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2010/06/22

明治人の読んだアメリカ鉄道王たち

Several American railroad tycoons appeared in biographies written in the late Meiji Era, arround 1900. Jay Gould, Vanderbilt, Stanford, Huntington, Hill, Harriman & etc.
 国立国会図書館の近代デジタルライブラリーを繰っていると、偉人伝とか立身出世話を多く目にします。時代の空気ですね。
 特に米国モノは、アメリカン・ドリームということで、ジェームズ・ヒル、バンダービルト、スタンフォード、ハンティントン、プルマンと、我々の知っている鉄道王たちが目白押しです。

Jay Gould その中で驚いた人物がジェイ・グールドです。現代の日本ではほとんど知られていない上に、以前読んだ文献では悪徳投資家の評判ありで、全く意外でした。9冊にも出てきて、中で「皇民読本」は学校の教科書ですよね。
 ことに、死の5年後に著された1冊丸ごと「鉄道王グールド」南海生著は、生前の悪評を知っているにもかかわらず、ベタ誉めなんです。肖像は本書からの転載です。

 ということで彼らが出ている書名を拾ってみました。人名は一般的と思われる表記に統一し、出版の年代順に並べています。現物を読むときは、書名を同ライブラリーの検索欄に入力してください。目次の付いているものがあります。

1887年(明治20.9)「商売の秘訣」佐久間剛蔵(蘆川)著、東京・錦栄堂、米国ヴァンダービルトの伝、米国ジェイ・グールドの伝
 ヴァンダービルトは2代目のウィリアムです。

1887年(明治20.11)「商人の友」今井太郎右衛門編、京都・大黒屋、米国ジェイ・グールド氏伝、米国ウィリアム H. ヴァンダービルト氏伝

1889年(明治22.8)「少年金函」田中登作編、東京・普及舎、第十六 鉄道王(ジェイ・グールド)

1891年(明治24.9)「内外豪商列伝坪谷善四郎著、東京・博文館、ヴァンダービルト氏の伝、ジェイ・グールド氏の伝 

1895年(明治28.8)「皇民読本 高等小学科用 巻7, 8」 興風学館編、東京・神戸書店(和装)、初版:明治27.12、第八、九課 鉄道王(ジェイ・グールド)
 中身は「少年金函」と一緒の様です。田中登作は教科書検定を行った文部省官吏と思われます。

1897年(明治30)「鉄道王グールド」南海生著、東京・民友社

1901年(明治34.2)「勤倹貯蓄新論天野為之著、東京・宝永館、北米富豪スタンフォード等の例

1903年(明治36.3)「米国実業王苦心譚森晋太郎編訳、東京・大学館、第三 ジェームズ・ヒル、第十 ジョージ・プルマン、第十二 ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト、第十九 ジェイ・グールド
 ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルトWilliam Kissam Vanderbilt(1849-1920)は初代の孫で、ここには個人ではなくて一族の歴史が語られています。

1903年(明治36.10)「成功と失敗」宮村無声編、大阪・又間精華堂、米国鉄道王ヒル成功伝
 この中に「東京電気鉄道会社々長 浜政弘」という章があります。

1903年(明治36.12)「最近米国成功十傑」石井勇著、東京・実業之日本社、鉄道王ジェームズ・ヒル

1904年(明治37.3)「世界富豪の表裏長田秋濤(忠一)著、東京・博文館、第三 コーネリアス・ヴァンダービルト、第十 リーランド・スタンフォードの死

1905年(明治38.5)「世界大富豪立身伝」成功雑誌社訳編、東京・成功雑誌社、模範的実業家スタンフォード伝、一億五千万円富豪ヴァンダービルト伝、大実業家ハンティントン伝

1907年(明治40.7)「成功の基礎」マーデン著,内外出版協会訳、東京・内外出版協会、Orison Swett Marden(1848-1924)、六 富を成すの苦心(時計行商人は大陸横断鉄道の創設者なりき:コリスPハンティントン)、十三 南部鉄道の総裁となりし少年(南部鉄道の総裁エム・ゼー・オブリエン大佐)
 この「オブリエン大佐」が判りません。「南部鉄道」に「サウザン・エクスプレス」とルビを振り、「南部運送会社」、「オブリン」の語もあって、Southern Railwayでは無い可能性があります。原著者は生年だけが異なるものの、このWikipedia英語版の主でしょう。

1907年(明治40.7)「人物画伝」朝日新聞社編、東京・有楽社、(七十八)鉄道王ハリマン氏

1907年(明治40.10)「人格の教養」 大原里靖著、東京・参文舎、第十三章 勤勉:コーネリアス・ヴァンダービルト

1907年(明治40.12)「大人物の少年時代」、英学界編輯局編、東京・有楽社、 VIII 奮闘的金持スタンフォード

1908年(明治41.4)「偉人の青年時代」小河内緑著、東京・有朋館、ジェイ・グールド(北米鉄道王) 

1909年(明治42.8)「起業界之覇王 付・米国起業三旧家」水谷古剣著、東京・実業之世界社、六 鉄道王、ジェームズ・ヒル、附録 米国実業界の三旧家(二 ヴァンダービルト家、三 グールド家)

1909年(明治42.10)「青年立志編」永田岳淵著、東京・富田文陽堂、第十八章 鉄道王ジェームズ・ヒルも元は波止場の人足、第二十四章 節を屈して十一年間、汽船の実務を練習したるヴァンダービルト

1910年(明治43.12)「成功百話」大月隆編、東京・文学同志会、奮励した鉄道王ジェームズ・ヒル、ジョージ・ブルマンの寝台車、投機大統領ダニエル・ドリュー、ヴァンダービルトの競争、
 鉄道に関係する日本人は、「雨宮敬次郎の商量」、「平岡凞(ひろし)の汽車製造」、「小川一真の渡米苦心」が出ています。リンク先はウィキペディア日本語版です。小川は「明治の機関車 岩崎・渡辺コレクション」の撮影者ですね。

1910年(明治43。12)「東西名士発奮之動機」東京・実業之日本社、財界の巨人ヴァンダービルド、米国鉄道王ヒル、慈善的大富豪スタンフォード
 日本人では「実業界快男子雨宮敬次郎」があります。

1911年(明治44.4)「世界富豪伝」北村台水著、東京・昭倫社、五 鉄道王コリス・ハンティントン、十一 新鉄道王ジェームズ・ヒル

1912年(大正1)「欧米株式活歴史」福沢桃介著、渋谷町(東京府)池田藤四郎、北太平洋鐵道株買占戰、兩鐵道王の決戰(ハリマンとヒル)
 著者の福沢桃介は諭吉の女婿、電力王ですね。

 アメリカ型鉄道模型大辞典での各人の項目を引き写しておきます。

ジェイ・グールド(Jay Gould 1836-1892)南北戦争後の鉄道建設ラッシュ時にNYCのヴァンダービルトとイリー鉄道を巡って争い勝利したことで有名。晩年にはUPやMoPacをも手中に収めた。一般には悪徳投資家と見なされていて「ジェイ・グールドの娘」という民謡に唄われる。ウィキペディア日本語版ジェー・ゴールド

コーネリアス・ヴァンダービルト(Cornelius Vanderbilt 1794-1877)通称はコモドア・ヴァンダービルトCommodore Vanderbilt。「コモドア」は提督の意で、海運業で活躍したことから付けられたニックネーム。1833年に起きた最初の鉄道旅客死亡事故に遭遇して鉄道を忌避していたが、1862年に船舶を全て売却し1864年にはニューヨーク・セントラル鉄道NYC全システムを支配下に置いた。同鉄道の創業者と目される。
 1934年にNYCでJ1e、5344号機から流線形に改造された4-6-4は、アメリカ初の完全な形の流線型蒸機とされ、彼の名が冠された。ウィキペディア日本語版コーニリアス・バンダービルト,コーネリウス

リーランド・スタンフォード(Leland Stanford 1824-1893)アメリカ最初の横断鉄道を建設したビッグ・フォーの一人。セントラル・パシフィック鉄道CPの初代社長で、ゴールデンスパイクを打った人物。スタンフォード大学を創設した。
 彼がカリフォルニア州知事を勤めたことから、1883年登場時に世界最大の機関車であった4-8-0に、スペイン語で"知事"の意のエル・ゴベルナドルEl Gobernadorと名付け、以後、その車輪配置の呼称となった。CPの1号機"Gov.スタンフォード"4-4-0も同じ。また、CPが合併して成立したSPは“スタンフォード”という名のビジネスカーを保有した。ウィキペディア日本語版レランド・スタンホード

コリス・ハンティントン(Collis Potter Huntington 1821-1900)SPの前身であるCentral Pacific鉄道の創業者の一人。1865年にSPへ改組してカリフォルニア州を中心に9000マイルの鉄路と5000マイルの航路を築き上げると共に、1869年にはC&Oを買収するなど、鉄道網の改良拡張に務めた。1890年にSPの社長に就任した。美術品収集家としても知られる。PEの創業者、ヘンリィ・ハンティントンは彼の甥。
 彼の名を冠したシングルドライバー4-2-4Tは、1863年にCooke Locomotive Worksで製造され、CPの3号機として大陸横断鉄道の建設に活躍した後、1871年にSPに移籍して1号機となり保線や工場内の入換に使われた。1915年からは静態保存機となり、現在はサクラメントのカリフォルニア州鉄道博物館に展示されている。Wikipedia英語版ハンチントン

ジェームズ・ヒル(James Jerome Hill 1838-1916)グレート・ノーザン鉄道GNの創業者。カナディアン・パシフィック鉄道の創設にも関与する。GNの列車名「エンパイア・ビルダー=帝国建設者」は彼のことを指す。ジェーム"ス"ではなく、"ズ"と濁るようだ。ウィキペディア日本語版ジェームス・ヒル

エドワード・ハリマン(Edward Henry Harriman 1848-1909)投資家、鉄道経営者。IC、UP、SPなどを傘下に収め、鉄道王と呼ばれた。鉄道資材の統一化に努め、その蒸機や客車はハリマン・タイプと称される。1899年に行ったアラスカ探検が有名。日露戦争終結に際して南満州鉄道を買収しようとした。ウィキペディア日本語版

【追記】bokukouiさんの「筆不精者の雑彙」にヴァンダービルトとジェイ・グールドの名前が出ていました。議会政治の父と称えられる尾崎行雄が1898年(明治31年)に起こした共和演説事件で、2人を拝金主義者に喩えたそうですから、その名は一般に知られていたのだと思います。で、彼の評価はこれでハッキリしますが、演説を聞いていた連中との乖離が事件の根源だったのかも(笑)2010-06-23

【追記2】ジェームズ・ヒルの豪邸がミネソタ州セントポールに残っていて見学したという"USしゅん"という方の報告がありました。2010-09-04

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