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2009/08/17

ポール姿の京福叡山線

My only once visit to Eizan line of Keifuku Electric Railway, the pole-operated era in 1975.

197504ge

 このときにどうして出掛けたのか、確かな記憶は無いのですが、当時、京阪三条から出町柳までの新線が計画中で、それが叡電に乗り入れ、さらに大原を抜けて琵琶湖岸の堅田まで延長される構想がある。じゃあ、たどってみようかという話にでもなったのかと思います。【写真はクリックで拡大します】

197504hb  ただし、関西に出てきて間無しだったこの1975年4月の訪問以来、1996年に関係するまで、カメラを担いで出掛けたことはありませんでした。
 私がテッチャンをする切っ掛けは大抵、友人に誘われるか、または仕事で出張したついで、のいずれかですから、単にそういうことが叡電がらみでは無かったというだけの話です。

197504fb  場所は 叡山本線の終点、八瀬遊園駅、今の八瀬比叡山口駅の手前、第1高野川橋梁(?)です。こうして見比べると、ポール電車はバックショットの方がサマになりますね。

 このときのカメラもニコマートFTNです。間が抜けたことにフィルムの感度を間違えて露出オーバーとなり、捨てたも同然の扱いをしていました。
 そして今回もヤマさんがHPで披露されたことに刺激されて、ダメモトとばかりにスキャンを掛け、フォトショップで思いっきり弄ってみましたら、なんとか電車の輪郭が現れましたのでご覧に入れる次第です。まあ自主性に欠ける性分はこれからも続くはずですので、よろしくお付き合いください。

栗生格二郎 【追記】ポール姿ではありませんが、鞍馬訪問のネガを見つけたのでスキャンしてみました。京阪出町柳延伸の1989年秋です。

 上の子が9歳の反抗期、下が5歳のヤンチャ盛りということになります。
 どうしたことか、電車単体にはレンズを向けていないのです。記憶に残っているのも電車が混んでいたことだけです。2010-01-09

栗生渓二郎

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叡山電車」カテゴリの記事

コメント

この鉄橋の横姿写真を見るのは実は初めてです。上は何回か通ってますが、叡山線での写真をあまり撮ってないのです。
ポールカー単行にちょうどよい長さですね。それに光線方向もバックショットに最適です。床下器具までバッチリわかります。さすがフォトショップ…?

>>そうですね。フォトショップ様々です。それにしてもデナには絵も言えぬ(この漢字で?)魅力があります。数社で製品化されたことがよく判ります。なお、叡山本線と鞍馬線を総称して「叡山線」、嵐山本線と北野線を合わせて「嵐山線」と呼んでいたような気がしますが……。【ワークスK】

投稿: ヤマ | 2009/08/18 00:30

初めまして、沿線の叡電マニア?です
たまたま写真に写っている124号の部品を持っています。ウィンドウシル付きのデナ21は綺麗な顔立ちで惹かれますね。現役当時を生で見られなかった世代であることを時々悔やみます、、、

>>コメントをありがとうございます。もう少し“リキ”を入れて撮影しておけばと悔やまれます【ワークスK】

投稿: 叡電の撮り鉄 | 2021/08/31 10:10

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