北陸鉄道浅野川線は39年振り
After an interval of 39 years, my second visit to Asanogawa Line of Hokuriku railway, Kanazawa
友人から「金沢に集まれ!」という号令が掛かりました。
指示のあった時刻が夕方なので、早めに着いて浅野川線に行ってみようと思い立ちました。ニコマートFTNを購入した直後の1972年3月に写した粟ヶ崎の鉄橋は未だあるでしょうか。
当時の面影の全く無い金沢駅を降りて、東口に出ます。左へ行くと北鉄の駅があるはずなのに、行けども行けども線路らしきものがありません。思い余って道行く人に尋ねれば、金沢駅を出て直ぐの地下とのことです。 引き返してみると確かに標識に書いてあるものの、不案内な旅人に気付けというには余りに小さ過ぎ、バックの造作が目立ち過ぎです。【画像はクリックで拡大します】
そして、改札を中に入れば元井の頭線の電車です。左が側面の真っ直ぐなグループでパンタを下して留め置き中です。左はカーブしたグループと、昔の知識のまま移ってきています。ただ、レインボーカラーの正面はサーモンピンクに統一されたようです。
2両連結のワンマン改造は、乗務員室とドアの関係がちょっと苦しい配置となっています。
13時30分に発車すると直ぐに地下線から出ます。JR北陸線の橋桁が見えます。
単線ですから、カブリツキを確保できても面白くありません。ちょうど中間の三ツ屋で上下列車が交換します。交換できるのはここだけです。
終点の内灘には約17分で着きます。ここが車庫です。左が留め置き車両で、右が今、到着した列車です。
Bing Mapを見る
ここから歩いて戻ります。GoogleBing Mapで右下に写っている、線路と道路を一緒に跨ぐ歩道橋上から俯瞰の構図が撮れます。
一つ手前に粟ヶ崎(あわがさき)という駅があって、その金沢寄で大野川を渡っています。
ここです。ここが来たかった場所で、当線一番の撮影ポイントです。
橋桁は全く一緒です。架線柱は変わっています。少年達が釣竿を垂れていた桟橋が、形を変えたものの存続しているのは感激です。
鉄橋の袂から透かして眺めると、線路が「へ」の字に折れていて、これが最徐行する理由でしょう。速度標識は15km/hでした。
それにしても、橋桁をこれほどまでに傾けた例は他にあるのでしょうか。あっ、勾配標を写してくるのを忘れました。3.3%だったでしょうか。
次は大河端(おこばた)・三ツ屋間で、たぶん古い写真と同一場所だと思います。実は電車の背後に青いネットがパネルの様に並んでいます。昔は、白いガードレールに苦しんだ記憶があります。
三ツ屋で電車に乗りました。若いときは金沢まで歩き通したはずです。
この金沢行き電車が到着した後、内灘行きが到着するまでに少し時間があったので、シャッターを切ってから、電車に乗ることができました。形式写真的なものを撮影できるポイントはここだけだと思います。
次の写真には、「割出付近、交換のために電車は徐行もしくはここで停車する」と記しています。背後の建物は浅野川中学校のはずですが、もちろん、新しくなっています。左寄にスプリングポイントの標識が見えます。
金沢は、しばらくしたら新幹線が来て、さらに変わるのでしょうね。
夜は湯湧(ゆわく)温泉で泊まりました。仲居さんによれば「花咲くいろは」というアニメの舞台となり、賑わってきたとのことです。4月9日だというのに戸外には雪が残っていました。
【追記】N氏からの御教示により、内灘駅の航空写真を、次のGoogleからBing Mapに入れ替えました。2011-04-15
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コメント
金沢駅は大きく変わりましたねぇ。私が行ったのは1996年9月です。井の頭線電車が導入されて試運転しているときでした。旧型車と両方が見られました。
>>それは面白そうですね。貴サイトでの公開が楽しみです‥‥というわけでご披露いただきました。「浅野川線8000系導入の頃」です【ワークスK】
投稿: ヤマ | 2011/04/14 23:45
私の家は、井の頭線の線路から50mくらいのところです。3000系は最後の2編成が未だ車庫にありますが、昨年の夏以降は走っているのを見たことがありません。浅野川線では、2連化されましたが、片開ドアの初期車が見られて懐かしいです。この車は、井の頭線に新車で登場してから、もう直ぐ50年になりますね。
>>ホント、同線の"カオ"でしたね。ただし、コルゲーションが祟ってモデルは‥‥【ワークスK】
投稿: 宮 崎 繁 幹 | 2011/04/17 10:44
金沢出身のものです。貴重な写真ありがとうございます。
生まれが72年2月なので、大変興味深く拝読させていただきました。
なお生後から高校2年生までの住まいも小立野3丁目(善光寺坂周辺)です。もしかしたら、栗生さんと湯涌街道旧道沿いですれ違ったりしていたかもしれませんね。
旧車輌は中学・高校時代(80年代後半)の夏休み中によく利用しました。
その当時も内灘や三ツ屋など一部の駅以外は、殆ど戦前からそのまま使用されているようなホーム・木造待合室の駅ばかりでした。
北間駅の待合室で田圃の蛙の声を聞きながら、ボケッと電車を待っていたのが、懐かしい思い出です。
車輌入れ替えを知った時は少し寂しい気がしましたが、スノーブロー付き井の頭線車輌も、なかなか良い感じですね。
>>コメントありがとうございます。金沢の小立野には1975年の3月までいました。そういえば、通った銭湯の名前が善光寺湯でした。北鉄はカラーリングの踏襲が成功だったようですね【ワークスK】
投稿: ひろーき | 2012/10/21 15:26
善光寺湯ですか!
小立野台地の崖線にあった銭湯ではないでしょうか?
銭湯の横から善光寺坂に降りる急な階段があったと思います。
我が家はそのまま善光寺坂を横断して真っ直ぐ笠舞一丁目に抜ける坂の所でした。
ご近所だった可能性大ですね。
幼い頃よく利用した北鉄浅野川線、石川線、金名線に関する情報を探していたところ、こちらのサイトにたどり着きましたが、他にも興味深い情報を発信されているので、都度拝見させていただきます。
米国車輌には殆ど興味が有りませんでしたが、「幻のコールタービン機関車」は非常に興味深いです。
>>そうです。善光寺湯の横に階段がありました。私の下宿は、銭湯の真ん前でした(笑) 北鉄は他に、金石と西金沢の辺りで撮影した記憶があるのですが‥‥【ワークスK】
投稿: ひろーき | 2012/10/28 23:26
ローカルネタで引っ張り続けて申し訳ありません。
銭湯の真ん前ということは、旧湯涌街道を挟んで向かいでしょうか?
横に米屋(小豆沢米穀店)さんがあったのでは?
確かにあのあたりは、下宿屋さんがいくつも有りました。
金石線は、小学校の先生が話していたことしか知りません。同線が廃止された時(1971年9月)は、まだ胎児でした…。
私が小中学生の時には、金石も静かな町並みになっていましたが、木造の旧家が立ち並び栄時の面影を感じることが出来ました。現在はどうなんでしょう…。
西金沢はあまり通る機会がありませんでしたが、石川線の撮影スポットの一つだったようですね。大きな踏切と、国鉄のワキ貨車への積み込み(搬出?)作業の風景が記憶に残っています。
>>そうそう、その雑貨屋で買う清涼飲料水は、いつもペプシで、フトコロの温かい時だけ定価販売?のコカコーラでした。何かの折にもらった、そのグラマラスなガラスコップを今でも大事に持っています。北鉄の古写真は探してみます。少し時間が掛かりそうですが‥‥【ワークスK】
投稿: ひろーき | 2012/11/04 10:34
ありがとうございます。北鉄の古写真楽しみにしてます。
その間、こちらで米国型車輌の勉強させていただきます。
今後もよろしくお願いします。
投稿: ひろーき | 2012/11/08 23:21