京阪中書島の線路
Truck •arrangement of the Tyushojima-station, the Keihan Line
我々モデラーの間で「中書島」を「ちゅうしょじま」と読むことが知れ渡ったのは、鉄道模型趣味誌1968年9月号(通巻243号)の坂本衛氏の記事ではなかったかと思います。今その号を直ぐに出せる状況にないので確認は出来ないのですが、「京都市電が折り返している」という様なことが書かれていたはずです。
ヤマさんが御自身のブログに古い写真を披露してくださったので、「私も」っと探したものの、これまた整理が悪くて出てきません。ただし、線路に注目して撮影したことが無かったので、通りがかったついでというか、わざわざ電車を降りてシャッターを押しまくってきました。全てが駅の構内という安直さですけれど……。【画像はクリックで拡大します】
先ず、グーグル地図をご覧ください。この線路配置は結構忠実です。ホームが描かれていませんが、京阪本線の北側と、宇治線の南側に片面式、その中間に島式が存在し、線路は北から順番に1、2、3、4番線となっています。西が淀屋橋方、北東が三条方、東が宇治方です。太く「中書島」と書かれた「中」の字の辺りに確かバスのターンテーブルがありました。
Googleマップへ【ジャンプした先の、地図左辺の三角印をクリックすると横長となります】
残念ながら地図だとカーブポイントの実感が湧きません。トップの写真は話題とした三条方の外方分岐の辺りです。昔は曲線に大きなカントが付いていました。今は特急を含む全列車が停車する様になったので、それがほとんど無くなっている……という筋書きを考えていたのですけれど、あるいは私の思い違いで、昔からこんなものだったかも知れません。ホーム中程のカントがソコソコあるのでちょっと自信が無くなってきました。
次は4番線ホームから三条方を眺めた画です。
2つある3灯式出発信号機の、左に「三条方」、右に「宇治方」とあるのを判読いただけると思います。昔、宇治発、中書島経由三条行きは、この4番線から右へ分岐してシングルスリップを渡り、最初の写真の外方分岐、さらに渡り線を越えるという経路をたどりました。スーパーカー2000系は3ノッチを持つと抵抗段を抜けて加速してしまうので、2ノッチまででダマしダマし速度を維持する、という様なことだったはずです。
また、ときどき1900系の標準ミンデン車が車体の裾をホームに擦ってきて、調べると決まって中書島ということがありました。たぶんこのヘンテコなシングルスリップ辺りではなかったかと思います。FS347のホイルベースが長いからというのが定説でしたが、私は空気バネのダンピングを疑っていました。
次は3・4番線島式ホームから宇治方の眺めです。折しもやってきた中書島折返し2600系4連は、シーサスを渡って手前3番線に入ってきます。
昔は左の留置線に朝のラッシュが終わってから夕方まで1編成が泊まっていたものです。さらにその左は本線とに挟まれた三角形の土地で、今は踏切が通じて駐車場になっていますが、元は美しく手入れをされた芝生でした。「今日も一日お元気で」みたいな標語を掲げた塔が立っていた記憶があります。
1番右の側線は「臨港線」と呼ばれていました。地図のとおり、スイッチバックして西方へ延びる短い線があり、曰く因縁があるようです。
ところで、7001編成だったかが完成したときに中書島折返しの試運転で、この臨港線にしばらく留め置いたことがあります。そのとき南隣の石鹸工場で火災が発生し、輻射熱で正面のガラスにヒビが入ってしまったのです。悪いときには悪いことが重なって、予備品が未入荷で、しばらくはそのまま営業で走ったのではなかったかと……。
また、この工場の異臭が酷かったのですが、いつの頃からか臭わなくなりました。
2番線と3番線の間の三条方に古いレールが積んであります。摩耗して取り替えたトングレールなどで、まさかの時の備えとして置いてあるようです。なにせ皆、特注寸法ですから、何かあったらこれで代替品が納品されるまで保たせるつもりなのでしょう。
次は同じ2・3番ホームの反対寄、淀屋橋方から西側の渡り線を撮影しています。滅多やたらとカーブポイントです。
本来この駅は、こちらから宇治へ直通することを考えて線形が構成されているようです。開通当時の1型や100型は連結器を持っていずに列車は全て単車でしたから、ホームも短くポイントの位置はもっと駅中心に近いところにあって標準品が使えていたはずです。それが徐々に編成が長くなって外寄りに移設せざるを得なくなり、終いにはやむを得ずカーブ・ポイントにしたということなのでしょう。
この写真に見える左の側線に確か翌朝の宇治線始発電車を留め、乗務員は駅舎内で仮泊していました。車庫が深草にあった頃の話です。
その当時と較べると、南口が出来てバスが発着する様になり、また跨線橋も設けられました。後者は、モデラー的には屋根上の撮影を期待したいにもかかわらず、窓ガラスが小さい上に嵌め殺しで、右の様にほとんどダメです。
この跨線橋を造った根本的な理由は、時期的にズレがあるものの、三条・宇治間の直通列車をやめるので、代わりに乗り換えの便を良くするということだったはずです。ついでにエレベーターとエスカレータを設けてバリアフリー化も行われました。
直通列車の断念は、宇治線そのままの4連では本線の輸送量を満たせないということが第一だったようです。特急停車はJR奈良線の電化複線化、スピードアップへの対抗処置で、どちらかというと、宇治線沿線から京都方面は諦めて、大阪方面を死守しようという目論見だったような気がします。詳しくはウィキペディアの中書島駅の項をご参照ください。
【追記】ヤマさんのブログに1971年当時の、宇治方のほぼ同じアングルの写真が掲載されました。臨港線と標語塔が写っています。2008-06-22
【追記2】元保線屋の友人によれば、3番線から京都方へ出るヘンテコなシングルスリップは、交叉番手5.2番を90mRで構成するとこうなる、とのことでした。また、カントは特急停車でも変更していないそうです。2008-10-20
【追記3】鉄道模型趣味の坂本衛氏の記事は、1988年刊「シーナリィ・ストラクチャー・ガイド1」に再録されていました。2008-12-29
【追記4】ヤマさんのブログに線路図が紹介されました。それに拠れば「臨港線」は6番線で、今は跡形もなくなっています。ガラスにヒビが入った7001編成を留めていたのは7番線の辺りです。2009-04-01
【追記5】「Cedarの今昔写真日記」に、昭和48/1973年10月の写真が紹介されました。1900系の特急が最後の頑張りを見せていたころです。2011-11-02
京阪電鉄 京阪電車 Keihan Electric Railway
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コメント
こんにちは。たくさんの写真拝見しました。
京都方のカントは8000系の位置ではまだそんなに強くないですね。もう少し進んで外方分岐のある付近では、かなり傾くのではないでしょうか。
開業時のポール単車時代の線形をほぼそのまま使っているところでは苦しい線路配置になって来ているのは仕方ないところでしょう。
そういえば京阪もあと数年で開業100周年ですね。
投稿: ヤマ | 2008/06/22 00:00