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2008/07/24

弁慶号の連結器は? ミラー式の話

The Miller coupler and it's usage in Japan

 前回の自動連結器開発についての文中に、エズラ・ミラーEzra Millerなる半自動カプラーが出てきます。ふとした出来心で検索を掛けてみると、予想に反し資料がたくさん見つかって構造まで判ってしまいました。おまけに日本でも採用されていたらしいのです。その辺りを紹介しましょう。【画像はクリックで拡大します】

 まず、Ezra Miller and his Hook Couplerなるテキストが、Mid-Continent Railway Muzeumというサイトにありました。ここは、ミラーが活躍したウィスコンシン州を解説するノースフリーダムにある博物館です。掲載した図版はここのものです。

 カプラーの構造は一寸見るとモデルのそれのようでビックリです。フック・カプラーの名の通り、引っ掛けカギそのものです。これで牽引力を伝えます。それから推進力はバッファーです。平面図をクリックして拡大するとよく分かるのですが、組み合ったカプラーの陰に隠れて、中心線上に破線(点線)でそれが押し合っている状態が描かれています。

Draw1

 一見すると本誌「草創期の自動連結器」に載せた「複雑なるバッファー付き」とあるジェイニー式の構成によく似ていて、それに影響を与えたことは十分に考えられます。プラットフォーム・バッファーは、アメリカでは自動連結器が普及しても後年まで使われましたから、歴史的な発明という意味では"半自動カプラー"よりも、前後衝動防止のこちらの価値の方が高いのかもしれません。

 連結は、モデルと同じように軽く当てるだけのはずです。フックは模型のX2F=ホーンフック型の様に弱いバネで水平方向に押されていますから、カチっと連結できそうです。
 解放は、デッキ上のレバーを引きます。すると、床下でチェーンがフックを引っ張って、外すという仕組みです。機関車で引き離しに掛かるタイミングと、レバーを引くタイミングとを無理に合わさなくても、引いたレバーをどこかに引っ掛けておけば済みます。連結された2両ともレバーを引っ張る必要があったと思います。

Draw2

 ということは、このフックの刃の部分の角度が大変に難しく、きつくすれば解放し難くく、緩くすれば自然解放を起こすというジレンマがありそうです。とくに分岐などの小カーブで車体が振れたときに、フックの首振り角度が追随しないで自然解放ということがあるのではないでしょうか。また、この接触面が保守上の隘路になったことでしょう。
 それから、上下の食い違いでフックが外れないかという、実際に経験したモデラーならではの心配があります。
 なお、平面図はボトム・ビューですから、フックの向きは(親指を上にした)左手です。これはジェイニー式の右手とは異なります。ことによるとエズラ・ミラーは左利きだったのかも知れません。

 ここで一つ大きな問題はピンリンク式との併結です。客車と貨車が別のカプラーなのですから、機関車は両方と連結する必要があります。後述の復元車のページの連結器を見ると、フックの横にスリットを切って縦にピンが立ててあります。ということは、ここにリンクを掛けたはずなのですが、では推進力はどうしたのでしょうか。位置関係からいって、フックの尖った先でピンリンク式のアサガオを押すか、あるいはミラー式のバッファーをアサガオに突き当てる方法を思いつきます。
 いずれにしろ、パテントのテキストを読めば多くは書いてあることかも知れません。何しろグウタラで自動翻訳に掛けられない英文は避ける癖が付いているものですから……。

 そのパテントを紹介するセントラル・パシフィック鉄道博物館のサイトには、このカプラーが1860年代から90年代に掛けてCP、D&RG、NP等で使われ、他鉄道と連絡しないBoston Revere Beach & Lynnでは長く残ったとあります。使用されたのが客車列車というのは判るとして、fruit and silk equipmentのシルク=絹が不明です。

 木造車時代に拘ったHPには左の古い写真とともに復元車が紹介されています。連結器のレプリカまで作っていますから、たぶん連結解放の様子を博物館でディスプレーする予定ではないかと思います。
 使われたのは専ら客車で、貨車に適用されなかった理由は、第1にコスト、それから高い特許料、それと貨車には構造を収めることが難しかったとあります。
 このミラー式は、ネジ式のようにバッファーが必要不可欠な仕組みですから、そこまでの滑らかな連結が貨車には求められなかったということもあるはずです。
 なお機関車は、そのテンダーに客車のようなプラットホーム=デッキがないので、スペース的に装備出来なかった可能性があります。

 エズラ・ミラーを"great-great grandfather"と呼ぶ子孫の手になる短い伝記もありました。1812年にニュージャージー州で生まれ、土木工学、地政学、機械工学を修めて、ニューヨーク州兵となり大佐まで昇進、その後、新しい州であるウィスコンシン州に移住して州所有地の調査やC&NWの建設工事に関わる。1851年にウィスコンシン州軍の大佐、1852年に州議会議員に当選して1期務める。1853年からC&NWに勤めてカプラーの研究を続けて1863、65、66年に特許を取得する。1866年にニューヨークのブルックリンに移り住んで1885年に亡くなったなどとあります。どうも"大"富豪となったようです。
 興味深いのは、エリ・ジェイニーをLevi Janneyと呼んでいることです。ジェイニー式はミラー式の改良で、AAR(MCBA)の統一カプラーもジェイニー・ミラー型と呼ばれていて、ミラーが落ちた(dropped)と書いてあります。1884年にペンシルベニア他の鉄道を相手に特許料支払いを求めて訴訟を起こしたとあるのは、前回の記事に符合するのかも知れません。

 ところでミラー式についての記述が、「アメリカの鉄道史-SLがつくった国-(当ブログの紹介記事)」p81にもありました。
 それによれば、「アメリカではミラー式というピンリンク式が多かった。…1880年、北海道の幌内鉄道【1889年に北海道炭鉱鉄道=北炭】はアメリカ式で建設されてミラー式連結器を採用したが、北海道官設鉄道は(本州以南の官営鉄道)と同じイギリス式を採用していた。そこで両鉄道は1899年、同時に新式のジェニー式【原文のまま】に改めた。ただし、北炭の車両は…ミラー式の取付位置が低かっため、特別の工夫を要した」とのことです。著者には別に「幌内鉄道史」という著作もあって、この辺りの記述は正確だと思います。

 MCBAがジェイニー式を標準と定めたのが1887年ですから、時期的に考えて1880年開業の幌内鉄道がエズラ・ミラー式で間違い無いところです。極東新興国の3フィート半ナローには似合わない高級仕様だったはずです。採用したのはアメリカと同じように旅客列車だけで、貨車は当然ピンリンク式だったと思います。「取付位置が低かった」という問題も納得です。

 すなわち、自動連結器が北海道で最初に採用されたのは間違いがないのですが、「北海道は最初から自動連結器」というコメントは錯誤ということになります。さいたま市の鉄道博物館を訪問された方の報告では、開拓使号か弁慶号の説明文には「ミラー式"自動"連結器」とのコメントがあるようです。ただし前述のように、客車は断言できるものの、機関車はマユツバです。

【追記1】セントラル・パシフィック鉄道博物館で、CPの客貨車をCar Builder's Dictionaryの1884年版から紹介するページに、なんとミラー式を装備したFruit Carなるベンチレーター付貨車の図面がありました。旅客列車に併結されたのでしょうか。まさか、頻繁に解結するとか、前後衝撃でフルーツが傷まない様になどということは無いと思いますが……。それにこのボックスカーの写真はどうでしょうか。
 また、手持ちのJohn H. White著「The American Railroad Passenger Car」のp564から3頁に渡って解説がありました。Googleのブックレビューでも一部を覗けます。2008-07-27

【追記2】「ミラー式連結器が、旅客列車のほか、それ並みの速度で運転された、果物や"絹"を運搬する列車に使われた……」という件で、参考となる記述を見つけました。山之内秀一郎著「世界鉄道めぐり 歴史と芸術を訪ねて」のp106に拠れば、エンパイア・ビルダーと呼ばれたジェームズ・ジェローム・ヒルの時代、日本や中国から輸入された傷み易い生糸を高速で運ぶために、GNでは年間43本の専用列車を走らせたとのことです。そういう需要があった様です。2009-01-19

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