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2011/04/21

宇治川ラインの"おとぎ電車"(1)

Memories of the Otogi Train in Uji, Kyoto, part 1

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 レイルNo.78号に、また駄文を載せていただきました。今度は終戦後の1950年から10年間、宇治川沿いに走っていた"おとぎ電車"の話です。

 スペインのタルゴを小振りとしたスタイルの客車編成を、凸型の電気機関車が牽引するという軌間610㎜の遊覧軌道です。一部の物好きな方に知られているに過ぎなかったのですが、結構紆余曲折があって、趣味的にも楽しんでいただける内容だと思います。【画像はクリックで拡大します】

青信号26表紙 さて、私が最初にこの軌道の存在を知ったのは1975年の入社時です。記事にも書いたとおり、京阪電車の社史である「鉄路五十年」(1960年刊)の中でした。
 さらにその翌年、誘われて訪れた同志社大学の学園祭では、「青信号」という同校同好会々誌1971年7月発行号を入手して、詳細が判ってきました。

 また、後年入手した古いTMS誌1951年7月号の京阪特集には、地図に"お伽電車"の文字が書きこまれていました。

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 そして、職場の倉庫でたくさんの資料を発見したのは、1990年前後です。当時は、会社の同好者と“はと通信”という会報を作っていて、そのネタにしようと考えました。中には打合記録など、実務者にとって興味深いものがあったのです。

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 ただし、書き進めると判らないことが多過ぎました。
 列車は機回しなのかプッシュプルなのか、機関車の出自はボールドウィン+ウエスティングハウスで本当によいのか、タルゴの1軸台車には舵取り機構が備わっていたのか、当初の列車は機関車の手ブレーキだけで停まったのか等々、疑問だらけでした。
 関与したり乗車したという人物も既にその頃は身の回りにはいませんでした。

 運行方法が判明したのは、鉄道ファン誌2000年8月号の高橋弘氏の記事です。実際にタルゴ型に乗車し、撮影されたこの報告に続き、凸型改造直前の機関車も2001年10月号に掲載されて、趣味的見地からの全容がほぼ明らかになりました。一方で、手持ち資料の出る幕は無くなったとも思えました。

 それが昨年秋、事情が一変しました。レイルNo.77でお伝えしたとおり、「機関車の車体を設計した」という豊田隆氏が現われたのです。

Img848 さらに、宇治市歴史資料館で特別展が開催されると共に、冊子が発行されました。
 書名は「走れ!!おとぎ電車」で95頁1,000円。主題は宇治市の歴史です。"おとぎ電車"が宇治川ラインという遊覧ルートの一部で、観光産業のシンボル的存在だったことが紹介されています。
 また後半は当時の暮らしぶりに力点が置かれ、全体としてファン向けという指向ではないのですけれど、水力発電所建設当時の軌道の写真があったりと十分に楽しめます。まだ在庫があって、通信販売にも応じてもらえるはずです。

 なおこの催しは、宇治市教育委員会の2010年9月22日定例会会議録によれば、「廃止後ちょうど50年」ということだそうです。

 また、「宇治川ライン」の「ライン」は、ドイツを流れるライン川に因むと、発刊されたばかりの京阪電鉄の社史「京阪百年のあゆみ」(2011年刊)にありました。

 もちろん、今回の記事が実現した背景には、読者の側、関心を持つ側の変化があります。
 昔もこういう話題や情報を欲するファンは存在したのですけれど、残念ながらマイナーでした。それが今や比べものにならないほどに、マスの面でも、レベルの面でも厚くなってきています。

 これこそがレイルNo.78で写真や図面を含めて40頁もの紙幅が"おとぎ電車"ごときに割かれた理由だと思います。
 次は凸型機関車とテント型客車の形式図を私が複写したもので、レイルNo.78では汚れが取り除かれています。
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 このページのモノクロ写真は京阪所蔵です。

【追記】同志社大学鉄道同好会OBによる「デジタル青信号」の掲示板に、レイルの記事で参照させていただいた顛末を紹介する投稿が掲載されました。ほんと、ありがとうございました。2011-05-02

【追記2】この"おとぎ"電車が2011年9月1日の深夜、ABC朝日放送の「ビーパップ!ハイヒール」という番組で紹介されたとのことです。その概略はこちらにあります。2011-09-02

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コメント

おとぎ電車の記事、楽しく拝見いたしました。幼年期に今は亡き母親に連れられて琵琶湖から宇治川を通って現天ケ瀬ダムまで自動車に乗って移動したように思います。
その時に、おとぎ電車とは知らずに子供心に可愛い格好良い電車が小さな客車を引いて走っているのを見て強引に乗るって駄々を捏ねたように思います。
いま貴方の記事・写真を拝見して、その時に非常に困った顔をしていた母を思い出します。
考えれば、これが母との旅行の最後になりました。

>>コメントありがとうございます。資料館の展示でも感じましたが、おとぎ電車が皆さんの懐かしい思い出として、今でも深く心に残っていること、大変に羨ましく思います。【ワークスK】

投稿: 位田 順一郎 | 2012/01/09 17:49

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