ゲージ・スラックの鉄道工学
緩和曲線で教えを乞うた"元"鉄道主任技術者曰く、「そういえば、『鉄道工学』という科目があった。教科書を残しているはず」とのことで、貸していただきました。森島宗太郎著「鉄道工学」1965年刊という箱入り定価1,600円です。
まあ、モデリングに直接、役に立つという内容は含んでいないのですけれど、ターンテーブルとか、カーリターダーとかの詳細や、設置した配線例がたくさん示されていますから、そういうものが鉄道においてどういう位置付けだったのかを知るには貴重な書物だと思います。蒸機の終末期、昭和30年代の鉄道輸送システムの解説書という趣きでしょうか。
その中で、小さな事柄ですけれど、軌間のスラックについての記述が有意義だと思いました。たぶん、多くの方のイメージとは異なっているはずです。【画像はクリックで拡大します】
通常、モデラーがスラックを意識するといったら、蒸気機関車の固定軸間距離ですよね。例えば3軸機がカーブを曲がるときの動輪とレールのイメージが右です。これは1964年刊、"模型と工作"臨時増刊号「鉄道模型工作ハンドブック」p199にあったものです。
もうひとつのイメージは、車輪の内外径差でしょう。車輪にはテーパーが付いていて、カーブでは外側が大きく、内側が小さくなる。よってスラックを付けて軌間を拡げれば、この差がさらに大きくなって曲がり易いはずだ……という考えです。
ネットを探したら、そんな考えを披露されているサイトもありました。
ところが、ところがです。
この本に描かれている画は違います。内軌側の後輪を逃がすためとあるのです。
前提は3軸車で、次が計算です。
車輪踏面のテーパーが曲線通過のためとばかり思われている方には信じられないことだと思います。実物か、大きな模型をゆっくりと動かしてみると実見できます。
これ以外では、大阪鉄道管理局編纂「鉄道用語辞典」1935年刊の挿絵をご覧にいれます。
この理由が大事です。「前方外側の車輪と、後方内側の車輪のフランジは、軌条を圧迫してこれを拡げんとし、従って軌条及びフランジの摩耗を著しく早めることになる‥‥」と、通過を可能にすることでも、走行抵抗を減らすことでもないところにご注意ください。
ネット上で探すと、平井喜久松著「鉄道」岩波書店、1936年刊に同様の解説がある様です。
アメリカの資料では、ちょっと見付けられないでいます。1978年刊"The Track Cyclopedia"第9版でも駄目です。
ところでモデルでは、大型蒸機以外、スラックは余り意識されません。
規格ではNMRAの"S-1.2 Standards for Scale Models"に軌間の限度値があります。HOゲージの場合は、下限が16.50mmで、上限が17.07mmですから、スラックの最大値は0.57mmということになります。これは軌間16.5mmの3.5%で、実物の30mm/1067mm=2.8%とニアリーイコールと、意外と小さな値です。
それと、NMRAでは"RP-8 Three Point Track Gages"として、3点ゲージを推奨しています。車両を4軸ディーゼル機、小型蒸機、さらに大型蒸機の3種(S-8)に分け、それぞれの最小カーブ半径を設定して、その最小半径でスラック最大となる3点ゲージ3種を決めているのです。
3種を使い分けるなどと、まあこれは、ちょっと非現実的。有名無実ですね。
となると、自由に曲げられるフレキシブル・レールの軌間が心配になります。曲げれば原理的に軌間が狭くなってしまうからです。30年ほど前に購入したシノハラ製#100をノギスで測ったら16.8mmでした。(さらに、同社コンクリート枕木は16.9mm、KTM製OJ用は24.3mmです。ただし、アメリカMicro Engineering製House of Duddy・ブランドのO用が31.9mmで、NMRAの規格S-1.2である31.75-32.64mmの下限値あたりでした。2013-03-21)フレキシブルレール、フレキシブル・トラックflexible track
ちなみに、カトーのユニトラックでは、直線が16.8mmで、R790が17.0mmと、明確に差が付けられているようです。
それなら、曲線でも直線でも常に軌間の最大値を採っても問題が無いはずです。極論を言えばHOゲージは、16.5mmではなくて17.0mmと決めればよさそうなものです。
まあ、モデルの場合は曲線半径が極端に小さいわけですから、16.5mm自体がスラックを十分に考慮した数値で、+0.5mmは誤差の許容値と本来は考えるべきなのでしょう。
模型で蒸機を通すスラックの考え方は、"模型と工作"の画で合っていると言えなくもないと思います。
では実物は何故、直線で軌間を狭めるのでしょうか。
これはレールとフランジの間の遊間が広いと、蛇行動などで車輪の振れ幅が大きくなって、レールへの衝突速度が高くなるためです。例えば1990年代に名古屋鉄道は最高速度向上を図り、軌間を狭めたと聞いています。何ミリかは忘れました。
とすれば、疑問がもう一つ。車輪のテーパーは何のために付けられているのか、です。それについては、おいおい‥‥と、勿体を付けます(笑)
さて、この教科書は古書市場にも比較的潤沢に出回っているようなので、もしご興味をお持ちの場合でも入手に困ることは無いはずです。
全213ページと比較的薄い本にもかかわらず、需要予測とか、駅前広場計画とかも論じられているところが流石です。やはり、鉄道は土木工学(civil engineering)が中心なのだと、つくづく思わずにはいられません。
【追記】模型用3点ゲージについての記述を雑誌で探してみました。
次は鉄道模型趣味誌1954年6月号「16番 スパイクから運転まで」に出ているものです。天賞堂が発売していたとは感心しますが、ベーカーカプラーの高さゲージに使いたいのなら、形を工夫する必要があったでしょうね。左手で押さえられている方は4点式の様です。この記事は特集シリーズ6の、名前も同じ「スパイクから運転まで 鉄道模型入門」1958年刊に再録されました。
左図は模型とラジオ1964年3月号臨時増刊号「鉄道模型の製作」のカタログページの画で、価格は20円です。
前出の表に照らし合わせれば、どう見ても"L"の寸法は小さ過ぎの20mm前後で、スラックは、ほとんど付かないはずです。
右図は、MR誌の図面集"The Model Railroader Cyclopedia, The Book of Plans"第6版1950年刊のものですが、この辺りを実測して製品化されたのだと勘ぐれます。2010-08-01
【追記2】スパイクを1本1本手で打ってレールを敷設することは、「ハンド・スパイクhand spike」ではなくて、「ハンド・レイイングhand laying」、「ハンド・レイドhand laid」と言う様です。
この方法を解説した記事を探せば、前述の「スパイクから運転まで」をはじめとして、"とれいん"誌に松本謙一氏が書かれた1978年3、4月号や99年12月号など、たくさんの事例が見つかります。ただし、どれも具体的なスラック量とか、ゲージ幅の規整方法までは言及していないので、それほど難しいことではない、あるいはトラック・ゲージを必須としないものなのかもしれません。
ちなみに私がハンド・レイドした経験は、OJの直線150mm長だけです。レールの頭部ではなくて、底部の位置を枕木に印して、ノギスで測りながらスパイクした記憶があります。枕木が割れ易くて、一々ピンバイスで下孔を明けました。
なお、4点式ゲージはカーブで使うと原理的に軌間が狭くなってしまいますが、間隔がゲージ幅と同程度ならば誤差の内だと思います。2010-08-02
【追記3】鉄道模型趣味1949年5月号に3点ゲージについての記述がありました。「ポイントを作る」という記事で、これも"L"寸法の考慮がありません。「右図のa寸法でスパイクの頭が車輪のフランジに当たらないことを確認する」等と、時代を感じさせる解説はあります。2010-09-12
【追記4】JMゲージ(13mmゲージ)用の3点ゲージを京都トンネルクラブの廣瀬渉氏に見せていただきました。スパイクモデル製とのことで、関西合運2010の会場です。注目の"L"の長さは29mm程度です。3本足がレール頭にピッタリと填り込む寸法に仕上げられている点は好感が持てます。2010-10-04
【追記5】YAHOO知恵袋といって、ある人が質問すると、知ってる人が答えるサイトがある。ここで、「電車はどうして曲がれるのか?」という疑問が出て、自称専門家を含めて7人が答えている。そして、「カーブでキンキンと鳴っているのは?」には3人が解答を寄せている。
しかし、正しいものは一つも無い。真理に迫ってもいない。
当方が答えるとしたら、最初が「基本的には踏面の傾斜は役に立たず、第1軸外側車輪のフランジ案内だけで曲がる」、その次が「全部の車輪が枕木方向に横滑りを起こし、ガラスを爪で引っ掻くようにビビッている」ってところなんだけれど、誰も信じんだろうなあ(笑)2013-04-20 言うだけでは何なので、「電車はどうして曲がれるのだろうか?」という一文をでっち上げておいた。単に、今までの記事をまとめたものなのだけれど、ご参考まで2013-05-08
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コメント
この記事を読んで、なぜカーブの直前によくある油塗布装置(というのでしょうか?)が、内軌側に設置されているのか、納得できたように思います。
確か古い「とれいん」誌に、この装置をレイアウトで模型化する記事があったように思います。が、レイアウトシーナリーとして表現するにしても、どちら側に設置するか考えないと、恥ずかしいことになりますね。
>>日本では塗油器と呼んで"アラジン"なるブランドもありました。ネットを探すと「草野産業」ですね。一般にはレールと車輪の摩耗防止です。雨が降ったら止めるとか、トンネル内は程々にとか、単純ではありません。私が関わった空恐ろしい踏面用の話はまたいずれ……
なお、アメリカのメーカーを"The Track Cyclopedia"1978年版に拾うと、Abex Corpotarion、Moore & Steele Corporation、Unit Rail Anchor Companyがありました。【ワークスK】
投稿: arx | 2010/08/04 19:13