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2011/01/27

京阪グリーンを作った頃(2)

2000a

2000a_2 今回のレイルNo.77の記事は写真が豊富ですね。当時のファンがちゃんと撮影されていることに感服します。
 一方、車内については弱り果てたと伺いました。今回は“色”の話ですから、カラーが必須なのに、メーカー竣工写真のモロクロしか無かったそうです。

 よって1959年に作られたスーパーカー2000系のパンフレットを複写したのは苦肉の策の様です。でもこれは、天井のアイボリーホワイトが異様に黄色いし、ライトグリーンのはずの吊り手ベルトや扇風機、アルミ地の吊り手棒ブラケットまで塗りつぶしですから、大幅にタッチアップしているかも、という話があります。【画像はクリックで拡大します】

 ただ幸いというか、豊田隆氏らの苦労して作り出したこの組み合わせが、今でも現車に辛うじて残存します。

 車外は、新塗色に着々と移行しつつあるなかで、半分ほどが旧来のままです。
 車内は、冷房化などの改造が行われているとしても2200系、それに2000系を流用した2600系が新造当時の姿を色濃く残しています。
 記事にある1300型は1983年に廃車され、1650型は新1800系に転用の後、1989年に全廃されています。

 というわけで、暇を見つけて2600系を追いかけてみました。

 まず、2605号車(1次車ボディ)の京都運転台寄です。
Dsc00414a

 次は、2705号車(2次車中間車ボディ)の大阪寄で、車端座席の背ズリが優先座席表示のベージュとなっています。
Dsc00486a

 後年、2200、2600系列で大きく変化したところは、1974-82年の冷房化関連の天井です。色彩は踏襲しています。
 断面形状が変わり、扇風機が撤去され、広告吊や吊手が新品となっています。
 唯一、蛍光灯の灯具は流用されたものの、数を増やした関係で、車両単位で新旧が揃えられています。塗り部分のあるものが旧品流用です。

 側関係では、妻櫛桁部(天井下の半月形部分)が、軒面ラインで上下にアイボリーと淡緑に使い分けていたものを一面グリーンとしています。

 側引戸では、ガラス押えが塗りからアルミ地となりました。貫通引戸の窓ガラス押えを黒のHゴムからアルミ縁化したのは、冷房化とは別に施工されたと思います。

 そしてダークグリーンの部分が、床敷物や座席モケット、荷棚、カーテン地です。

 床敷物は軟質塩化ビニールです。中央部分の厚さが3mmで、出入り口部分だけ5㎜の、さらに濃いめグリーンの菱目マットでした。
 いずれも3層構造で、表の色層が摩耗すると、中のグレー層が露出し、マダラとなりました。応急的にはその部分を切り取って張り替え、継ぎ目を溶接しました。全面を張り替えるのは勿体無いので、上に樹脂を流し込む方法も採られました。確か“塗床(ぬりゆか)”と呼んでいました。2600系化工事の頃です。独特の臭いが長く抜けなかった記憶があります。ここにお見せする2605-2705はそれだと思います。

 モケットは、当時も各社が手触りの良い高級品を競う風がありました。某電鉄では苦労してアンゴラヤギを買い付けているという話も聞きましたが、京阪は終始羊毛でした。
 ただ、補修では“Bモケ”と呼ぶ安価な毛足の短いものを使いました。色が薄めのものがそれです。見栄えが悪い上に少しチクチクします。

 荷棚はサラン樹脂のネットです。寸法も独特ですから補修が大変で、現場では手で編んでいました。そのため一時、アルミ網化が進みました。

 カーテンは、遮光性と均一性を考慮しています。均一性というのは、乗客が読んでいる新聞雑誌等にマダラの影が出ないということです。また、妻窓をカーテン付とするのも特徴でした。
Dsc00498a

 ライトグリーンとされた部分は、カーテン被せと面押え、カーテン溝です。

 カーテン被せは焼付け塗装です。工場には一時期まで、長さ3mのこれを入れる電気炉がありました。面押えも塗りです。この辺り、後年のものがアルマイト無塗装とされたことを考えると、当初は金属地では冷たいと判断されたのだと思います。同時期の他社はどうなのでしょうか。

Dsc00480a カーテンのスライド溝はU字形の硬質塩化ビニール製で、素材の色です。ライトグリーン以外では、3000系、5000系以降がグレー、途中2630番代だけブラックとなっています。カーテン案内はワイヤー式というもので、仕組みについては鉄道ピクトリアル誌1991年12月臨時増刊号p30をご覧ください。
 妻と側の引戸の内側は、上半分が塗りで、下半分がアルミ化粧板です。化粧板の色褪せが際立ってしまう部分です。
 側引戸の上レール点検フタも塗りです。

 ところで、車内の撮影は、難しいですね。乗客の存在もさることながら、露出的にも厳しいものがあります。
 昼間は窓外の明るさがハレーションを起こし、夜は車内の光量が不足する上にカラーバランスが難しいといった按配で、フィルム時代は至難の技でした。

 それがデジタルになって格段に楽になっています。
 感度が抜群に向上し、ホワイト・バランスの設定が可能となって、素人でもソコソコの撮影ができるようになりました。
 ですから昔は考えられなかった夜とか、地下線が便利です。特に地下終端駅の出町柳と中之島は、停車時間が長い上に旅客も少なく!打って付けです。

Dsc00519a で、これを機会に新しいカメラを買い込みました。ソニーのα55です。要は、bigblowさんがブログ"STREAMLINERS"(リンク切れ)でなされた“自慢”に釣られた結果です(笑)

 露出の異なる3枚の画像を連写して、合成するというDレンジオプティマイザーは凄いです。次は、さらにフォトショップ・エレメンツで弄っているので、ちょっと不自然ですが、左上の単なる適正露出と比べていただくと一目瞭然です。
Dsc00520a

 車外と車内のカラーマッチングもご覧ください。6000系以降で車内をベージュ系に変更した理由がお分かりいただけると思います。
Dsc00526a

 続きは「京阪グリーンを作った頃(3)」です。

【追記】明円勝氏からのお便りを、別立てとしました。また、冒頭の2000系パンフレットの写真はスキャンし直しました。2011-05-06

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