叡電"きらら"の標的はオバチャン
‥‥本日は、900系「きらら」に御試乗いただきまして、ありがとうございました。叡電が皆さんに注目されて、こうして洛北の地まで足をお運びいただけたことは、嬉しい限りです。 さて、今回は「叡山電鉄のデザイン戦略をしゃべろ」ということでした。何分にも小さな会社で、「戦略」などという大それたものは無いのですが、この様な電車がどうして登場したのか、どんな理由で「きらら」を作ったのかという辺りを説明してお茶を濁そうと思います。 私の後で南井健治氏がデザインのプロセスについて講演されますので、その露払いとして発注した側、クライアント側の事情をお話しさせていただこうと存じます。
まず、「きらら」を作る発端です。
当社の電車は、全部で24両あります。このうちの8両が1両だけで運転するワンマンカーです。それ以外の16両が2両ユニットで、出町柳・鞍馬間を運転している連結車です。
これら全24両の内の18両にクーラーが付いています。残り6両の旧型が未だ非冷房で、時代もあって順次、冷房付きとする計画を立てました。その方法は、これらの電車が1979年製と未だ新しいことから、我々、技術サイドとしては改造によって冷房化するつもりでいました。
ところが、ここで社長があろうことか、「目の覚めるような新車を作れ」と言い出したのです。
改造ならば、新車の1/5から1/4の費用で済みます。100万円、200万円ならいざ知らず、2両ユニットで2億数千万円のオーダーですから、小さな赤字会社としては大変に大きな金額です。
社長が無謀なことを言い出した背景には、近年の乗客数の動向があります。それを我が社の発展の4つの段階に分けて説明しましょう。
まず第一段階は長期低落時代です。1970年代から80年代中頃に掛け、モータリゼーションの進展や、接続交通機関である京都市電の廃止によって下降の一途をたどり、88年には最盛期のマイナス62パーセントという、惨憺たる様相を呈していました。
第二段階は急増時代です。89年に京阪電鉄が三条・出町柳間2.3kmを新規開業して当社のターミナルと直結した途端に、急激に増加し始めました。これは正に当社にとって危機回生の一大出来事でした。
第三段階は飽和時代です。急成長がだんだん鈍ってきて、とうとう95年に止まり、その後わずかながら減少の傾向すら見せ始めました。
さらに第四段階は、今年97年の6月に地下鉄烏丸線が北に延長された時点からです。新しい終点の京都国際会館駅の位置は、正に我が社の縄張りのド真ん中で、それによる旅客数の減少は、目に余るものがあります。
もちろん、この地下鉄延長の影響は予想していたことです。
ここで乗降客数推移のグラフを見てください。昨年、96年度まで赤色の定期旅客数が滑らかに変化し、堅調なことが判ります。定期旅客は、就職とか入学とか、人生の長いスパンの上でその通勤・通学経路を決めるという、構造的な要素を持っています。今回の地下鉄延伸では、我が社の定期旅客が激減しました。新たに出現した経路が利便性を格段に改善したからです。構造的であるが故に、小手先の対策でこの減少を防いだり、また増やすことは難しいということになります。
今まで作ってきたワンマンカーや連結車は、第二段階の激増時代を想定したもので、形は通勤電車そのものです。これは主に沿線に住んでいる旅客を考えた電車でした。
これに対して、定期外旅客、普通乗車券の旅客は、どうでしょう。グラフを見ると、緑色が増えたり減ったりしているのが判ります。単純に考えれば、景気とかブームとかで、何とかなるということです。
社長の言葉は正に「電車の作り方を180度、変えろ」ということに他なりません。定期旅客に合わせた通勤通学電車ではなく、普通旅客に狙いを変更するという、方針の大転換です。
では、誰を想定するかといいますと、沿線住民ではなく、当然「行楽客」、「観光客」ということになります。
ただし、ここで心しなければならない点は、我が社の路線が、京都と言ったら誰でもが思い浮かべるような金閣寺や平安神宮を外していることです。沿線には、清水寺や嵐山界隈といった、修学旅行生や観光バスの一行が大挙して押し寄せる定番の有名スポットは存在しないのです。
有るのは、修学院、詩仙堂、円通寺といった、知っている人しか知らない「通」好みの寺や神社です。または、名の通った鞍馬寺とか貴船にしても、一般の観光目的の人間は「招からざる客」で、専ら信者とか馴染みの客を大事にするといった傾向があります。
沿線の名所旧跡はアテになりません。となると、電車自体に魅力を持たせるしか術(すべ)が残っていないことになります。
ところで、電車を企画するに当たっては、何度もその電車に乗車してみるのが、まず常套手段です。このリサーチの中で、奇妙なことに気が付きました。それは、「乗っているのは、オバちゃんばっかりだ」ということです。休日はそれほどでもないのですが、平日の昼間は正に「オバちゃんオンリー」といった様相を呈します。
オバちゃんは、暇があって、小金が自由になって、口コミ情報がフンダンで、誘い合って、出掛けて来ているのです。
ただ、男も中には、います。しかし、大半は定年後のリタイア組で、どうもこれは、オバちゃんにクッツいて出て来ているようです。
すなわち、オバちゃん好みの電車を作るということです。
しかし、この「オバちゃん」ですが、けっして甘くはありません。有名でない寺社を巡ろうというのですから、「通」で、かつ「渋い」のです。
また、新車を新聞やテレビが取り上げてくれるだろう。物珍しいから乗ってくれるだろうと、単に目先の変わったスタイルやデザインを採用したのでは、魅力を感じてくれないし、直ぐに飽きられてしまいます。
もちろん、乗車して目を丸くしてもらえるような新奇性、オリジナリティは必要です。それが新聞とテレビが話題にしてくれることに結びつきます。それに加えて、「玄人を唸らせる」様な、ハイ・センスの「本物」が必須だという結論です。
一方、同様の状況に置かれている他社でも、目立つ電車を走らせています。同じ京都の京福電鉄ではレトロ電車、また鎌倉を走る江ノ電でも毛色の変わったスタイルを登場させました。
これに対して、当社が打ち出した方針は、「ハイ・センス」で「本物志向」です。強いて手本を上げるならば、一つにはスイスを走る氷河急行のパノラマ客車があります。この車両を目当てに全世界から観光客が押し寄せています。それにドイツのガラス電車です。特に、ガラス電車は1両しか存在せず、数年前に事故で廃車されてしまいましたが、大人気だった電車です。
もちろん当社の場合、これらをそのままデッドコピーするつもりは、毛頭ありませんでした。それらを先例、手本とはするが、当社は当社で新しい価値を創造する。それが、南井氏にお願いした無理難題というわけです。
さて、せっかく良いものが出来上がっても、不特定多数のオバちゃんに乗ってもらうためには、宣伝戦略が大変に重要です。自社沿線のように限られた地域からお客を呼ぼうというのでしたら、駅や電車内にポスターを貼るくらいなものの、関西一円、否、日本全国から乗りに来てもらおうとすると、それなりの手段が必要となってきます。
かといって、小さな貧乏会社ゆえ、広告を打ったりコマーシャルを流すような、お金はありません。
ということで、残されている方法は、ニュースとして取り上げてもらう。または記事として掲載してもらうことです。そのためには、まず記者や担当者に新車の魅力を判ってもらわねばなりません。
それで、早い時期からニュース・リリースを何度も流すこととしました。また、直接、担当者などに個人的に依頼もしています。これは、相手の数が限られていますから、それほど困難なことではありません。
また、取り上げてもらい易いように、紅葉の時期から逆算して営業開始の日取り、また工場での完成や試運転の日程なども決めました。
ところで、オバちゃんに直接、訴えるのは新聞やテレビですが、新車が話題となるのが今年限りでいいというわけにはいきません。少なくても数年、願わくば20年ぐらいは、この電車で飯を食いたいのがホンネです。
ではどうしたらいいのでしょうか。
幸い、電車、鉄道といったジャンルは、日本では愛好者、ファンが多いのです。先日もJRの碓氷峠や京阪の京津線の廃止が、マスメディアを賑わすというお国柄です。そこで考えたのが、このファン層に訴えることでした。
ファンの間に新車の魅力を十分に理解してもらえれば、鉄道雑誌にも度々取り上げてもらえ、それが新聞やテレビ、または旅行雑誌やタウン誌の担当者の目に触れる機会が増えるだろうという魂胆です。
言うなれば、新聞・テレビには即効性、鉄道専門誌にはジワジワと利いてくる漢方薬のような遅効性を期待するというわけです。
新車自体がハイ・センスの本物であるならば、次は宣伝の質が問題となります。お金を掛けずに効果を上げる、言うなれば「ハイ・コストパフォーマンス」が求められるのです。ここでも、南井氏の手を煩わせています。すなわち、新車の魅力を表現するのに、アリキタリの文章や写真を使うのではなくて、イラストを用いるという手法です。手の掛かった本物を提供しようという企てです。これをポスターやパンフレット、記念乗車券、さらには鉄道雑誌に展開しています。
目玉は、お手元にも配っているペーパークラフトです。紙幣が単なる小さな紙片でも1万円の価値を持つように、A4大の厚紙が印刷してあるクオリティによって、金額では表せない宝物になるということは、何も自惚れではないと思います。もちろん、過去に同じ趣旨のものが存在していますが、今回の出来映えは古今東西のトップだと確信しています。
また同じく、お手元にある叡電サブレですが、これも「きらら」をモチーフとしています。商売的には正直申し上げて、あまり儲かるものではありません。良くてトントン、目標を少しでも下回れば持ち出しです。
ただ、これも演出です。「きらら」に乗って、さらにサブレを買って帰ってもらえれば、話題が広がるということです。また社内的には、新車に対して社員一丸となって取り組んでもらうという効果も期待しています。
ということで、売り込みの結果は上々です。
まず、新聞は読売、朝日、毎日、サンケイという全国紙の関西版、また地元紙の京都新聞が取り上げてくれました。サンケイと京都新聞には、第一面をカラーで飾ってもらえました。
テレビも、関西で放映している全放送局が地方ニュースで取り上げてくれています。NHKは全国にも流れました。情報番組では「"きらら"で行く鞍馬」などという特集を組んでもらっています。
さらに鉄道雑誌では有り難いことに、中小私鉄としては破格の扱いでした。
さて、肝心のお客さんの方ですが、本当にオバちゃんが大挙して乗ってくれています。写真ではジイさんがたくさん写っていますが、平日は特に大方の列車で右を向いても左を向いてもオバちゃんばかりです。
『モミジのトンネル』では、本当に「ほおーっ」っと歓声が上がります。中には拍手される方もいます。
今年は紅葉が10日ほど早く、皆さんに体験していただけなくて誠に残念です。例年ですと今日でもその名残が見えます。来年は是非、シーズンの真っ最中に乗車していただければと思います。
旅客成績の方は、この10月4日から走り初めて、10月が全体の収入ベースで3パーセント増、シーズンの11月は実に10パーセント増の見込みです。競争相手の地下鉄が開通し、しかも世の中には不景気風が吹いているというのに、電車1本でこの成績です。関西風に言えば、正に「インダストリアル・デザインは儲かる」というのが実感です。
それでは、私の話はこれくらいにして、後は「儲かる」秘訣を南井氏からお聞きしたいと思います。
■このときの持ち時間は25分と短かったので、要領よく喋るために原稿を用意したのでした。主に学生が相手ということで、若干の誇張が加わっています。スライドというところが時代を感じさせます。グラフなどはパソコン画面を撮影したものです。
なお、サブレは当時の営業課長、中島健雄さんのアイデア、ペーパークラフトの裏のイラスト地図は、営業課員だった曽根亜希子さんの手になるものです。
【追記】ネットオークションにローレル賞受賞時の記念品が出てきました。このとき、楕円マークをネクタイピンにしようとしたのですけど、後任社長が「今どき、流行らない。カフスボタンだ。地色が朱では目立ちすぎる。実際に使ってもらうには黒だ」と言い出してできたものがこれです。200ほども作ったでしょうか。業者と懇意だったので個人的に朱色版を10個頼んだ記憶があります。2019-03-09
【追記2】コロナ禍が明けた2024年は、紅葉シーズンが大変だったようだ。Markmalというニュースサイトが、「もう限界」 京都の叡山電鉄、訪日客殺到で「積み残し」発生! 2両編成が突きつけた紅葉観光の現実、観光客分散策も裏目に、と伝えている。知っている人間にすれば、今さら何を言ってやがるんだ‥‥といったところ。京阪の鴨東線が接続した直後は凄かった。年中行事では「鞍馬の火祭」の日も大変。
これだけ混雑したって、経営はたぶん火の車。年間を通してコンスタントな需要が望ましいが、そう都合よくコトが運ぶものではない。そういえば、2020年に発生した貴船付近の土砂崩れで1年以上も不通だった。画像は2019年3月に台北地下鉄駅で家族が撮影したもの。
我々の時代にはインバウンドなんていう言葉は無かった。一つ目電車は中華圏を狙っているらしい。
ところで、叡電の輸送人員は、”きらら”が登場した1997年度が711.8万人、1998年度659.2万人、1999年度638.0万人と、転がり落ちた。これは文中に述べたように1997年6月に延伸された京都市交烏丸線の影響で、定期旅客数の減少は京阪本社鉄道計画部門が予想した通りだった記憶がある。国際会議COP3に合わせて市営地下鉄は大工事を行ったものだから、東西線と合わせて大赤字。もちろん、叡電も”きらら”効果でカバーしきれるはずは無い。路線を自由に変更できる京都バスが羨ましかった。岩倉付近は便利になって地価が上がったのだろうか。2024-12-10
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コメント
大変興味深いお話をご紹介いただき、ありがとうございます。これはデザイン戦略を超えて経営戦略ですね。成功ビジネスのケーススタディの解説を読んでいるかのようです。
もっぱらアメリカ型専門の私ですが、この「きらら」という電車は大好きなプロトタイプです。つい先日登場したような気がしているのですが、すでに10年以上経っているということに驚きました。古さを感じさせない、アイデンティティのあるデザインがすばらしいと思います。
いろいろ書きたいことがあるのですが、長くなりそうなので一点だけに絞ると、決して楽とは思えない経営状況の中、「目の覚めるような新車を作れ」と言った当時の社長さんの決断に敬意を表したいと思います。
アメリカ型で言えば、先日拙blogでもご紹介したように、バーリントン鉄道が新しい形の旅客輸送としてPioneer Zephyrを作ったとか、ローラーベアリングの採用が進まないのに業を煮やした(?)Timken社が、自力でデモンストレーション用の機関車としてFour Acesを建造した、といった「時代を切り拓いたパイオニア」のエピソードが浮かんできました。
さて、この「きらら」、しばらくご無沙汰しているので、今年は是非乗りに行こうと思っています。
>>コメントありがとうございます。担当者として有り難かったのは、トップに二心がなかったこと。「目的に合致しているか」としか問われなかったことです。たぶん、一番難しいことです。【ワークスK】
投稿: northerns484 | 2010/08/28 01:21
きららのことで思い出すことが有ります。
近車からの搬入直前に何も知らずに修学院車庫見学へ会社の同僚と2人で行きました。
その時休日にもかかわらずわざわざ自宅から出向いて頂いた栗生さんの指示で、撮影目的であったデオ600やデト1001を撮影し易い位置まで移動して頂き、存分に撮影することが出来ました。
その時「もうすぐ新車が入るのに、それから来ればよかったのに」と言われたことを良く憶えています。
その節は大変お世話になりました。模型製作資料の撮影でしたが、今だに日の目を見ておりません(^^;)
投稿: ひかり・こだま | 2010/08/28 21:38
きららの製造は武庫川車両でした。近車はデザインと設計でしたね。訂正してお詫びしますm(_ _)m
>>日記を確認すると、97年の9月7日(日)、モデルショップ中村さんの依頼と書いてありました。なお、車体設計も武庫川車両です。この辺り、ファンの間に誤解があるようですね。紅葉シーズンに是非、乗車してやってください。混雑を避けるのでしたら、穴は早朝です!【ワークスK】
投稿: ひかり・こだま | 2010/08/28 21:53
ワークスKさん、はじめまして。
ときどき読ませていただいてましたが、「きらら開発記」を見せていただいて、コメントさせていただきました。
「きらら」が洛北を走り出したときは本当にびっくり(@_@;)しました。失礼をお許し願いたいのですが、「叡電にもこんな電車をつくるセンスがあったんだ。」というのが、正直な感想でした。
初乗車は10月中旬だったと思いますが、行きも帰りも立ち席で、ロマンスシートの掛け心地も展望窓のながめもあまり堪能できませんでした(^^ゞ
それでも、顔見知りの駅員さん、乗務員さんの嬉しそうな、誇らしげな「どや、すごいやろう。」という顔はいまでも忘れません。
あれから、十数年経ってもいまだに陳腐化を感じさせないのは、さすがによく出来たデザインだと感心します。
願わくば、手すりの塗装ハゲ、内装シミ、パンタのカーボン汚れを綺麗にメンテナンスして、来るべき紅葉の季節を迎えていただけると、たいへん嬉しく思いますが(笑)
>>コメントありがとうございます。手スリは、ホーロー引きの現代版のような技術で、きららは出始めだったためか、駄目でしたね。今では進歩して丈夫になり、あちこちで多用されています。私自身は現在、別の仕事に就いていて、口を挟める立場にないのですが、先日乗車したら、綺麗にステンレス地が出ていて、モケットも洗ってありました。
登場時に喜んでくれた社員、それに通学で乗る鞍馬小学校の生徒の顔が私も忘れられません。【ワークスK】
投稿: なかっちょ | 2010/09/22 21:12
★ 関西在住の女性(多分、還暦近しの御仁)と自然関係でインターネット友をしているのですが、「きらら」をちゃんと撮影して、HPにアップしているのです。SDTMが鉄ちゃんと言う事もご存知であるのですが、そういう事だけではなくて、ワークスK様が言うように「オバちゃん」の心を掴むインパクトを持った列車だったのは間違いないと思います。
SDTMはきらら登場でもやはり従来の1両で運行している車両の方へ興味があります。ご指摘の通り、鉄ちゃんでは浸透度あるいは認知度という点ではかなり低いものです。ストタテジストとして社長の意向を具現化し、社内をまとめる事はいかに大変か理解しております。成功したのは社長の一括もありますが、それを支える社員の直向な姿勢も重要なファクターと思います。
>>コメントをありがとうございます。「40代以上の女性」というのは当然、話を面白くするための揶揄ですね。乗車される方は、年齢性別も様々で、1年365日、早朝から深夜まで目的も多種多様です。それらの足し算として事業が成り立つわけですから、考えられる限りのことを想定して造ってあります。が、思い込みが強すぎる場合も‥‥(笑)【ワークスK】
投稿: SDTM | 2010/09/26 02:25