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2010/01/25

昭和3年の叡山電車案内絵はがき

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‥‥さて、あのときにお預かりした絵葉書の件です。
 尋ねてみましたら、やはり、比叡山延暦寺までのルートが開通した記念に作られたものとのことでした。観光案内鳥瞰図の様式を踏襲し大阪や東京までも見渡せて、遊び心にあふれています。
【画像はクリックで拡大します】

Img409b  お話させていただきましたように、この葉書では、叡山電車終点の八瀬(やせ、現在の八瀬比叡山口)から山頂までケーブルカーとロープウェイが完成しています。また、途中駅の山端(やまはな、現在の宝ヶ池)から鞍馬までの鞍馬電鉄が未だ開業していません。
 調べましたら、前者が1928年(昭和3年)10月21日、後者が同年12月1日ですので、この1ヶ月ちょっとの間に、当時の京都電燈が旅客誘致のために配布したものということが明白です。
 葉書を拝見すると、翌1929年(昭和4年)の年賀状として使われていて、事実関係が合致します。まさしくタイムリーに投函されたのだと思います。
 今から80年も前の葉書ということで、これからも大切にしていただけますよう、よろしくお願いいたします‥‥

 これは、古書店で入手したという古い絵葉書を、ある方から預かって、それを返すときに添えた手紙の一節です。
 画像を検索すると、個人の方のサイトに、同じ構図で吉田初三郎の小型パンフというものを見つけました。こういうものには疎いものの、この名前だけは知っています。戦前にたくさんの鉄道沿線案内図を描いた人物です。絵葉書の方には署名が無いだけです。

 そしてなんと、京都府立総合資料館に「デジタル展覧会、京の鳥瞰図絵師 吉田初三郎」というサイトがありました。
 「叡山電鉄御案内(1928年)」には、鞍馬電鉄線が引かれていますので、ここにお見せしたものより後です。説明では「絵葉書」ですが、大きさが177×125mmもあり、また折り目が2本見えるので、小型冊子だと思います。
 他に「鞍馬電鉄(1928年)」や、「遊覧架空索道(1928年頃)」も展示されています。

 これ以外の叡電関係の絵葉書コレクションをまとめて披露されている「日用帳」というブログもありました。

 ところで、現代の絵地図や如何に、と探したら、比叡山振興会議発行というパンフレットを見つけました。大阪駅と新大阪駅を記載しているものの、残念ながら名古屋や東京が抜けています。これをネットに移したものはコミックな動きが加わって、いかにも今風です。紀貫之の墓があったりと、拡大していただくと、結構なヒマ潰しになりそうです。
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 最後の写真は昨年12月1日、友人を案内して八瀬に出かけたときのものです。少しだけ紅葉が残っていました。
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古葉書 古絵葉書 古地図

【追記】初三郎モノで叡電の解説記事を見つけました。日本民営鉄道協会発行「みんてつ」の「大正・昭和の鳥瞰図絵師 吉田初三郎の世界」という連載で、2009年春号第8回です。
 この広報誌のバックナンバーは同協会のサイトで丸々公開されていて、既に長野電鉄、湘南電鉄、東武鉄道、東尋坊三国芦原電鉄、高野電車、大阪電気軌道、目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄、小田原急行電鉄、京王電車、名古屋電車、京阪電車が出ています。
 筆者は、首都大学東京(都立大学)の非常勤講師という藤本一美さんで、初三郎のライバルに金子常光という人がいたとか、面白い話が読めます。2010-03-30

【追記2】同じ「みんてつ」で2012年冬号は「鞍馬電鉄沿線名所図絵」でした。2012-03-14

【追記3】掲示板の方に、鞍馬駅に関して(発言番号550)京都建築士事務所協会というところの会報「すじかい」に寄稿した文章と、600形お別れ運転準備の様子(発言番号795)をアップしてあります。ご参考まで2010-06-12

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叡山電車」カテゴリの記事

コメント

絵はがき、興味深く見せていただきました。過去に印刷物で見た覚えがあるのですが、この様に鮮やかな色彩のものだったのですね。びっくりしました。山頂のロープウエイですが、ご存知と思いますが今のルートではなく、山頂裏側から横川方面へ向かう、ほぼ水平のものだったようで、京福の社史に日本初のロープウエイだったと記述されていたように思います。山頂遊園が出来る前にケーブル終点から根本中堂へと向かう山道があり、その途中に遺構が残っていました。小学生の低学年だった頃の想い出です。

>>コメントありがとうございます。ロープウェイの件、私は全く意識していなかったのですが、電話してきた元同僚も同じことを言っていました。横川を「よかわ」と読むのでしたね。比叡山から琵琶湖側へ降りる坂本ケーブルもあって、この1年前の1927年には開業していたはずなのに、絵図面に現れないのが不思議です。このときは競争路線だったのでしょうか【ワークスK】

投稿: ぷるぷる | 2010/01/26 11:56

初三郎「叡山電鉄」の件で書き込みありがとうございます。ご呈示の絵葉書は、吉田初三郎の図に似ていますが、一応別ものとご理解ください。吉田初三郎の鳥瞰図は完成度の高さから様々な亜流を生みました。著作権にうるさかった彼の作品には基本的にサインが入っています。また、これら初三郎作品の印刷を担当していた会社も判明しています。

また、あくまで叡山電鉄のパンフなので、その時代のライバル社のものは、基本的に描き込まれていないはずです。

>>ご教示ありがとうございます。地図といっても奥が深いものですね。また宜しくお願いします。【ワークスK】

投稿: mapfan | 2010/01/31 10:02

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