越後交通 長岡線1971年
A visit to Raikoji station, Niigata-ken in 1971 for railfanning Echigo-kotsu Nagaoka line, 3 foot 6 inch, 1,067mm gauge
先日紹介した762mmナローの栃尾線を調べていて、ここが同じ越後交通だったことに初めて気が付きました。ゲージが1,067mmと異なっているとはいえ、恥ずかしい話です。
これらの写真は、持って行ったカメラがハーフサイズ、おまけに雨が降って散々だったので、現像はしたものの焼き付けたことがなかったネガです。スキャナーで読み取って補正を掛けたら何とか見られますので、披露しておきます。訪問日は1971年8月23日で、場所は信越本線との接続駅の来迎寺(らいこうじ)です。【写真はクリックで拡大します】
私は当時、上田丸子電鉄にシャカリキだった頃です。
若気の至りというか、創業からの全車両を模型化するなどという大それた構想を立てて、実物の撮影はいうに及ばず、寸法を測りまくり、文献を漁り、さらに保存車両を虱潰しに当たるという暴挙を敢行していました。
その中で一つ判明したことが、西丸子線の電車が越後交通に移管されていたという事実です。
それで矢も盾も射られなくり、夏休みが終わって金沢へ戻る途中に来迎寺行きとなったのでした。
事務所を訪ねて電車のことを尋ねると、残念ながら数年前に廃車解体になったということでした。
こういう情報が希薄だった時代で、電話で確認するなどという度胸も持ち合わせていなかった年頃です。
ガッカリはしましたけれど、構内は広々していて雑多な車両が並んでいましたから、片っ端からシャッターを押しました。電気機関車の多いのには驚きました。ED262(Westinghouse-Baldwinでしょうか)、ED401、ED511の車番が見えます。
2両の2軸客車は廃車体の様です。
その横のディーゼル機関車はマフラーが変わっていて、曰く因縁がありそうです。
貨車が、国鉄並みの立派さというのも意外でした。上田丸子とは雲泥の差です。
トムには社紋が残っています。
最後の鋼製有蓋車は弘南鉄道の形式ワム20、番号29です。車番下の二重線は国鉄への直通可能の印で、両線に関係する何か工場でもあったのでしょうか。
撮影後は、その日の内に金沢に到着する各駅停車に乗車したはずですから、滞在できた時間は限られていたと思います。この間に発着した列車は皆無で、電車も電気機関車も全てパンタグラフが降りたままでした。
長岡線についてはウィキペディア日本語版をご覧ください。
近年は書籍を含めて昔の情報が潤沢に流布しているので、車両の来歴を調べるのはそれほど大変なことではありません。実物に触れなくても資料や記録の組み合わせでソコソコ楽しめる時代になったということですね。
■とれいん誌2009年12月号に、箕川公文さんという方が1970年(?)の西長岡駅の様子を披露されていました。どの電車も立派に見えるのはカメラのせいでしょうか。また別のページに、ハーフのオリンパスペンFで撮影したという、柏崎付近の信越本線の様子も出ています。1967年8月という非電化単線の頃で、フィルムは“スライド”とあって、色もグッドです。それにしても、どの列車も長いですね。2009-11-22
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