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2009/04/08

カブリツキ鉄橋巡り-京阪線

Steel bridge fanning by semi-cab-ride, part 1: Keihan-Line from Yawatashi station to Tofukuji station

Img_2438a
 実は、しばらくブリッジ関係が続いたので、もう止めようと思っていたのです。ところが、ヤマさんが運転台から撮影したデッキガーダーの写真をアップされて、これは面白そうだと、早速真似をすることとしました。
 まずは京阪電車で、石清水八幡宮で知られた八幡市駅から、JR奈良線乗換の東福寺駅までです。【写真は全てクリックで拡大します】

Aimg_4257

 1枚目は、八幡市駅上手の放生川です。橋桁が曲がっているように見えて慌てましたが、子細に見れば2箇所で折れ曲がっていて3スパンですね。複線の真ん中の桁は上下線共用で一体になっています。Google航空写真でも防音壁が見えます。ますます橋の姿が分かり難くなっていきます。

Photo_2  次は、その少し先の跨道橋で、デッキトラスに緩いカーブが掛かっています。これも一寸見には枕木の列もカーブしているようですが、明らかに2スパンです。上り勾配の途中で、どう見ても桁自体が線路に沿って傾いています。以前、「桁は水平」と発言しましたが、そうとばかりは言えないようです。
 遠望されるのは木津川橋梁のトラスです。宇治川橋梁を含めて土木学会のアーカイブス「歴史的鋼橋集覧1873-1960」は通り一遍で模型化に役立つデータがありません。Google航空写真

Photo_3  赤い橋が宇治川橋梁のトラスですけれど、カメラで狙ったのはその手前(大阪寄)のデッキガーダーです。思うに、開通したときは真っ直ぐで、あとで高速化したときに曲線が橋の中まで侵蝕したのではないでしょうか。
 以前は、左に見える車の辺りからこの電車を狙うアングルがありましたが、今は背後に高速道路の無粋な高架が続いています。Google航空写真
 宇治川橋梁の先が右カーブして淀車庫となります。

Aimg_4274 中書島の手前で、橋の右前方が変電所でした。橋の名は確か「肥後橋」だったと思います。Google航空写真でも分かる通り、3スパンです。不思議なのは3つの桁が山形に連なっていることです。
A_3  現地へ行って確認すると、左右の防音壁に邪魔されて判りにくいものの、全体をざっと見渡すと、線路の縦曲線に沿って全体が「へ」の字形になっている風です。滑らかに変化させるために枕木で調整はしているでしょうが、全くの驚きです。

Photo_4  これは中書島から宇治線にちょっと寄り道をして撮影したスルーガーダーです。近鉄京都線や、道路の京都外環状線をくぐる辺りにある疎水を跨ぐ小さなものです。線路だけ素直に曲がっています。複線の真ん中の桁を上下線で共用する構造が京阪線で多いのは、複線間隔が狭いからでしょうか。ただ、上下線一体では運ぶに大き過ぎますから、分割したものを現地に運び込んで組み立てたのだと思います。
 右の土手が宇治川、線路の先に見える駅が観月橋です。Google航空写真

Jr_2
 ちょっと飛んで、こちらは鳥羽街道・東福寺間のJR奈良線跨線橋です。線形は完全なSカーブで制限速度50km/hの標識が見えます。速度向上にはネックとなっている箇所で、カントなど微妙な工夫が見て取れます。3連のガーダーですね。
 Google航空写真で築堤の法面(のりめん)が白く写っているのは、コンクリートで固めているのだと思います。
Photo_8 右の写真は、九条通の高架橋上からです。京阪と奈良線の電車は結構重なるので、もう少し辛抱すれば1シーンに収められるはずです。この写真では、奈良線の鴬色が橋の下に微かに見えます。
 なお、通りの反対側の歩道からは東福寺駅を真下に眺められ、西に寄れば奈良線の鴨川橋梁を遠望できます。また通りには市電の電柱が残っています。

Img_5074a ■木津川の大阪方ガーダー橋を地上の踏切から見てきました。驚くことに写真手前の直線線路部分が左に偏っています。たぶん、橋桁を右方へ100mmほど動かしたのではないかと思います。本当に「ここまでするか!」ですよね。保線の連中の線形改良に掛けた情熱に改めて頭が下がります。2009-04-20

■肥後橋の防音工事は、松尾橋梁のデータベースに拠れば、竣工が1992年とのことです。2009-05-03

■「民営鉄道の歴史がある景観Ⅱ」p262に古い奈良線跨線橋がトラスだった頃の写真がありました。橋の下の複線は1921年7月31日まで東海道本線で、上り線を蒸気機関車が走ってくるのが見えると説明されています。この橋の「東海道線跨線橋」という名称は1923年10月4日付で変えられているとのことです。写真提供は田口元朗という方です。2010-05-28
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■鉄橋関係については記事と資料リンク先のリストもご参照ください。

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京阪の沿線」カテゴリの記事

コメント

子細に見るとやはりいろんな橋梁がありますね。
昭和46年の線路図で見ると、最初の二つは曲線勾配にかかっています。宇治川手前は昔は橋梁部分直線だったようです。肥後橋は図ではLになっています。宇治線の平戸橋はR201mです。奈良線跨線橋は直線でLになっています。
写真と比べると、曲線改良をしたときに、相当変化しているようで、奈良線跨線橋などSカーブに変更しているようです。
最後の写真、標準軌で複線間隔の狭い京阪、狭軌で複線間隔の広いJR、好対照な線路です。

投稿: ヤマ | 2009/04/11 01:40

この区間は淀付近を除き、開業以来ほとんど変わっていない様ですね。なお、踏切や橋梁、曲線には皆、固有名が付けられていて、これが判らないと鉄道屋は仕事になりませんが、私は車両担当で……。

投稿: ワークスK | 2009/04/12 02:32

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