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2011/01/21

京阪グリーンを作った頃(1)

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 エリエイ発行の「レイル No.77」は、もう御手に取られたでしょうか。
 実は、この中の「ある技術者の」という記事に関わりましたので、宣伝も兼ねて、内輪話を記しておこうと思います。Rail No.77

 記憶を辿れば、最初は10月初旬に発行された、ある冊子に遡ります。
 そこに載っていた小文に、なんと「戦後、京阪の塗色を決めるのに苦労した」という旨の記述があったのです。【画像はクリックで拡大します】

 慌ててエリエイの前里孝氏にメールすると、「一文は読んでいる。西野信一氏に問い合わせ中」との返事がきました。その西野氏に電話をすれば「この筆者の豊田隆さんは古い方で、お名前だけは存じているのだけれど・・・・」とのことだったので、私も同様なものの、意を決して問い合わせる役を買って出ました。

1900c  お電話を差し上げたのは10月22日です。
 受話器からは、お生まれが大正15/1926年とは信じられないお元気さが伝わってきて、口調も確かです。次から次へと話が弾む雰囲気でしたので、すかさず明後日の土曜、24日の約束を取り付け、西野氏と共に伺いました。

 お宅は、京阪線の土居駅から歩いて15分ほどの守口市街です。
 御記憶の呼び水となるようにと当方が用意していた資料を出す間もなく、御自身のアルバムを拡げられて、続々と衝撃的なお話が飛び出しました。曰く、通勤車のグリーンはペンキを自分で混ぜた。特急車に天井吊広告が無い最初は、自分の実力行使等々です。

 3時間ほどお邪魔して、帰宅すると直ぐにテキストにまとめ、前里氏に送りました。
 さらに1週間後の10月30日、お借りしたアルバムの返却がてら再訪し、前里氏からのダメ出し部分を繕いました。
 という様な経緯でまとまったのがクダンの記事というわけです。

 ところで、私の文筆活動!は、今やネット一辺倒です。
 自給自足というか、自分の文章や写真を、自分自身で公開している状況です。
 ですから、今回の共同作業には面食らう部分がありました。

 肝心の情報源では無いし、全体をまとめる編集者でもありません。代筆屋というか、ゴースト・ライターなんですね。
 アドバンテージとしては、技術者の"生"の声を聞き分けられて、かつファンの思いも知るという、仲介役です。

 もちろん、初めから整理して主役にお話いただければ、簡単なのですけれど、言葉は断片的で、連想は時空を越えます。それらを細切れにして再構築しなければなりません。
 こういうときにワープロは便利です。全体の構成を2つに分け、前半は塗装関係に特化し、後半は会社人生という流れとしました。

 白状しておくと、豊田氏の生き様というか、機微には大いに共感させられています。それこそが、この記事に積極的に関わった理由です
 できるだけ生の内容を、当人が納得できる形で、テキストに移し替えたつもりです。この辺りを酌んでいただけると幸いです。

 なお一連の作業の中で、私の役割は調書を採る刑事か、とも思い当たりました。供述者がいて、その話をメモる。それを鑑識に回して裏を取る。さらに検事の注文に応じてストーリーを組み立てるという流れの中です。

 都合の良いように誘導する、辻褄の合うようにストーリーを組み立てる、肝心な部分を削除する等など、危ない話です。また、一つ間違えると、紙に印刷したものは訂正が利かないだけに、汚点が末代まで残ります。

 それに較べるとブログは気が楽です。
 読む方が限られていて、いつでも訂正が利きます。

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 ここに掲載したモノクロ写真は、冒頭が新造時の1801-02で豊田隆氏所蔵、途中の吊り下げられた1922は同氏撮影で「京阪電車70年史」から転載、最後の守口車庫風景は京阪車両部所蔵です。

Img021b【追記】淀屋橋地下線に搬入される1900新の写真が、鉄道ピクトリアルの「アーカイブス・セレクション25 京阪電気鉄道1960~70」2013年刊にも使われていました。p73で、京阪電気鉄道提供となっています。ここに示した70年史のものと一緒のアングルとはいうものの、作業員の姿勢が異なり、また車番も1920でした。右に引用しておきます。

 なお同号は、掲示板の方で紹介しました。2013-03-01

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