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2009/04/13

カブリツキ鉄橋巡り-近鉄澱川橋梁

Steel bridge fanning by semi-cab-ride, part 3: Yodo River Bridge on Kintetsu Kyoto-Line

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 このところ続けているブリッジについての記事は、カーブとの取り合わせが元々の趣向なのですが、今回は全くの直線である近鉄京都線、澱川橋梁です。【写真はクリックで拡大します】

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 この橋の名称は、宇治川に架かっているにもかかわらず宇治川橋梁ではなくて、ヤマさんの記事にもあった通り「澱川(よどがわ)橋梁」、すなわち淀川の名を騙っています。これは、琵琶湖から流れ出る瀬田川が宇治川と名を変えて、さらに桂川と木津川を合流して淀川となる水系全てが法律上は「淀川」という名称になっているからです。

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 昨年に大規模な塗り替え工事が完成していたこともあって、これを機会に出掛けてみました。
 場所は近鉄京都線の桃山御陵前(ももやまごりょうまえ)と向島(むかいじま)の間。歩くのでしたら、京阪宇治線の観月橋(かんげつきょう)が直近です(次のGoogle航空写真の右上)。

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 次の写真は、澱川橋梁の直ぐ東にある、国道24号線が宇治川を跨ぐ、その名も観月橋(Google航空写真の右)から撮影しました。画面としてはもう少し下部を入れたいものの、ガスか何かのパイプが走っています。

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 橋のたもとへは両岸とも堤防上を歩いて近寄れます。ただし、余りにもバカでかいので、よほどの広角レンズでないとウィキペディア日本語版の様に全体を収めることは困難です。
 ですから、ここは安直にキャブライドがお勧めです。長い道を歩く必要もなく、冷暖房が効いていて、景色の方から勝手に移ってくれるのですから、この上なくラクチンです。

 さて次は、「南山城の鉄道100年」に掲載されていた絵葉書です。この冊子は1998年京都府立山城郷土資料館刊全48頁で、いうなれば展示目録です。澱川橋梁のモノクロ写真は、1928年奈良電が作成した沿線寺社等16枚組の中の一枚とのことで、詞書きに「澱川鉄橋(総工費85万円を要した東洋一の無脚吊橋)」とあります。まあ、今は日本一のようです。

Img036

Img033_2 左はこの冊子の表紙で、「片町線のC11形蒸気機関車1972年奥西次男氏撮影」と記されています。

 また、「京都滋賀 鉄道の歴史(田中真人,西藤二郎,宇田正著 京都新聞社1998年刊)」のp315辺りから奈良電の解説があります。ウィキペディア日本語版の「奈良電気鉄道」の項と重複しますが、この橋についての記述を以下、ざっと引用します。
 奈良電鉄の路線はほぼ平坦な直線で、大きな構築物としては木津川と淀川(宇治川)への架橋くらいであった。当初は木津川と同じようにガーダー8連を架設する計画であったが、付近が第16師団工兵隊の架橋演習、あるいは渡河演習に使用されており、橋脚が設置されると、とりわけ夜間の架橋演習に危険がともなうとして設置場所の変更を強要された。経路変更は不可能ということで無橋脚構造に変え、天皇即位大典に合わせて、1928年4月1日着工、10月16日竣工。鋼材は国内調達の時間的余裕が無く大半をアメリカ・ベツレヘム社より輸入。総重量1,839トン、6両編成61トンの列車が橋上ですれ違っても十分に耐える想定。

 土木学会のアーカイブス「歴史的鋼橋集覧」には設計図もあります。ただ、支間164.5m、高さ24.4mという数字は、Nゲージで1,097×163mm、HOに至っては2,056×305mmという大きさにもなりますから……。

【追記】松尾橋梁の歴史を紹介したページにこの橋に言及した記述を発見しました。土木学会の歴史的鋼橋集覧で「設計者/設計年:関場茂樹/1927 製作者/製作年:川崎造船所(兵庫工場)/1928」となっている経緯を何となく臭わす内容です。2009-05-02

P1020516e 【追記2】友人に佐藤博之・浅香勝輔著, 古今書院「民営鉄道の歴史がある景観Ⅰ」を拝借しました。1986年刊で1990年に第6刷ということは、そこそこ出回った本なのでしょう。ここに澱川橋梁のことが詳しく記されています。1963年刊「奈良電鉄社史」を引用した工程を示すイラストや、施工を請け負った大林組が提供したという写真を掲載していますから、この橋についての第一級の資料だと思います。

 設計開始が1927年9月末で、竣工が1928年10月30日ですから13ヶ月で完成したことになり、日本からアメリカへの発注だけでも日数を食うのに、と思ったのですが、奈良電鉄社史では「全鋼材の83%におよぶ約1,500tを、米国ベツレヘム社に電報発注し輸入した」とのことです。
 海底ケーブルで東京とサンフランシスコが繋がったのは1906年ですけれど、料金が心配になります。また「ダークグリーンに塗り上げた」とあって、現在よりも暗めの色だったようです。
 ところで橋北詰のS字カーブについては記述がありません。あるいは1981年に出た朝日新聞大阪本社社会部刊「関西の私鉄」だったでしょうか。2009-07-21

【追記3】民営鉄道の歴史がある景観Ⅱ」p337に出ていた陸軍渡河訓練の写真です。「京都第16師団工兵第16大隊の将校だった父親のアルバムにあった」と西村亮一という方が提供されています。「淀川右岸下流から見たもので、向島(むかいじま)の酒蔵が対岸に見えております」という説明文が付いていたとのことです。船の上は戦車ですか。2010-05-28>>contax2さんのコメントをご参照ください。

宇治川渡河訓練

【追記4】RMモデルズの2010年11月号がJAMの様子を伝えていて、その中にCASCOというメーカーが試作品を展示とありました。掲載の写真が上空から見下ろしたアングルという理由からでしょうか、トラスの背が低くて、普通のトラス橋よりも長細く見えることに唖然とさせられます。
 もちろん、これこそがプラット分格トラス、ペンシルベニア・トラスの真髄で、鋼材料を効率的に使う設計技術が詰まっているはずです。ですから、本来の80%とか50%に縮めてモデル化するのは意味がなくて、100%としないことにはスケール感を表現できないと思います。
 ネットを検索すると同社のブログに紹介されていました。掲示板の方(発言番号1645)にも同時ポストしておきます。2010-09-22

【追記5】宇治市にある写真館のサイトで、工事中の姿を見つけました。2011-03-28

Naraden1

【追記6】トラスにはハウHoweとプラットPrattがあって、両者は斜材に加わる力の種類が異なることが特徴です。ハウが圧縮力で、プラットが引張力ということで、大きな構造物になると、長い部材が引張力となるプラットの方が座屈の面で有利です。
 その派生型が分格トラスのペンシルベニアPennsylvaniaとボルティモアBaltimoreです。その説明では、斜材の座屈を防止するために短い垂直材と斜材を追加するとされます。しかし、座屈は圧縮力を受けて発生するのだから矛盾するのでは……という質問をMRフォーラムで仕掛けてみました。

 結果は、自称専門家が出てきて、荷重点の移動により長斜材に引張力が働くときがあるという答えが返ってきて、これで納得しました。
 もう一つの利点は、載荷桁のスパンが半分となり全体的に軽量化できることたといいます。橋梁の自重を加味すれば、斜材が異様に細い磐越西線の一ノ戸川橋梁も理解できます(ウィキペディア日本語版)。

 この橋は、ボルティモアですけれど、ペンシルベニアも一緒です。澱川橋梁ではさらに曲弦材と長垂直材の中間点を支える補助材を入れて、両者の座屈を抑えるということなのでしょう。なお、アメリカのボルティモアは比較的短いものが多いのですけれど、我が国では長めが多く、これもスパン61mです。たぶん、曲弦のペンシルベニアは計算や製造が面倒というようなことなのでは……(笑) 2017-01-20

■鉄橋関係については記事と資料リンク先のリストもご参照ください。

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コメント

国道から真横の姿が撮れるんですね。ここは近いので、自分も撮りに行ってみたいです。

投稿: ヤマ | 2009/04/14 19:01

小型の揚陸艇(小発)4隻を繋いで89式中戦車(だと思いますが)の途河訓練中

>>解説ありがとうございます。なるほど、よくよく見れば4隻ですね。89式ってこれですか。【ワークスK】

投稿: contax2 | 2010/06/03 19:55

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