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2010/05/22

カトーのユニトラックで緩和曲線を(5)

Movies of a running train on Transition Curves made from Kato's Unitrack, part 2Img_1858c

 実物の鉄道では、いつの頃から緩和曲線が導入されたのか、という問いへの回答が、ウィキペディア英語版にあります。ただしこの文章は、私にとって見慣れない単語が並んでいる上に、誰某が某書でこう書いているなどと持って回った言い回しばかりですから、極めて難解です。
 今回は、思い切って意訳に意訳を重ねてみました。誤訳の儀はご容赦ください。【画像はクリックで拡大します】

 イギリスでの鉄道創成期には、速度が低く曲線も大きく採れたので、直線と曲線の間の接続が考慮されることはなかった。しかし19世紀の間に速度が次第に向上する一方で、小さな半径の曲線を採用せざるを得ない状況が生じるようになった。法律と用地買収費の上昇とにより制約が大きくなったからである。
 その中で、曲率を滑らかに変化させる曲線の必要性が次第に明らかになってきた。イギリスにおいては、1845年になって初めて緩和曲線が現れた。

 ウィリアム・ランキンは1862年に出版した「Civil Engineering(土木工学)」でいくつかの曲線を紹介している。その中で提案されているのが3次多項式である。それは当時、キュービック・パラボラとして知られていた。

 円弧中の曲率が正確に直線的に変化するという「本当の螺旋」は、ランキンによって示された提案よりも高度な計算、特に固有方程式を積分する能力を必要とする。
 19世紀後半には、いく人かの土木技師が夫々独自にこの曲線方程式を導き出していたようだ。もっともその全ての者が、レオンハルト・オイラーによって1744年に曲線の特性が解析されていると知っていたわけではない。
 
1880年にはチャールズ・クランドールが「Railroad Gazette」の中で、エリス・ホルブルックが最初の解説を行ったと認定している。さらに1890年に発表されたアーサーN.タルボットによる「Railway Transition Spiral」がある。

 20世紀初頭の鉄道工学書の著作者たちはそのカーブを「グラヴァーの螺旋」と呼んでいた。それはジェームズ・グラヴァーが1900年に出版したのものによると考えられる。
 鉄道の緩和曲線にクロソイド曲線を適用させる方法は、アーサー・ラヴェト・ヒギンズによって1922年に出版された。

 ここで、ランキンは熱力学の基礎を築いた人、オイラーは高名な数学者ですね。「グラヴァーの螺旋」は3次曲線のことを指しているのでしょうか。

 ざっと眺めれば、緩和曲線はイギリスでは1900年前後から一般的になったということの様です。
 日本での1872年(明治5年)の新橋・横浜間開通や、1889年(明治22年)の東海道本線全通の頃は未採用だった可能性が大で、1910年前後の電鉄ブーム時にはボチボチといった辺りですね。
 もちろん1929年の阪和電鉄や新京阪鉄道の頃には常識となり、古い線路も徐々には改良が進んでいたはずです。

 アメリカではどうなのでしょう。イギリスの技術がそのまま伝わったとして、1893年にNYC鉄道の"999"が走った頃は微妙ですね。広い国土のことですから、最高速度を出した地点は当然直線、そしてカーブはどれもそれを必要としないような大きなものの可能性はあります。
 こういう歴史を知ると、緩和曲線が運行速度と曲線半径に密接に結びついていることを痛感させられます。

 で、何人かの方からモデルの場合の経験談を披露していただきました。小さい曲線では直線との連結部にわずかでも大きな曲線を入れると大変に有効で、なにも曲率を滑らかに変化させる必要はない様です。HOゲージだったら、例えばR610の最後の1本の22.5°をR790とするだけでも格段の効果が現れそうです。

Img_5617b 一方、HOのユニトラックで最も大きなR790は、前回のような車両と速度だったら、並べて比較すれば判るものの、それほどの必要性は無いかもしれません。

 ただし、前回は畳の上だったので線路を置いた精度に問題があった様な気もしますので、今回は板の間に敷いてみました。左のように板の目を基準とすれば、感じも違ってくるはずです。
 また、IWAさんのコメントにあったように、ビッグボーイなどの連接機ではどうなのでしょうか。ボギー式となっていない実物通りの後部台枠固定式は、ボイラーを外側へ大きく振ります。
 私は持っていませんので、とりあえず、オーバーハングの大きなオートラックで試験走行させてみました。単円と緩和曲線付の、カーブ入口と出口です。

 カーブ出入口単円曲線

 カーブ出入口緩和曲線

 カーブ出入口単円曲線

 カーブ出入口緩和曲線

Img367b 今回の動画ではどうでしょう。私は効果があるように思うのですが……。

 参考までにユニトラックを私と同様に加工する数値の表をアップしておきます。湯山一郎氏によるR711の値(TMS誌1955年3月号初出)を単に比例案分しただけです。
Table6

 それと、緩和曲線の目的を脱線防止と考える方が多いようなので、この記事の冒頭を引いておきます。理屈は何も難しくはなくて、ここに述べられていることが全てです。難解な部分は皆、湯山氏が既に計算してくれていますから、我々は単に線路を敷くだけです。

 模型の運転が段々実感的になるにつれて、直線から曲線への誘導に実物のような緩和曲線を使って、一層スムーズな運転がしたくなります。
 模型では直線に一定半径の円曲線を直接接続するのが普通ですが、これは半径無限大の直線から有限値の半径を持つ円曲線に突然進入することになり、車両の運行は甚だ不自然で、速度が速いほどこのギコチナサが目立ってきます。
 そこで、半径が無限大から次第次第に減少していって遂に目的の円曲線の半径まで極めて滑らかに変化する一種のカーブを、直線と円曲線の間に挿入してやればよいわけです。また、円曲線部に必要な「カント」も、このカーブに沿って刻々と変わっていく曲率半径の各点に応じて連続的に増していき、最後に目的の円曲線半径のカントになるようにしてやれば理想的であります。

 この最後に、小曲線における脱線防止云々の「編集部註」が、どうして付けられてしまったのか、残念でなりません。そうではない証拠に、Bトレインショーティーでもナローでも、はたまた路面電車でも、極小曲線が故の緩和曲線なぞ、少なくとも私は40数年間で見聞きしたことがないのですから‥‥。(そう、分岐器に付帯する曲線には緩和曲線が無い。どうアガイても「編集部註」は的外れ! 2015-05-22)

 ところで、ユニット線路の接着剤による変形は、組み立てると目立たないし、走行にも影響が無い様なので放置することとしました。また、MR式緩和曲線描画法の探究はギブアップです。軟弱ですいません。

「休業」の貼り紙があったと1ヶ月前にお伝えしていた大阪千林の「模型センターきりん」は、ひかり・こだまさんに拠れば21日から営業再開とのことです。

Img681追記1】鉄道模型趣味誌1956年11月号ミキストに緩和曲線を描く一つのアイデアが掲載されていました。1940年のRMC誌にあったものとのことです。
 挿絵を見たら一目瞭然ですが、「Aの様な円板の周囲の1点に糸を取り付け、一端に鉛筆をつけて糸が円板の回りに巻き付く様にして描けば、カーブは次第に小さくなってくる」という原理です。
 これ、歯車の形状に使われるインボリュート曲線ですね。直線側の曲率がゼロとなり得ないことが直ぐにお判りいただけるはずです。6年後の同誌1962年6月号の「相談室」でもこの方法を奨めています。読者にも判る方がおられなかったのでしょう。2010-09-25

【追記2】1964年模型と工作増刊「鉄道模型工作ハンドブック」p199に、「鉄道模型工作用語辞典」として緩和曲線が説明されていました。「直線から曲線に移るところのに使う特殊なカーブです。実物では加速度の変化に応じて一定の割合でカント(傾斜)がついているように、3次曲線が使われます。16番レイアウトではふつうカントを付けないので緩和曲線はなくてもかまいませんが、急カーブに入る前に一旦ゆるいカーブを通る、という使い方は連結車に効果的です」などと、上述TMS編集部のコメントに惑わされつつ、訳の分からない説明をしています。
 なお、この雑誌は専ら「HOゲージ」を使っていましたから、この「16番」は異様です。2010-07-27

【追記3】引き続き、実物の歴史的探求を、「緩和曲線の測量学」(全2回)で行っています。

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