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2010/06/30

明治人の触れたニューヨーク市街鉄道

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ニューヨーク市街鉄道1896年 画像の出典

 前回紹介した松井拍軒(松井広吉)著「米国漫遊雑記」1901年(明治34年)刊の内容は、英文なら今でも容易に知れるものなのかもしれませんが、我々にとっては、少なくとも私にとっては、日本語である点がすこぶる貴重です。
 寝台列車に劣らず、ニューヨーク市内交通の章も感動モノです。まさに馬車からケーブル、路面電車、蒸機牽引高架鉄道、さらに地下鉄へと変遷する過渡期の様子です。
 日本では最初に京都で電車が走り始めたのが1895年、名古屋が1898年、川崎の大師が1899年、大阪と東京の路面電車は1903年ですから、市井の人々が電車なるものを見聞きし始めた頃でしょうか。
 これを例によって、読み易いように加工してご覧に入れます。写真はネット等から探し出した、それらしいものです。
 また、汽船と汽車の接続について、我彼の差を嘆じた章も付け加えておきます。【画像はクリックで拡大します。長文です】

第5 市街鉄道車

 市街で便利なものは鉄道車で、およそ都会といえば如何に小さくても必ず鉄道車があって、交通の往来には、はなはだ便利ぢゃ。この一事は実に米国が世界で欧州にも類例が無いと誉められている。
 市街鉄道の中にはむろん鉄道馬車もある。サンフランシスコなどでは別段客も無いけれど、ただその特許権を失っては困るといって、空馬車を引き回す町筋もある。これは他の会社へ合併するか、電気車などに変更するまでそうするのであろう。
 ケーブルカーもあるが、これは動力に多くの費用が要るからといって、今は大抵電気車に改められたが、しかしサンフランシスコのように勾配が急な坂の多い所ではケーブルでなければならぬものもある。
 電気車でも、日本のもののように電線を空へ架けて回らせるのもあれば、覆線【原文は「複線」】にして地下へ敷設しておくのもある。シカゴ、ニューヨークなどはほとんど地下線である。
 ケーブルはむろん地下線で、ゴーゴーと音がして電気車よりもやかましい。
 米国の各市を通じて、市街鉄道車の乗賃は総べて5セント(我が10銭)で、職工は半減ぢゃ。どんな遠方から端の端まで乗っても5セントで済む。
 サンフランシスコなどでは町外れに土地を所持している地主が寄り合って、最初に鉄道車を通じたのぢゃそうな。それはこうして町外れまでも交通の便利を開けば、町外れの閑静なのを愛して追々に住居する人が多くなって、しかして町外れまでも漸次繁昌して地代も高くなるからというのぢゃ。

 市街鉄道車でも幾会社もあるが、線路の連絡が付いているところでは、一方の線路の車から他方の線路の車へ乗り移ることも出来る。この場合にはトランスファーといって、車掌が切符をくれるから、これを持っていれば自由に乗れる。こうして連絡の付いている線路なら、5セントでもって甲乙丙丁と幾会社の車にも乗れてほとんど全市を巡回するようなことも出来る。
 現にある大学の教授先生は、このトランスファーでもってニューヨーク各社の市街鉄道を27時間押し通して乗り回したといってその順序を事細かに書いて発表したこともある。
 しかし線路の連絡が付いていないで、例えば半町【0.6km】でも1町【1.2km】でも隔たりがあると、このトランスファーを受け取ることができぬのであるから、甲の線路と乙の線路とは全く一町さえ隔てていぬけれど、直接に乗り移らずに横様に通う丙の線路に乗り換えて、これからまたトランスファーをもらってから乙の線路の車に移るようにする。わずかばかりの間に3度乗換えをするのぢゃ。

 その車室は、東京の鉄道馬車のものよりずっと大きく、腰掛でも何でも綺麗で、夜分などはたくさんな電気灯を点けるから、ごく細かい字の新聞でもスラスラと読める。
 シカゴでは車がやや小さいものもある。それを3車ぐらい繋ぎ合わせて往復するものもあって、混雑の時、街角などへ止まっていると、気早な通行人は車の行過ぎるのを待つのが面倒くさいといって、いきなり車に飛び乗って、また向う側へ降りてサッサッと行くものもある。
 市街鉄道車を呼び止めるのは、町の角々に限る。角でないと決して停めぬ。また乗っていて車を停めさせようと思えば、御者か車掌へ断るか、それも面倒なら窓の柱にボタンがあるから、それを押すと止めてくれる。降りるにも角に限るのはもちろんぢゃ。

 車掌は日本のもののように切符を売らぬ。銭を払うと車掌が必ず綱を引く。するとティーンと鳴って正面の丸い時計のような形の器械へ数字が一つ出る。一二三四と順次出るので、その数字でもってこの車が片道幾十人の客を乗せたかということが直ぐに分かる。
 シカゴでは客の求めるまま、たとえ町の角々でも車を停めると進行が遅くなるといって、男子は飛び乗り飛び降りをすべく、婦人に限って停めるとしたことがあったが、危険が多いので廃された。総べて乗り降りとも車の止まるのを待つが安全で、これを待たずにやれば怪我をしても賠償を求めることが出来ぬ。

 車の進行は早いもので気持ちの良いほどぢゃ。その代わりウッカリすると乗り遅れる。
 市街鉄道車は皆、年中押し通して昼夜間断なく往復する。しかもサンフランシスコではケーブルの音がヤカマしくて安眠を妨害するという苦情が出たため、午前4時から翌朝の午前1時まで運転することとなっている。
 ニューヨークなどは人々が忙しくて夜分ででもなければ訪問などに往来することが出来ぬから、夜中も休み無しに運転するほうが便利ぢゃ。この交通機関のためにヤカマしくて安眠できぬなどという者は文明の利器を利用する事を知らぬベラボウと一口にけなされる。

 それからシカゴとニューヨークとに市街高架鉄道車があるが、今回は専らニューヨークについて話そう。

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機関車の形が分かり易いシカゴの例"Chicago's First Elevated Railway"

 高架鉄道は全部鉄で作られている。車道の上方へ高さ1丈【3m】から3丈【9m】くらい(市街の地面が低いと鉄道を高くする)の鉄道を布したので、これを支える大きな鉄柱は、車道の両側へ立てられている。分かり易くいえば、車道の上方へ一面に長い鉄橋を架けたと見るのが一番適当ぢゃ。この鉄橋の上へ多くのレールを並べてその枕木だけが木材であるばかり。他は総べて鉄材を用いている。見渡したところ、こうも多くの鉄が産出するものかと思うほどぢゃ。

 四五丁目毎に停車場があって、それが左右両側に1ヶ所ずつある。一方が下町へ向かうので、一方が上町に通うのぢゃから、それぞれ向かう所によって左右いずれへか停車場に登るのぢゃ。
 停車場のハシゴが左右から架けてある。登り切ると切符を売る所があるからここで切符を買って、これをプラットホームの入口に備え付けてあるガラスのフタのある賽銭箱のような中へ投げ入れると、側にいる鉄道係がその切符を切るべく器械を動かす。
 切符を投げ入れたまま(すなわち無切符で)線路に沿っているプラットホームへ出て、ここで汽車の来るのを待ち合わせる。
 この停車場のハシゴの上がり口か、プラットホームかには必ず新聞雑誌の売店がある。

 汽車は機関車に五六ないし七八の客車を連続するのが例で、その石炭は無煙炭を用いる。もし普通の石炭を焚けば町々を汚くするからぢゃ。
 客の乗降が終わると1客車に1人ずつ付属している車掌が綱を引く。昇降口の網戸を閉める。それで進行を始めるのぢゃ。
 車室の内にはアンペラ【原文のまま】で編んだ腰掛が一人一人もたれるべく仕切られてある。しかし空席が無いと他の車のようにやはり皮の綱へつかまって立っていねばならぬ。

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1895年のニューヨーク高架鉄道

 朝晩は出勤者退勤者のため急行車を発するが各車とも満載の有様である。
 高架鉄道車もまた年中押し通しでよって昼夜間断なく運転する。何分にも鉄橋同然な上を汽車が疾走するのであるから、そのゴーゴーという音は凄まじいものぢゃ。沿道の各戸はずいぶん迷惑ぢゃろうが、苦情の起こらぬように会社でなるべく町筋に沿うてる家屋を買い占めたということぢゃ。しかし米人は音がヤカマしいなどとコボさぬようぢゃ。
 しかしながら高架鉄道の布敷る町筋は日光の多分を遮られるから暗い。ヤカマしくて暗いから、その町筋は自然地価も家賃も下落するのは免れないところであろう。

 ニューヨークとイーストリバー(入海である)を隔てているブルックリン市も今度ニューヨーク市へ合併されて、これを大ニューヨークと称する。このブルックリンへ行くには、すなわちイーストリバーに例の世界第一といわれる壮大雄宏驚嘆すべきブルックリン大鉄橋が架かっていて、この橋の上にも汽車や電気車が往来している。
 ブルックリンにも鉄道車と高架鉄道車があって、遠くロングアイランドまでも通じている。実に便利を極めている。
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ブルックリン大橋をブルックリン側から見る。高架軌道上は第3軌条式なので、1898年との説明は要確認。オープン式の路面電車の行列と、馬車に注目。William D. Middleton著"The Time of the Trolley"1968年刊p173

 ニューヨークでは町々ほとんど電気車等の通わぬものは無いほどぢゃのに、なおその上に高架鉄道まで架けておく。交通機関の便利至極なことはそれで分かるであろう。
 人出の多いこともまた驚くほどで、下の電気車も上の高架鉄道を走る汽車でも客を満載の有様で、日曜日などはほとんど困るほど混雑するので、人が車に乗るというより、人間が車に鈴生りに生っているといってもよいくらいぢゃ。
 かように交通機関が便利ぢゃから、用を足すにはいかなる人でもこれによるので、自用の馬車で回るなどはヴァンダービルト氏のような金持ちでも滅多にせぬ。自用馬車などに乗って用足しに回れば、人馬諸車の混雑中を回るからかえって遅くなってかつ危険であるから、むしろ市街鉄道車による方がはるかに便利なのぢゃ。
 されば馬車や自転車に乗るのは主として運動のためばかりで、公園や閑静な町外れを乗り回すくらいなものぢゃ。

 ニューヨークの高架鉄道はマンハッタン高架鉄道会社のもので、資本が3000万ドルで、1ヵ年の収入918万3542ドル30セント、純益380万6885ドル(我が771万3770円)ぢゃ。そして全線路の長さが108マイル【原文は「708マイル」】余ぢゃ。僅か108マイルばかりで7百万円からの純益があって、我が日本鉄道会社などよりもはるかに多い。もって交通の頻繁なことが推測されるであろう。
 それから乗客の数が1億8336万0846人ぢゃ。ただ高架鉄道ばかりでもこうであるから、他の電気車などにまで乗る客の数を合わせたら莫大なものであろう。

 それからブルックリンの高架鉄道の方が資本金1328万3600ドル、1ヵ年の収入162万6420ドル94セント、純益55万0367ドル85セント、乗客総数386万5346人である。
 またブルックリンのキングス・カウンティ【原文は「キンクスカーテン」】高架鉄道会社が資本金475万ドル、1ヵ年総収入69万4479ドル84セント、純益8万2646ドル25セントで、乗客総数が1330万5464人である。
 ブルックリンにはなお2つか3つの高架鉄道会社があるが、追々大きな方へ合併するようぢゃ。
 ニューヨークでは高架鉄道があってもなお足らないで、地下鉄道をも計画最中である。何程の人出があるのかほとんど測りがたい。

 こう人出が多いのは、戸外に出ることが好きな上に、家屋の造り方が家族総出に便利だからであろう。めいめいの部屋に鍵を下ろした上、玄関(裏口はもちろんぢゃ)へ鍵を一つ下ろせば、一家総出をしても何の不都合も無い。これらは所詮、日本の家屋では出来ぬことぢゃ。

 ついでに言おう。米国では自転車の流行は素晴らしいもので、婦人までが盛んに乗る。自転車学校もある。150万人の会員を有している自転車クラブもある。人力車はむろん無いが、馬車の辻待ちしているものもある。馬車はニューヨーク、フィラデルフィア等では中々高価で、一寸雇っても2ドル3ドルは取るが、首都のワシントン府では極安くて、一寸公園を巡覧して家へ帰るに25セント(我が50銭)くらいでも弁ずる。そしてワシントン府には馬車が中々多い。
 またニューヨークのセントラルパークには公園巡覧の乗合馬車があって、1人前25セント宛取る。広大な公園を膝栗毛で歩くのは大層だから、この乗合馬車も一寸気が利いている。

第40 汽車汽船の連絡

 総べてのことにはコンビネーション、すなわち連絡ということがはなはだ必要である。郵便物が大阪から東京まで早く着いても、その配達がのろかったり、またロンドンから何程電報が早く来ても、その技手が迅速巧妙にこれを受け取っても、他の局員が間抜けで、配達の手続きをのろくしたりすれば、これ連絡が上手く付かないので、その弊や堪えられぬ。
 例えば書籍出版の一事業でも、編集が如何に能く行っても、その活版がのろのろしたり印刷の手落ちがあったりして、三者の連絡が全くなければ、到底円滑に往て多く効果を奏することが出来ぬというような道理で何でも仕事は連絡が必要ぢゃ。

 日本では運輸機関のこの連絡というものが殊に不完全であって、はなはだしいのはほとんど全く連絡が付いていないくらいぢゃ。船が横浜へ着くといっても陸から離れて停泊せねばならぬ。旅客でも貨物でもその乗降りに手数が掛かって、船から降りても直ぐに汽車に乗り移るという手順になっていぬから、人力車か大八車などに乗りて鉄道の停車場まで行かねばならぬ。その間また汽車に乗り遅れたり何かして余計な手数面倒を見ねばならぬ。貨物などの不便不利は大したものであろう。

 その点になると、流石は米国で、汽車汽船の連絡は実に驚嘆するほど巧く着いている。
 まず船のことから言おう。ニューヨークなどではハドソン川の岸にばかり、70幾個の停泊所があって、欧州通いの1万5千トンの大汽船でも何でもその桟橋へ横付けにする。客は桟橋から直ぐ船へ上る。見送り人も桟橋で決別する。実に簡便至極なもので、サンフランシスコすらも支那日本へ往復する汽船を20幾所の停泊所へ横付けにするので、ハシケを用いるなどということが無い。
 またその停泊所が直ぐに倉庫で、貨物を積むには桟橋の上をコロコロ転がして船倉へ入れればよい。下ろすにも船倉からボンボン桟橋へ投げ下ろして直ぐに倉へ入れられる。
 しかるに日本の港ではいかでかある。ハシケで風に煽られ波に揺られ、雨には濡れて辛うじて本船へ上下するので、天気の悪い時などは貨物の揚げ降ろしさえ出来ぬから、船の出帆が延期することすらあるではないか。

 それから船と汽車の連絡も実に能く着いている。サンフランシスコから海上6マイルを船で往くとオークランドという所がある。ここから南部のメキシコ、北部のタコマ、シアトル、東部のシカゴ、ニューヨークなどまで汽車が通ずるので、サンフランシスコから船がオークランドのドックへ着くと、直ぐに船の上下の入口と桟橋が密接する。それで楼上の客は桟橋の2階へ出でて、下の客は直ぐ桟橋へ出て、共に停車場に入るのぢゃ。語を換えて言えば、桟橋は停車場であるのぢゃから直ぐにそれぞれの汽車へ乗り移られる。

 オークランドの市からこの停車場(桟橋)までが汽車であるから、サンフランシスコ・オークランド間を往復する人は片道10セントで切符を買って、船と汽車と両方通じて乗って行くのぢゃ。

 またカリフォルニア州の首府サクラメントの付近にサクラメント河があるが、ここへ汽車が来ると、船が河岸にいて、船上にはレールが敷いてあるから、汽車が直ぐとこのレールの上を走ってソックリそのまま船に乗ると、船はこぎ出だして向う岸に着く。船が着くと船上のレールと陸上のレールがキチンと接続されるから、汽車はまた直ぐと陸上を駆けるという趣向ぢゃ。
Trainferry.
客車航送の例で、カリフォルニア州オークランドとの説明。驚くことに機関車も載っている。

 ワシントン府からニューヨークを経てボストン府へ行く汽車もやはりこの趣向で、ワシントンから汽車がニューヨークとイーストリバーを隔てているジャージーシティ【原文では「ニゥゼルシィ」】へ着くと、河岸に待っている船が船上のレールを伝わらせて汽車を乗せてサッサッと河流を遡ってニューヨークの山の手のはるか外れの所へ着く。すると船上のレールが巧みに陸上のレールと接続するから、汽車はまたゴロゴロ陸上へ走り出す。
 さればニューヨークのハドソン川でも、イーストリバーでも汽車を乗せたままの船が盛んに上下している。あるいは貨物列車などはそのまま向う河岸の鉄道まで貨車ぐるみ運ぶので、この間貨物を積み替えるなどという手数はせぬ。

 シカゴ、フィラデルフィアからニューヨークへ通うペンシルベニア鉄道などもニューヨークの対岸に停車場があって、ここへ汽車が着くとそのまま乗客は停車場内の桟橋に横付けとなっている汽船に乗り移る。この船もニューヨークの下町と中ほどと上町などへ行くのとそれぞれ分かれていて、船も桟橋の出入り口も別々ぢゃから、客は行く先々によってそれぞれの船に乗る。船がハドソン川を横切ってニューヨークの岸へ横付ける。すると直ぐ桟橋へ出て、船の2階の客はステーションの2階へ、下の客はステーションの下の広場へ出る。馬車や荷馬車も直ぐと下の桟橋へ出るので、実に便利を極めている。

 貨物を輸送することの多い会社などは、鉄道の停車場構内へ特約の倉庫を設けてこの倉庫から本線へ接続すべきレールを敷いておく。現に世界第一の大製鉄所たるカーネギー鉄工場のごときはペンシルベニア鉄道の構内へ、大きな船着場を設けて、ここにレールを布いておいて、船から直ぐと貨車へ積み下ろして、それを本線まで走らせるというように手順を着けている。

 かような風であるから米国の工業家でも商人でも、その貨物の受け渡し方が驚くばかり神速で、そのため競争入札などにズンズン相手に打ち勝つというのである。貨物の受け渡しを神速にするため即ちかく海陸の連絡を能く着けておくのぢゃ。

 各鉄道会社の線路にもまた能く連絡がついていて、貨車などはニューヨークからサンフランシスコまで、ペンシルベニア鉄道、ユニオン鉄道、サザン・パシフィック鉄道などなど幾会社の線路を走るけれど、中途で貨物を積み替えるということが無い。鉄道1マイルを走るその貨賃(レールの)幾千と支払うので、これには各鉄道会社連合の清算人があって、一々清算決裁するから、各会社ではただ何々の貨車が幾十百両何月何日何時に通過したとさえ帳簿に記入しておけばよいので、別に面倒なことは無い。

 米国の汽車は、その鉄道線路の長いことにおいても速力の速いことにおいても、牽力の強大なことにおいても、搭載する旅客貨物の多いことにおいても、総て世界第一である。
 米国の開けたのは実に鉄道の功力であるといっても宜しかろう。米人は何でも構わず山とも谷ともいわずに鉄道を布く。元来深く注意はせぬ。ただ荊棘を切り開いて少し土地を平して枕木を置いてレールを布き並べる。それで汽車を走らせるので、漸次土地の開けるに従って鉄道にも修繕に修繕を加えてゆくのぢゃ。ゆえにシカゴ以東、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントン、ボストンの間の鉄道は完全なものであるけれど、未だ十分に開拓されぬサザン・パシフィック鉄道などは、驚くほど乱暴な所もある。現に野飼いな飼人の無い牛や馬が汽車に触れて倒れたその死骸も野原に横たわっている。鉄道の側ら所々には枕木や錆びたレールを置いて修繕の場合に備えているのも見える。
 シカゴ以西、ユニオン鉄道のほかサザンパシフィック鉄道が金銀鉱のため、にわかに開けた太平洋岸からシエラネバタ山脈はもちろん、ロッキー山脈をも横断し来たって、東部の鉄道と連絡したのは、米国の進歩に向かって実に著しい効果を来たしたものといわれている。この鉄道が初めて米国大陸を横断すべき大連絡を付けたからであるのぢゃ。

■馬車軌道やケーブルカー、高架鉄道の歴史についてはWURE氏のサイトに詳しく解説されていて、ニューヨークの状況も知れます。
 路面電車の集電が、架空線ではなくて地中線というのには、驚きます。同サイトで「暗渠式集電方式」とされているものだと思います。
 運賃は現在の価値でどれくらいに相当するのでしょうか。この本の値段の38銭≒40銭を2千円と見立てれば、市内均一5セント=10銭が500円では一寸高いですね。

 蒸機牽引の高架軌道は電化されて今でもクイーンズ区などで一部が生き残っている様です。シカゴでは有名な"エル"です。マンハッタン高架鉄道ブルックリン・ユニオン高架鉄道キングス・カウンティ高架鉄道(Kings Countyはブルックリン区の公式名称)
 またブルックリン大橋は当時、世界最長です。

 汽車汽船連絡に関しては既に1894年(明治27年)、横浜港の鉄桟橋、後の大桟橋(おおさんばし)が完成していますから、ハシケ云々の話は一寸解せません。乗った船は東洋汽船会社の往路が日本丸で、復路が亜米利加丸だそうです。桟橋に接岸できないほどに大きな船だったのでしょうか。右は「海事史学会・会員通信」のページにあった横浜鉄桟橋開港50周年の日という1909年(明治42年)7月1日の横浜鉄桟橋のものです。そういえば"ボートトレイン"という語もありました。

 客車の航送は入れ替えに時間が掛かったとは思いますが、それでも著者は早いと感じた様です。
 ジャージーシティとブルックリンの間は、PRRが河底トンネルを開通させた後も現在まで、断面寸法と危険物の関係から貨車の航送が行われているとのことです。

 雄さんという方の「不良老年のNY独り暮らし」にブルックリンの古いモノクロ写真がアップされていて、その船着場の写真で、路面電車に架線が無いのですけれど、ケーブルカーなのか、暗渠式集電方式なのかちょっと判りません。

【追記】トレインデポの牛島店主より写真付きのメールを頂戴しました。
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 ご無沙汰しています。『明治人の……』をゆっくり楽しませていただきました。
 その中で蒸気機関車時代の高架鉄道車両を電車に手直ししたものは、1969年までニューヨーク地下鉄のブルックリン地区の高架鉄道で動いていたようです。文字通り『Before Subway』と呼ばれ、動態保存中ですが、それが正式名称かどうかは判りません。
3b  2004年の地下鉄100年祭で乗る機会がございましたので、その時の写真をお送りします。この車両が動いていたのは旧BMT系の現在の『M』トレインで、『M』は同車の引退後南部半分を廃止してジャマイカ街線『J』に乗り入れ、都心直通を果たしました。やはり木造では地下トンネルは無理だったのですね。
 最初の3枚は『Before Subway』、古いエレベーターのようなコントローラーのハンドルは、取り外した状態です。

 最後の写真は現在のジャマイカ街線を往く最新の電車で、カメラは西向き、遠方のウイリアムズバーグ橋を渡ってマンハッタンの地下へと続きます。3復線で混雑時はジャマイカ線Jが中央で急行、ミャートル街線Mが普通です。
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 スターテン島内のNYCT路線の電車が定期検査のためハシケでブルックリンに渡っているのは知っていましたが、ニューヨーク界隈での危険物搭載車両などがハシケを使っていたのは知りませんでした。
 地中集電はボンバルディアが挑戦していましたが、最近では架線等の設備を停留所毎に設けてキャパシタに急速充電する方向に発展的消滅に向かっているようです。2010-07-01

Img502b【追記2】コメントいただいた鉄道模型趣味誌1963年3月号(177号)西敏夫氏のフォーニー0-4-4Tを転載します。なお同記事で言及されている55年9月号(86号)には宍戸圭一氏の「シカゴ高架線"エル"」というファントリップを伝えるリポートがあって、西氏は、「この鉄道の開通当時の列車を模型化した」と述べられています。2010-07-03

【追記3】社団法人日本民営鉄道協会の広報誌「みんてつ」2010年秋号に「ニューヨーク地下鉄最新事情-奇跡の復活遂げた都市インフラ」という記事が掲載されていました。時事通信社ニューヨーク総局 大嶋聖一という方の筆で、ネット上でも公開されています。「地下鉄の建設が始まったのが1901年で、それまでは蒸機牽引の高架鉄道」とも書いてあります。2010-10-12

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コメント

今日は。(長文失礼)やはり日本語で読めれば、私など知識が確実になり助かります。
明治期の和書は印刷が悪いので、テキスト化するのは大変なことだったと思います。

これは米国で遅く(1962年頃)まで残ったワシントンの溝式集電路面電車です。
ニューヨークの場合、ケーブルカー→溝式集電への発達移行があり、その際既存のケーブル用溝にそのまま電線を設置しました。
過渡期には両者が直角交差する場所もあったようです。

次は英国の例です。
ポイントを掘り出したところです。
電車の集電器を側方に引きずり出したところと思われます。

同じ溝式でも凝ったタイプで、供給用電線を走行用線路のフランジ溝内に埋め込んだパリの例です。
路面線路にさらに中央溝線路を加えるのは抵抗があったためと思います。
この写真例は複線線路で分岐付近では電線を走行線路フランジ溝→線路中央溝にずらしてます。

なお路面電車の地上集電には、以上とは全く違った、プロット集電みたいなのがあり、これはTMS特集ミキストの「26年10月号」に紹介されてます。

>>御紹介ありがとうございました。リンクを弄った関係で少し文面も変えさせていただきました。【ワークスK】

投稿: 鈴木光太郎 | 2010/06/30 03:14

『雄さんという方の「不良老年のNY独り暮らし」にブルックリンの古いモノクロ写真がアップされていて、その船着場の写真で、路面電車に架線が無いのですけれど、ケーブルカーなのか、暗渠式集電方式なのかちょっと判りません。』

これはケーブルカーです。Brooklyn Heights Railroadの5号で、1899年11月24日に撮影されたものです。

うーん、どう見ても車番まで読み取れるとは、思えないのだが・・・。そう、こんなにハッキリ言えるのは、訳があります。10数年ほど前からでしょうか、Arcadia Publishingと云う出版社が、B5版130頁くらいの郷土写真集をいっぱい出してきました。今では恐らく全米で、数百タイトルは出ています。鉄道を取り上げたものも多く、出版社も「これは売れる!」とふんだのか、最近はImages of Railsというシリ-ズ名を付して、発行が続いています。鉄道シリーズも今では、百数十タイトルはあるでしょう。この中で、2008年出版のものに、”Brooklyn Streetcars”があります。件の写真、実はこの写真集の冒頭に出てるんですね、そのキャプションに、上記の内容が記されていた、と云うのが種明かし。

この本には、ご紹介があった他の写真も載っています。Arcadia の郷土写真集は、1頁に写真が2枚あり、夫々に数行のキャプションが付いているといった体裁ですから、英語が得意でない方も十分楽しめます。写真のクォリティは、ばらつきがあるものの、旧い写真はフィルムサイズが大きいので、現代の写真に遜色がないものも沢山あります。

値段は概ね$20(邦貨、2千数百円程度)程度ですから、割と気軽に購入できます。AMAZONで購入できるのも、嬉しいところです。ご紹介まで。

>>車番まで判明するとは、恐れ入りました。それにしてもケーブルカーとか路面下集電とか、日本に無かったものがこれほどまでに普及していたとは!【ワークスK】

投稿: 宮 崎 繁 幹 | 2010/06/30 08:27

シカゴ高架鉄道の機関車は、どうみてもフォーニー(0-4-4)でヴォークレイン複式というのがおもしろいですね。ところで複式機関車は発車時は単式で、ある程度速度が出て複式に切り替えてはじめて性能が発揮できると聞いていたのでこういう発車や停車を繰り返す市街鉄道などには不向きだと思うのですが、どうだったのでしょか?

>>おおっ! シカゴの写真には明らかに複式と思しきシリンダーが見て取れますね。その運転方法は判らないのですが、フォーニーの方はメイン州の2フィートナロー以外にも、都会のこの様な高架鉄道で活躍したことが改めて認識されます。Wikipedia参照【ワークスK】

投稿: ゆうえん・こうじ | 2010/06/30 14:43

私が投稿した文、手直ししていただいて見やすくなりました。ありがとうございます。

これは記事中のシカゴ高架鉄道のフォーニーと同一かどうかは不明ですが、
1893年頃のBaldwin製、ボークレン式4気筒複式、0-4-4T、動輪径1067mmφ
シカゴ高架鉄道向けです。

確かに複式機関車は、長時間一定の出力を出す、大平原や長距離連続上り勾配に有利であり、
発進停止の頻繁な都市通勤鉄道には不向きです。
ただし、複式は、排気の断続がマイルドなので、騒音を嫌う都市では有利だったんじゃないでしょうか。
排気がマイルドなのは、火の粉防止にも強いはずです。

米国高架鉄道のフォーニー型機、複式採用例は他に
1893年、Pitsburgh製、2気筒複式、0-4-4T、動輪径1092mmφ
ブルックリン高架鉄道向けがあります。

>>重ねての御教示ありがとうございます。フォーニーといえど奥が深いですね。【ワークスK】

投稿: 鈴木光太郎 | 2010/06/30 23:21

フォーニィは動力部が首を振らないので、第二動輪のブランジがないということになっています。ウィキぺディアの記述はそれに沿っています。
今回鈴木光太郎氏のお示しになった図面ではフランジが付いています。
フランジ付きは、他にも例があるのでしょうか。

投稿: dda40x | 2010/07/01 07:38

フォーニー型機関車の正しい定義は判りませんが、見た感じだけで書きます。
Matthias Nace Foney氏は30以上の鉄道関係特許を持ち、
フォーニー型機関車の特許は1866年のはずですが、
今google 特許検索では見つかりませんでした。

フォーニー型は動力部が車体に固定されてはいますが、
米国の大多数の4-4-0に於いてtruck寄り動輪(第1動輪)がフランジ付きなので、
フォーニー型に於いても、truck中心ピンが回転だけでなく横ずれする構造なら、
truck寄り動輪がフランジ付きでも問題ないんじゃないでしょうか。
数枚のフォーニー型の写真を見てみましたが、
これなども写真判定では全動輪フランジ付きに見えます。

こちらは参考で、フォーニー型とは言えないかも知れませんが、
フォーニー氏が1880年に構想した、貨物用機です。多分製造されてません。

勿論、truck寄り動輪がフランジ無しも確認出来ます。
つぎは1878年、Hinkley製、Billerica & Bedford 鉄道向け、2ft.ゲージですが、
truck寄り動輪がフランジ無しです。

投稿: 鈴木光太郎 | 2010/07/01 11:00

私の知る限りでは、フランジ付きがほとんどで、むしろフランジレスが稀ではないでしょうか。
フランジレスの例としては鈴木さんも挙げているB&BのARIEL、PUCK兄弟くらいしか浮かびませんね。

投稿: RAILTRUCK | 2010/07/01 17:39

冒頭の写真は、当然ですが、まるでバージニア・リー・バートンの絵本の絵の情景のようです。
昔のTMS(180号前後くらい)に高架鉄道のフォーニィの作例が出ていたようでしたが、、、。それも複式だったと記憶します。

投稿: 佐々木精一 | 2010/07/02 02:23

TMSの記事は、1963年3月、177号、ですね。模型作例はおっしゃる通り、シカゴ高架鉄道のボークレン複式です。
真鍮ブロックで機関車主台枠部を構成した作者の西敏夫氏は、
"the Baldwin Locomotives" 1927年10月号なる雑誌の写真だけから寸法を割り出した、と言われてます。
(縮尺は1/87かも知れないが、この時代のTMS編集部は縮尺を明記しなかった)
「シカゴ高架鉄道に関してはTMS86号にも記事がある」とも西氏は書いてます。
中学生の私は、妙な機関車と高架線があるもんだ、という感想でした。「フォーニー」という言葉は記事中には無いです。

Forney氏の経歴は
Ross Winans社 → B&O → Illinoi Central → Detroit Bridge & Iron社 → Railroad Gazette誌編集
でした。
1870年代初期、ニューヨーク市が毎冬積雪で馬車鉄道等が交通マヒを起こす問題があり、
Forney氏は鉄橋による高架鉄道を提案し、受け入れられたそうです。
当時の高架鉄道の枕木の間が透けてるのは積雪対策じゃないか ? と、これは私個人の推測ですが。

>>西敏夫氏のモデルは、本文中に写真を転載しておきました【ワークスK】

投稿: 鈴木光太郎 | 2010/07/02 08:57

提示いただいた西敏夫氏の0-4-4T作品を見てて
気筒下からスライドバーにかけて白っぽい棒が見えます。
http://www.discoverlivesteam.com/magazine/42/index.html

http://www.discoverlivesteam.com/magazine/42/SoSide04.jpg
↑はシカゴの例ですが、
西氏が、「ドレインや油を高架下へ落とさないようにする受け皿と思います」
と書いた気筒下の「受け皿」がよく解ります。

投稿: 鈴木光太郎 | 2010/07/04 00:29

そうですね、、、60年代前半の西さんTMSの記事では「フォーニー」という言葉は使われていなかったと思います。
私が「フォーニー」という言葉を使い始めたのは60年代後半になって、メイン州のナローゲージについて書いてある洋書を鉄道史研究家の川上幸義先生と話題にするようになってからの事です。この辺の経緯は、鉄道友の会・会報「レールファン」に「川上幸義先生の思い出」として書いて措きました。よろしければ御読みください。

70年代の初めに秋田大学の美術科に居られた学生の宮本さんは件の高架鉄道やインターバンの模型を製作されていたようです。
宮本さんは、秋田大学・鉱山学部の地質学科を卒業されて地質調査の仕事に就かれた後、美術、とりわけ窯芸を志されて、美術科に学士入学(再入学)されておられたのでした。私も宮本さんには一方ならぬ御世話を頂きました。
宮本さんは、その余暇に、鉱山学部の小野定和さんや本田裕さん(本田氏は先年、三重大学の教授として在職中に逝去されました)のグループ(いわゆる、秋田大学鉄道研究会)とは別に、鉄道模型の製作をされていたようです。
今から40年も前の秋田の地で、そのような模型製作がなされていた事を記させて頂きたく存じます。

投稿: 佐々木精一 | 2010/07/16 00:31

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