京阪電車開業1年目の評判
The Keihan Electric Railway that just launched, was shown in a book published in the Meiji Era 1944 for the industry.
国会図書館の近代デジタルライブラリーに面白い本を見つけました。京阪電車の開業1年後という明治44年(1911年)9月25日発行、著作者兼発行者大久保透(高城)という「最近の大阪市及其附近」です。
評論を加えて、大阪市の行政など、あらゆる方面を概観している文章は、まあ、当時の一般的な認識とは言い難い面もあるとは思います。この最後に4私鉄の話が出てきます。著作権が切れていることを良いことに、ここの京阪の一部を抜き出してみました。【画像はクリックで拡大します】
京阪電気鉄道沿線
■その現状
現時大阪市に接続し、しかも要部に起点を有して大阪市営電気鉄道と連繋を保てる電気鉄道としては、前項記述せしがごとく、大阪神戸間に通ずる阪神、大阪和歌山間を通ずる南海、大阪箕面宝塚間を通ずる箕面有馬、および大阪京都間を馳走せる京阪の4線あるに過ぎざるも、これ以外の地点において企画せられたるもの、もしくは近き将来において営業の開始を見んとするもの、なお数線あり。
もしこれらの企画全部竣成の暁には当にもって大阪付近は四通八達の地となるべく、同時に都市と田園との密接、天然と人との融化を見るに至るべし。しこうして吾人はかくのごとき時代の一日も早く実現せんことを望み、またかくごとき時代の実現をもって現代文明人の生活上の理想たるべきを信じて疑わず。
以上既設せる4電気鉄道の中において、比較的最も成功せるものは阪神電鉄たるべく、まさに成功せんとしつつあるは南海と箕面たるべし。同時に京阪のごときもその一たるべし。これは成功せる阪神に対して他の3者が最も有望なる前途を有すると同時に、その将来の甚だ長きもののあるを想見せしむるゆえんなり。
京阪電鉄の開業は近く、昨43年にして、以来日子を閲みすること僅かに1年に過ぎず、本社は元男爵渋澤栄一氏の主唱したる京阪鉄道と、故南工学博士の企画したる畿内電鉄との合併したるものにして、これが設計は実に去る明治39年にありき。
越えて40年これが実測を終わり、幾多の難工事、幾多の蹉跌に遭遇して同43年3月これを竣成し、尋で4月15日をもって開通の式を挙ぐるに至れり。しかも当初は運転上種々の失態を招きて、多少物議を起こしたることもなきにあらざりしも、当事者の熱心なる努力と従業者の誠直なる勤務とは、日一日改善の実を挙げ来たり、十里一馳些少の痛痒を感ぜしめず。
交通機関としての任務をいたす上において、今やほとんど無きたるものというべきなり。されば乗客のごときも日に月に増加し、他の同業計画者に見るべからざるほどの多額を要したる当初の経営費のごときも、以上の成績に徴して日に回収せられつつあるは事実なり。
これ要するに本線の沿道には幾多の名邑勝地あり。しかも本社の当事者がこれらの名邑勝区を利用して、常に斬新なる四時の設備を施すに怠らざるがためにして、いわゆる人力をもって天然を潤飾しえたる経営上の勝利に外ならざるなり。
■沿道の名勝旧蹟
天満橋南詰より鉄路長く馳って京都五条橋畔に達する本線の沿道は風景において外に比肩すべきものなきと同時に歴史研究の上に逸すべからざる幾多の名勝旧蹟を認むべし。【以下略】
■香里園の新設備
香里園は会社が主力を致して経営せる沿道唯一の公遊地なり。同地は現に、4万5千坪の面積を有し、会社が最初よりこれに投下したる経営費はゆうに10万円に達せり。
香里園は天然の風景を主題としてこれに幾多の新設備を施せるものにして、なお阪神の香櫨園を経営せる方法と相似たるものあれど、阪神の沿道に遊ぶものは多くこれ市塵の人にして、この地に遊ぶものまたすこぶる新楼の趣味に浴せんとす。隋て彼らを迎ふるに鋭意なる同地の設備は新奇新様をもって人の目を媛ましむるものなかるべからず。勢いこれに至れば人為の工夫に設頭して天然の神鑿を傷つざらんとするもあたわず。
ゆえに今日の香櫨園は俗人の喜ぶべき公遊園たらんも、閑人の杖を曳き、心あるものの清興を貪らんとするには適さざるものの如し。
この点において吾人は香里園の純天然的風光を失わざるを多とし、野趣の多く野情の饒かなる中に日に幾多の遊客を楽しましめつつある経営者の最も欽すべきを想わずんばあらず。
今日の香里園は未だ必ずしも成功したるものにあらず。その設備においてその旗亭酒舎の按排において、なお幾多の欠点あるを認むべし。また一般乗客を招致すべき余興などの設けもあらざれば、ひとたびこの地に遊ぶものに他の香櫨園、淀寺、あるいは箕面公園に遊びたる目をもって見せしむれば一種寂寥の感なきを得ざらしむべし。
しかれども、かくのごとき感情はその経営の過渡時代においては当然免るべからざるものにして、京阪の当事者といえども予めこのことを想わざるなからん。
吾人をして公平に言わしむれば、香里園の香里園たるゆえんの価値はなお1年2年の後に発揮せらるるものならん。奇岩を鑿って清泉を引き、草根を鋤て花弁を培うに余地なき現状に徴すればこれが経営に任ずるものの、また這般の遠慮あるを信ぜざるべからず。
香里園の真価はその天然の風色浩蕩として些少の俗気を留めざる点に存するものというべく、すなわち、ひとたびこれが頂上に挙づるものは、城和河三州に連亘せる諸山の鬱蒼たるを背にして、夕陽のまさに沈まんとし、金波画のごとくに映ずる淀江の水を西に瞰下するを得べし。此間の味うべき風光は真に言語草紙の絶するところ。吾人の香里園に取らんとするものもまた実にこの権威ある天然の偉力にあり。
これが経営に任ずるものまた深くこの点に着目し、いわゆる天然を傷つけざる程度において種々の尽力を加うるの要あるべきなり。
■その将来
自然は近き将来においてなお2箇の支線を延長せんとす。一は、伏見を起点として宇治に達する4マイル半にして、他は淀川橋線にして造幣局北部を通過して市営線天満橋筋に接続する1マイルなり。
これらの延長線にして完成せんか大阪市部の一端何れの電車に搭乗せんも東すれば京都に、西すれば神戸に、また南すれば南海線の諸名邑に、北すれば箕面、宝塚の仙境に達せんことけだし、意のままなり、しこうしてこれ実に吾人のいわゆる四通八達の交通最盛期を実現するものにして、吾人の生活上の理想はまたかくして現実せらるべきを信ずるものなり。
「城和河」というのは山城、大和、河内の3国ですね。例によって旧字体や旧仮名遣いは勝手に現代風に直し、文字が潰れていたり、意味の通じない部分は適当に字句を充てています。
写真は原本ではもう少し鮮明だと思います。この時代にこれほど豊富な図版は贅沢です。阪神、阪急、南海、大阪市電に興味をお持ちの方にも是非お薦めします。
開業時の苦難の様子が知れるところがこの本の大きな価値で、渋沢栄一が開業に関わったことが、そこそこ知られていたようです。この辺り、当時の新聞の中身が検索できるようになれば面白くなります。
なお、本書の冒頭には「前大阪府知事高崎親章君題字、大阪市長植村俊平君序、大阪市会議長中橋徳五郎君序」とあって、本質的には胡散臭いかな、と思います。香里園を評した文章がその最たるところで、経営者を恫喝=虚喝しているとしか読めません。542頁もあるこんな大冊を誰が買うのか(誰に買わせるのか)です。
著者名を検索すると、それらしいものが、「大阪朝日新聞社員等署名帳. [1-2] / 好尚 [編] 明治37-38[1904-1905] 写」に見えます。ここの社員だったのでしょうか。
「平成15年度大阪府立中之島図書館特別展示」の中の、「最近之大阪市」増補訂正 大久保透著 1912年(明治45年)」は、今回紹介したものの続編の様です。
公文堂という古書店の出品目録では、大久保高城の名で「1914年(大正3年)増補訂正」があります。
「東京大学所蔵博覧会関係資料目録」には、「明治記念拓殖博覽會案内記 大久保透 大阪 有信社 1913年(大正2年)」です。
「戦前台湾学事年表」では、1897年(明治30年)1月14日の項に「大久保透、臺灣總督府國語傳習所書記ニ任ジ七級俸雲林國語傳習所勤務ヲ命ズ(公文類一永乙2-38)」と出ています。
この全てが同一人物だとして想像を膨らませれば、文学を志したものの1897年に台湾で日本語を広める職に就いた。で、縁あって1904年頃には大阪で新聞記者となった。そこで、役所回りで築いたコネを使って1911年前後に独立し、数年間はこういう仕組みで稼いだ……といった辺りでしょうか。
【追記】冒頭に掲げた淀城址辺りの写真の原画と思しきものを発見しました。「明治44年ごろの淀駅周辺(大阪府立図書館蔵)」となっていますから、本書のものである可能性が大です。出典は京阪が開業90年を記念して発行した「街をつなぐ、心をむすぶ 90th Anniversary」のp54で、だいぶトリミングがされています。2010-08-13
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コメント
「この辺り、当時の新聞の中身が検索できるようになれば面白くなります」。
そうですね。実は、あるんです。神戸大学附属図書館デジタルアーカイブに「新聞記事文庫」があり、そのカテゴリーのひとつが、「鉄道(交通)」です。
しかし、始まりが明治44年11月なので、残念ながら、京阪開業には間に合っていません。私は、ときどき眺めていますが、新聞と云うものは実に色々な事柄がでていますね。
記事そのものが写真版であるのと、テキスト化したものの両方が提供されているので、読むのも楽です。旧いことに関心がある方は、お楽しみ下さい。URLは、この通りです。
>>おおっ! これは面白いですね。文語体に慣れない私は一読では意味が掴めず、2度3度と反芻する必要がありますが、判ると凄いです。【ワークスK】
投稿: 宮 崎 繁 幹 | 2010/06/17 22:57