ある方にはeBayオークションでディーゼル機を売ったと名乗られてビックリもしました。さらに日本人でインターネット上だけの知己だったAll Aboard!のnortherns484氏と、dda40x氏を交えて夕食をご一緒させていただきました。また、私の住む隣町である枚方から来られた方が出展されていて、貨車2両を譲っていただいたりもしています。
そうです。1998年も初めてだったにも関わらず、こうでした。たくさんの出展者と片言の英語で話をし、モデルを購入して握手をした思い出があります。
そうです。その後の2000年に始まったJAMコンベンションに、この雰囲気を期待したのですけれど、何かが違ったのです。第1回から第3回までは所属するNAPMの展示に丸々参加したものの違和感を感じて、第4回は1日だけの見学となりました。
2006年の第7回は大阪での開催で、NAPMも組織的な参加が無理ということで、地元である私が個人参加を試みました。その顛末を流線形コレクションと題して紹介しましたが、そのときに朧気ながら感じ始めていたものを今、はっきりと意識しています。
私が求めるものは、人と人との結びつき、出会いなのですね。
ところで、Oスケール・ウエストとJAMとでは根本的な違いがあります。それは入場者の質です。前者が熱烈な愛好者だけなのに対して、後者は玉石混淆、数万人の大多数がモデリングの未経験者と言えます。もちろんJAM主催者の眼目は絶対多数者で、その結果として昨今の大ブームが巻き起こっているということになるのでしょう。
しかし、私はディープな方と話がしたいのです。大多数の「UP」も「アサーン」も知らない連中ではなくて、その中に混じっておられる、「SD40-2の中期型」や「ケーディーの#58」が分かる、貴重なホンの10人?程度と親交を暖めたいのです。
それがJAMでも個人出展では可能で、クラブという形態では希薄になる理由は、一つには「顔」の問題があると思います。個人出展なら明白となりますが、クラブでは主体がはっきりしないという面があります。
これを解決するために、参加証の名前を大きくしたら、という思いつきはどうでしょう。Bill Davis氏は私のそれを見ただけで「クリウサン」と呼びかけてきました。クラブ独自で大きな名札を作るという手もあります。私を含めて同好の士は結構シャイな方が多いので、これを釣り上げる仕組みには工夫が要ります。
それと、その後に会話も盛り上げる場所も必要です。大多数者の邪魔にならないところで、できれば腰掛けることが出来れば最高でしょう。クラブへの勧誘云々は野暮で、それを抜きにしても両者共に充実した時間を過ごすことができるはずです。
NAPM(North American Prototype Modelers)のメーリング・リストでは今、JAM参加の是非が取り上げられているにも関わらず、なかなか気運が盛り上がらないようです。ただ、数少ないアメリカ型クラブとしての責任、といってはオーバーかも知れませんが、参加しなければ何も始まらないし‥‥というわけで、軸足を踏み換えるというのはどうでしょうか。まあ展示自体はJAM主催者への顔が立つ程度にしておけばよいのではないかと‥‥。
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