カブリツキ鉄橋巡り-JR京都線
Steel bridge fanning by semi-cab-ride, part 10: JR Kyoto-Line to Kyoto from Osaka
淀川の向こう岸ということで滅多に使わないのですが、ちょっと大回りしてJR東海道本線の大阪・京都間を快速に乗車してみました。正面ガラスが汚れているのは、高速走行と区間の状況に拠るのでしょうか。Google航空写真
この線区はよく判らず適当にコメントを付けておきますので、もし何かありましたら御助言いただければ幸いです。【写真はクリックで拡大します】
跨ぐのは都島通でしょうか。スルーガーダーの橋桁角に丸味があって、昭和初期のような感じがします。この辺りのGoogle航空写真は高層ビルの影が長く街路が分かり難くなっています。
Google航空写真に拠れば、城北公園通です。この橋も2線毎に一体で、真ん中の橋桁が背が高い構造です。
ここから次の上淀川橋梁が遠望できます。
上淀川橋梁です。この列車の渡るトラスは、ポータルが一風変わっています。土木学会の歴史的鋼橋集覧によれば、左の貨物線は1928年、真ん中の上り線用トラスは1901年、右の下り線用プレートガーダーは1930年にそれぞれ開通とのことです。ヤマさんから教えていただいた橋の散歩径というサイトでも紹介されています。Google航空写真
新大阪手前の跨線橋です。Google航空写真
東淀川・吹田間の上神崎川橋梁です。歴史的鋼橋集覧に拠れば左から、デッキガーダーが梅田線、トラスが北方直通線と上り線、ポニートラス2本が下り線です。Google航空写真
吹田の手前で、城東貨物線の単線跨線橋です。Google航空写真
手前のトラフガーダーが阪急千里線、次のスルーガーダーが内環状線という道路を越えます。この辺りからはYahooの航空写真の方が鮮明です。先に見える駅は吹田です。
吹田工場への引込線を越えます。遠望は岸辺駅です。Yahoo航空写真
千里丘を過ぎて、くぐるのは大阪貨物ターミナルへの分岐線だと思います。平行弦ワーレントラスです。Yahoo航空写真
茨木・摂津富田間で、橋桁には「茨木川橋りょう」と書いてありますがYahoo航空写真ではどう見ても道路で、ウィキペディアに拠れば、1941年に付け替えられたとのことです。橋の散歩径では、下部構造がレンガ積みで面白そうです。歴史的鋼橋集覧に、上り線は1927年川崎造船製のプラットトラス、下り線は1911年汽車製造会社製のポニーワーレンとあります。
高槻の手前、芥川の先の跨道橋です。芥川橋梁はデッキガーダーで、カブリツキでは面白くも何ともありません。Yahoo航空写真
山崎・長岡京間です。名神高速道路の跨線橋でランガー橋、阪急京都線を含めて6線を一度に越えます。
なお、阪急のアンダークロスは暗渠みたいな構造で、越える箇所が電車からは判然としません。
乗車しているのは221系普通列車で、左を223系新快速がパスしていきます。Google航空写真
2008年10月に開業した桂川と西大路間の、桂川橋梁です。一番左の単線は、向日町運転所への引込線でしょうか。この列車は上り線のポニートラス(歴史的鋼橋集覧)を渡ります。下り線は30mと短いスパンにもかかわらず曲弦トラス(歴史的鋼橋集覧)です。この辺、橋の散歩径にも言及があります。その向こうに見える連続ワーレンが新幹線です。左の列車線にちらりと見える青色は先行する智頭急行スーパーはくとです。Google航空写真
大阪から京都まで、貨物列車や特急列車ともたくさんすれ違ったのですが、橋と上手く重なってくれることが今回はありませんでした。やはり列車を撮影するなら地上です。なおこの間、シャッターは175回も押しています。ところで電車は、冒頭が大阪駅を発車して直ぐにすれ違った207系で、次が京都駅手前での321系です……よね。
【追記】それにしても1901年完成だという上淀川橋梁上り線が気になります。
歴史的鋼橋集覧の記述は「設計者/設計年Cooper, Schneider/ 1898、製作者/製作年Roberts Co, Pencoyd Iron Works/ 1899」です。
この設計者名は鋼橋集覧のリストで他に、新神通川橋梁、第二球磨川橋梁、第一姫川橋梁、一ノ戸川橋梁、立場川橋梁、第一九頭龍川橋梁などにあって、その製造者は上淀川橋梁の"Roberts Co"ではなく"American Bridge"です。
CooperとSchneiderは両方とも名字の様ですから2人の人物でしょうか。クーパー荷重を考案したTeodore Cooperは生没年が1839-1919です。またナイアガラ・カンチレバー橋の主任設計者だというCharles Conrad Schneiderは1843-1916で、1907年にAmerican Bridgeの主任技術者に就任しています。
この2人の大物の"事務所"が東洋の辺境用に設計を請け負ったということかも知れません。同AB社の歴史に拠れば1900年に28社を統合して創業とありますから、"Roberts Bridge Company"がそのうちの一つだった可能性が大です。(ウィキペディア日本語版にペンコイド鉄工所の記事登場2009-10-05)
【追記2】専ら道路橋に使われたものの様ですが、「レンズトラス橋」を製造したコネチカット州のベルリン鉄製橋梁会社 Berlin Iron Bridge Companyもアメリカン・ブリッジ社に合併したとのことです。2009-06-08
【追記3】ここで撮り逃がした芥川橋梁がヤマさんのブログに登場しました。2009-05-21
■鉄橋関係については当ブログ記事と資料リンク先のリストもご参照ください。
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コメント
すごい勢いの掲載ですね。
茨木川橋梁は旧い流れのルートに架けられていたもので、水害のため安威川と合流するようにつけ替えられています。旧流路は整備されて「桜通り」となっています。この近辺には仕事関係でよく出かけていました。
吹田の阪急トラフガーダーはクリアランスが極小です。旧東海道線跡を千里線が走っています。
京都~神戸間の開業は1877年ということですから、それぞれのトラス橋の前はどんな橋だったのでしょうか。
投稿: ヤマ | 2009/05/06 12:29
開通当初は、まさか木橋ではないと思いますが……(笑) 経路があらゆるところで変わっていることには今さらながら驚きます。1889年(明治22年)に全通ということですけれど、丹那トンネルが開通したりして、どれほど短くなったのでしょうか。
茨木川橋梁は橋台を見に行きたいですね。
投稿: ワークスK | 2009/05/06 18:26