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2010/04/03

JR姫新線久世駅の枝垂れ桜

The weeping cherry tree at the front of the JR Kuse station, the Kishin line

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Kuse201004_099b 妻の故郷である岡山県真庭郡久世(くせ)町、今の真庭市に行って来ました。中国地方のほぼ真ん中です。
 車で駅前に着いた途端に「昔のままや!」の言葉が飛び出しました。祖父が駅員をしていて、ここでよく遊んだとのことです。【画像はクリックで拡大します】

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Kuse201004_110b 向かい側ホームの待合所も当時のままで、津山に連れて行ってもらったときの記憶を熱っぽく語り始めました。
 時刻表を見ると、次の列車は3時間後ですから、それまでは待てません。

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Yahoo航空写真 2014年8月採取

 駅から東へ歩いて10分ほどのところには、小学校の木造校舎が保存されていました。
 就学直前に転居してしまったので通うことはなかったものの、直ぐ横の幼稚園時代に入り込んで廊下を走り回っていた様です。

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 そんな人間でさえ自慢するほどに、なるほど立派な造りです。自由に中へ入れ、そこそこの展示もあります。玄関に置いてあったパンフレットに拠れば国の重要文化財になっていて、「旧遷喬(せんきょう)尋常小学校」という名称です。「久世小学校」ではありません。

Img_4211b そして、ここの親戚が必ずお土産に持参したという和菓子の菊井堂も営業中でした。

 覚えているのは羊羹とのことですが、今日は「久世の里」という生菓子だけです。店内は、かつては使用人がいて、最中なども手掛けていた往時を十分に偲ばせてくれます。箱を包む手捌きには見とれます。

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 街の南を流れる旭川の桜が有名とのことで、行ってみました。

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Img443b なるほど「トンネル桜」の名前通りの見事な枝振りです。今日、4月3日で5分咲きほどでしょうか。もったいないことに車がぽつりぽつりと通るくらいで、人影は疎らでした。
 「久世は余所より寒い」との妻の弁は当たっているのかも知れません。桜は全く記憶に無いそうです。咲く前にこの地を離れたからでしょうか。

【追記】妻の祖母が亡くなり、遺品を整理していたら久世駅の写真が出てきました。その夫である祖父が写った集合写真で、昭和30/1955年前後の正月のようです。別に中国勝山駅のものもありますから、各駅でそういう風習があったのでしょう。

姫新線久世駅1955年前後

 祖父の名は「美見五六」で、上の写真の後列左から4人目、下の写真の後列左から3人目とのこと。明治37/1904年生まれで、平成4/1994年に亡くなりました。何か分かりましたら、ぜひコメントをお願いいたします(国鉄から昭和12/1937年にもらった文鎮の話はここです。2018-06-22)。
 なお、祖母の名は「美見ももよ」、享年102歳でした。2011-01-10

姫新線久世駅1955年前後

【追記2】この興味深いを看板を拾い読みしてみました。
久世町著名商工者案内=菱川履物店(久世中町・地下王たび)、樋口金物店、銘酒舞鶴、黒田酒店、松堂書店(パイロット万年筆)、高田運動具店、荒川ドレスメーカー女学院(洋裁生徒)、安藤薬局、三鈴美容院?
 検索したら、「啓蒙としぞう新聞」なるサイトをヒットしました。何か進展は無いでしょうか。2014-08-10

【追記3】朝日新聞の朝刊、読書欄に掲載されていた池井戸潤の小説「陸王」は、埼玉県行田市の足袋メーカーが商品開発をする話だという。足袋の有名なブランドは「力王」。「地下王」も、これにあやかったものだろうか。2016-08-28

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コメント

おはようございます。

コメントいただきありがとうございます。本業もあってなかなか余裕がなく、その後の整備がまったくできていませんが、住んでいる町のことでもありますので、また手入れをしていきたいと思っています。

御教示いただきました写真は大変興味深いです。地図の部分を含め、全部が読めないのが残念ですが、昭和30年代の商店資料は少ないので貴重です。駅舎も現在モルタルで固められているので、細部の旧状を知ることのできるよい資料と思います。ぜひとも今後参考にさせていただきたいと思います。ありがとうございます。

>>貴サイトを拝見して、往時の久世の町が大変に賑わっていたことを実感しました。様々な記憶や記録を繋げて、それを鮮やかに蘇えさせるという遠大な御企て、期待しております【ワークスK】

投稿: 啓蒙としぞう新聞 | 2014/08/10 09:04

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