しなの鉄道の2009新年
The 2009 new-year visit to Shinano Railway
この正月に何十年ぶりかで小学校の同級会があって信越本線、もとい、しなの鉄道の上田へ日帰りで行って来ました。めったに帰省することもなく、するときはいつも車でしたから、鉄道名が変わって初めての利用です。
京都から新幹線で名古屋、そこから特急"しなの"で篠ノ井まで、さらに"しなの"鉄道で上田という行路です。 自宅近くでバスに乗り込んで上田駅の改札を出るまで5時間半ですから、車よりは30分ほど速いかと思います。まあ費用のことを考えれば、2人以上なら車でしょう。今回は単身で、しかもアルコールが入るという理由です。
駅前の中華料理屋の2階に集まったのは10人で、女性は3人、中で4年生終了時に山形天童へ転校したヒデタカ君が来てくれたのはビックリでした。ユミコさんは孫が4人もいるというし、ノブユキ君は頭が真っ白、当時26歳で颯爽としていたヒロユキ先生は好々爺然。歳月の経過を感じさせます、って、他人のことは言えません。でも、KYなトオル君や、姉御肌のミエコさん、直ぐにムキになるミノル君、お淑やかなフクエさん、理屈っぽいヒデユキ君は全く変わっていませんでした。【写真はクリックで拡大します】
そして、仲の良かったミチオ君は今でもテッちゃんをやっていて、しなの鉄道のファンクラブに入っているのだそうです。
年1万円の会費は車両清掃などに使われるとのこと。また、会員の個人名が車内に掲げられていて、ミチオ君の名は「S2」編成の軽井沢寄車両と言っていたので、念のため、篠ノ井ですれ違った115系の写真を拡大してみたら、これが「S2」でした。
また、篠ノ井から上田まで乗車した169系が湘南カラーだったので、てっきりJR東からの乗り入れかと思ったら、1編成だけを塗り替えた「S52」編成とのことで、二度ビックリです。一番上の写真が「S2」の発車直後で、接近する列車が「S52」、その先は長野です。
それにしてもこの169系は車内が回転リクライニングシートでユッタリとしているし、快速ということもあって速い上に揺れが少なく頗る快適でした。
次の写真は帰りの上田駅で、左が高架の新幹線です。
一つ、意外だったのは篠ノ井や坂城(さかき)、西上田という駅構内にタンク車が多かったことです。碓氷峠が通れませんから、松本か直江津を回って来たことになり、この周辺はガソリン代が高いかもしれません。
上は夜の復路、右は昼の往路での撮影で、いずれも乗り換えた篠ノ井です。
Yahoo地図で篠ノ井の航空写真を見ると、タンク車が疎らですが、私の訪問時には賑やかでした。すべて淡青緑とグレーの塗り分けで、タキ1000形というのでしょうか。
坂城と西上田(昔の北塩尻)は、共に快速列車が通過で、シャッターを押し損ないました。西上田はブルーまたは黒一色ばかりです。
なお、Googleマップの方は、坂城や西上田付近が1両1両が確認できるほどに拡大できません。
貨車の牽引はJR東のEF64が入線しているとのことで、軽軸重のEF62専用だった頃からは路盤が改良されているはずです。これも電車の乗り心地向上に貢献していると思います。
さて、往路の名古屋駅では乗換時間が30分ほどあったので、少しウロウロしてみました。
感激したのは、ホームの突端まで進めることで、途中に柵があって通センボされる京都駅や大阪駅とはエラい違いです。写真は午前中に順光の西方です。
線路配置にダブルスリップの無いのは一緒で、この辺りの方針は日本全国共通の様です。
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2年後に永住することになるとは夢にも思わず……
彦根駅の構内まで一般人が入れるなんて、長閑な時代
夏の日差しの照りつける中を、ひたすら歩いた記憶とともに。
マツダ工場の記憶より、路面電車の思い出……
確か、昭和49年、1974年の夏だと思うのですが……。ついでに北陸本線の電車も2枚
大阪からそう遠くない地に、2軸客車が走っていた
まあ、思いは複雑なのですけどね……
リキが入っていた様な、いなかった様な……
心をときめかせてシャッターを切ったお嬢様方も今では……
それは決して戻らない夏。さわやかな風が吹き抜けたあの日
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