JR東山トンネル西口の跨線橋
線路は複々線の、外側2線が列車線で、内側2線が電車線という京阪神間共通の配置です。
線路南側土手上の道を進むと、80mほどで跨線橋に辿り着きます。上のグーグルマップのちょうど真ん中に白く写っています。道からは階段を下ります。跨線橋の床はコンクリートで不安感はありません。テスリが"鉄"というところが鉄道屋の作りだと思わせてくれます。
橋の上からはトンネル・ポータルが、真正面に眺められます。列車が通ると、橋が華奢ですから結構迫力があります。
線路の北側まで渡りきって、細い路地を抜けて回り込むと、地図で「コ」字形に曲がっている角辺りが高台になっていて、逆光とはなるものの、見晴らしが抜群です。
向かいに見えるコンクリート柱の中が西行(下り)列車線です。左がトンネル側で、この景色に見覚えのある方がおられるはずです。そう、TMS=鉄道模型趣味誌1967年11月号に坂本衛氏が"箱形トンネル"と紹介されたシーンです。下がその写真で、今まさに工事中です。(1988年刊「シーナリィ・ストラクチャーガイド1」に再録)
ということは、レール組の跨線橋はこの頃に出来たのでしょうか。
ここで、並んでいるトンネル・ポータルの間に変なモノを見付けました。長い階段の右横です。
これ、ケーブルカー? インクラインですよね。坂本衛氏の写真にはありませんが、その頃に存在した保線区か何かへのアクセスのために設けられたのではないかと思います。
京都駅と、高倉跨線橋についての駄文も併せてお読みいただければ幸いです。
【追記】この跨線橋の下を走る列車から撮影しようと何度か試みたのですが、この辺りは速度が乗っていて失敗続きでした。今日、何とか右のレベルが撮れました。まあ、モデル化したい方がおられましたらご連絡いただければ再チャレンジします。
橋脚の北と南では3本ずつ構造が異なりますので、南は線増時の延長かも知れません。2009-04-10
【追記】TransPacific O' Museumを展開しているブログの主催者から、来年の2月末で閉鎖する、と言ってきました。Movable Type形式でデータ書き出しができるということなので、取りあえずテキスト・データは吸い上げました。移転先を物色しているものの、帯に短しタスキに長しで……(>_<)
【追記2】O' Museumを展開していたサイトはその後、引き受けるソフト会社が現れて、ドメイン名を変更して継続することとなりました。当方のデータは一部、移行し始めていたものの、使い勝手などを考えて、引き続きこちらで展開することにします。ただ、Oゲージの玉手箱とアメリカ型資料室の二つに分割しました。2009-03-01
ただし、2011年に入ってシステムの変更が行われて使い勝手が悪くなったため、引っ越しを敢行しました。新しいサイトは、Oゲージの玉手箱と、アメリカ型資料室です。
【追記3】2017年5月上旬、このページの閲覧数が急増して、さては跨線橋が撤去されたかと勘ぐりました。3か月後に通り掛かって一瞥したところでは9年前と変化はありません。盛夏は木々の葉が生い茂って見通しが悪いですね。2017-08-29
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コメント
最近は東山界隈で出没されているんですか。
この付近はいろいろおもしろそうなものがあるんですね。
自分が1967年1月に80系先頭から撮影した東山トンネル西口の写真にはインクラインはないようなので、坂本さんの写真とも時期的に一致するようです。
今年も残り少なくなりましたが、引き続きよろしくお願い申し上げます。
投稿: ヤマ | 2008/12/31 11:55
石清水八幡宮辺りから近江神宮辺りまで、鉄道を含め、曜日時間帯によって、経路を微妙に換えて通勤しています。東大路通南下は本来、深夜ルートです(^-^;
新しい年も宜しくお願いします。
投稿: ワークスK | 2009/01/01 11:17