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2010/01/15

アダチD51のキット組立が止まった理由

Adachid51_097

Img403a Brass_solderさんがアダチのD51キットを組み立て始められました。既に12回目でボイラー周りが形になってきて、よい感じです。
 そういえば私のところにも、中尾豊氏のTMS連載(1974年1~5月号)を教科書に挑戦して頓挫している1台があります。懐かしくなって引っ張り出してきました。【画像はクリックで拡大します】

 色の変わった黄銅の塊を手に取ると安下宿で過ごした若かりし日々がよみがえって来ます。挽き物パーツに時代を感じますね。
 当時はペーパー電車十数両と四畳半用の組立レイアウトを完成させた後で、ブラス・キットはピノチオのクモニ83の経験しかなかったはずです。
 半田ゴテは中学のときに技術科の実習で板金から自作した60Wに、これまた理科の授業で調合した55ハンダ。それに電気ヤの父親から分けてもらったペーストだったものの、ソコソコ順調に進んだと思います。

 アルバイトで貯めた大枚を叩いたキットですから、意気揚々です。後部台枠のボルト頭や、給水暖め器の加工など、記事のとおり出来たつもりだったものです。ランボードの山形の折れ曲がりは、角に半田を盛って「どうだ!」という気分でした。
Adachid51_102

 それがつまずいたのは、除煙板の取り付けだったと思います。
 網目板の斜めになった面にイモ付けして、盛り上がったハンダをキサゲで削り落とすと、外れてしまうのです。何度やっても駄目でした。
 それと相前後してメインロッドの孔がチギレました。もちろん、代品を探したのですけれど手に入りませんでした。さらに、キットの火室にテーパーが無いことを、ここで初めて知りました。

 加えて、塗装まで済んでいたクモニ83は、セルを貼る段になって正面3枚窓が上下に食い違っていることが気になり出しました。板厚以下の0.2mm程度でしたが、思い込んでしまうと駄目です。あっという間にバラバラに戻してしまいました。
 今なら、それはそれなりに誤魔化すか、キットの出来具合を見定めてから取り掛かるはずです。製品がこれしかなかったというか、若かったのですね。

Img402a ところで先日、大阪千林の「きりん」に寄ったら、オバちゃんは相変わらず元気でした。80を超えたそうです。
 生憎、アメリカ型ファンが財布を緩めるブツが無い中で、目に留まった書籍が「写真と図面で楽しむ鉄道模型-珊瑚模型店45年の仕事(写真は箱)」です。素組み未塗装の姿と、キット添付の図面が満載の、モデラーには眺めているだけでも楽しく、かつ、模型店で買ってこそ価値のある本でしょう。

 私が購入したサンゴ製品は、電機をいくつか、それに古典蒸機の0-6-0、1000だけ。それも皆、キットのまま処分してしまいました。
 ブラス・モデリングは、美しくもホロ苦い思い出です……ってぇ?

■dda40x氏より指導が入りました。「き物」ではなくて「き物」であると! そうでした。辞書を引けば「刃物などで物を切ったり削ったりする。 『鋸(のこぎり)で丸太を―・く』『ろくろで―・いてこけしを作る』」です。そういえば、糸鋸刃が切れていて、旋盤も欲しいのですが……2009-01-17

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コメント

キット組立が止まってるのはたくさんあって、理由なんか書ききれないほどあります。わけもなく止まってるのもあります。

>>みんなが一斉に手持ちのストックを組みだして、新しいキットを買わなくなったら……(笑) 福原金属が廃業して素材等の入手が困難になったり、ハンダの無鉛化とか、この先どうなるのでしょうか?【ワークスK】

投稿: ヤマ | 2010/01/16 18:43

ほんと、キットが止まるのに理由なんかありませんね。
ブラスばかりでなく、プラでもつまんない理由で止まりますからね。
でも商売じゃないから良いんだと思います。
今回は風邪のせいで工作が止まってしまい、非常に危ないです (汗
珊瑚の本は面白そうですね。
久しぶりに本を買おうかという気になっています。

>>このサンゴ本の中で、上原幸吉さんという方が9750を朝8時に始めて、ブログに逐次報告しながら夜の2時には塗装まで終わったと話されています。公開処刑、失礼、公開組立は結構、有効かもしれず、私も……【ワークスK】

投稿: Brass_solder | 2010/01/17 12:44

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