国鉄貨車テキ1の39年目のフィニッシュ
Finishing a steel boxcar model, the class of JNR TEKI-1, constructed with styrene plastic sheets, started in 1972
吉岡心平さんの「貨車ホームページ」を楽しんでいたら、“身に覚えのある”貨車を発見しました。テキ1というボギー式鉄製有蓋車です。
実はこのモデルを39年前に手掛けていて、箱状に組んだ状態で止まっていたのです。ここの実物写真のレタリングが結構、よい雰囲気を醸し出していますので、この際ですから完成させることとしました。【画像はクリックで拡大します】
着手の切っ掛けは、忘れもしない鉄道模型趣味、1972年8月号です。なんと、この雑誌とは全く無縁の、タミヤの広告が登場したのです。
内容はプラ・プレート、0.3、0.5、1.2㎜厚のプラ板発売です。そして、そのキャッチフレーズとして「鉄道模型の工作材料のメンバーに加えてください」などと書かれるまでもなく、ブラスと紙に続く第3の素材であることは明らかでした。
すぐに模型店へ走ったのは言うまでもありません。3種類の入った5枚セットだったという記憶です。値段は忘れました。
で、題材に選んだのがテキ1です。その6年前のTMS誌1966年4月号に掲載された「やさしい工作、袋詰セメント専用輸送車、テキ1形の作り方」という全4頁の記事を覚えていたのです。
国鉄車両には珍しく、屋根を含めて平面だけで構成されている上に、僅かな帯材を貼り付けるだけという車体は、プラ板に最適だと思われました。
ボディが完成するのに1日も掛からなかったはずです。構造は記事には拠らず、勝手に考えました。
ただし、工作はここで止まってしまいました。
理由はまず、この貨車がチンチクリンだったことです。この貨車だけが登場する記事では判らなかったのですが、ボディを仕立ててみると、高さが極端に低いのです。このあたりは冒頭の写真をご覧ください。
たぶん、セメント袋を過剰に積み上げると、固まってしまうという様な制約なんだと思います。
それと、弄ってみて、素材の可能性がよく判りました。その結果、引き続いてセキ3000の量産を始めてしまったことも、テキ1を忘れた大きな理由でした。
記事の筆者である中村汪介さんとは後年、知己とさせていただき、1991年に自費出版された「趣味に生きる、鉄道模型と共に半世紀」という全104頁の著作を頂戴しました。このp71にテキ1のカラー写真が掲載されています。
さてこのモデルは、塗装とかサンドペーパーのテストに供したことから、こんな姿をしていますが、ラッカーシンナーを流した接着箇所は外れもなく、経年の劣化は見られません。
側板と妻板の反りは当時、日数を置かずに出たものです。
今回はまず、この反りを修正することから始めました。
床板上に鉄板の重りを貼り付けて、車体と床板は、接着剤で固定しました。
あとは、手すりを0.3mm黄銅線から折り曲げ、ブレーキシリンダーやらハシゴやらは、日本型用のパーツ箱に入っていたものです。まあ、むかし取った何とやらですね(笑)
8mm径円板の貼り付けは、スティックタイプなのにプラスチックや金属も可能というボンド・ニューハイスティックです。これは以前、稲葉清高さんのコメントに出てきた商品です。
レタリングは、アルプス電気のドライ・プリンターによる自作デカールです。
型式文字などは、森井義博さんの国鉄フォントを利用させていただきました。
住友の井桁マークは、ウィキペディアからです。ホワイト1回にイエローを2回、重ねて印刷しています。
ただしデカールは、車体が黒のためだと思いますが、完成して見ると角度によって膜の厚さが目立ちます。日本型ファンがインレタに拘るはずだと思います。
台車は、アトラスのカブース用(ウォルサーズ品番150-190000)です。車輪を、9.5mm径から10.5㎜径に取り換えました。TR41とは軸箱が異なるものの、同じ板バネ式です。
ところでネットでテキ1を検索したら、モデルワークスというメーカーからペーパーをレーザーカットしたキットが1/80で出ていて、これを組んだ報告もありました。
Nゲージでは10年ほど前にスタジオ・フィールというところが発売したようで、作品例もみつかりました。
興味深い点はいずれも、車体側面のドア幅やリブの位置が私のモデルと同じだということで、中村汪介さんの記事を基としているのでしょうか。側引戸幅などの忠実性を求めるなら、吉岡心平さんのサイトの写真から割り出すのは簡単ですね。
【追記1】形式図が奥井淳司さんの鉄道CAD製作所にアップ(pdfファイル)されていることに言及するのを忘れていました。それに、誠文堂新光社1965年発行の「客車・貨車ガイドブック」p218にも図面が載っています。いずれも側面の割付はTMSと一緒です。ガイドブックの写真は吉岡心平さんのサイトと同じです。
なお、井桁マークをワザワザ円板としているのは、これ、ホーロー看板じゃないかと思い付きました。2011-09-09
【追記2】実物の登場当時の写真を発見しました。TMS誌63年5月号です。ローマ字の「I」と「C」を組み合わせた磐城セメントの社紋が薄っすらと判り、「大越駅常備」と読めます。背後のTR20も興味を惹きます。説明文の配置は弄っています。2011-10-29
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コメント
中村汪介氏の記事にはよくお世話になりました。テキ1も作りかけたような記憶がありますが、完成はしてなかったと思います。
中村氏のカラー写真の手前に短い客車がありますが、これを記事にしたがって作ったものと若干アレンジした2両目を作っています。
ここのハフ1とハフ2です。
>>TMS誌1966年6月号の「軽便風客車の作り方」ですね。これもカラー写真を掲載してもらえていたら印象がガラリと変わっていたと思います【ワークスK】
投稿: ヤマ | 2011/09/04 17:26
私もTMS別冊で中村氏の小型レイアウトと小型車輌に萌えた口ですが、このテキ1の記事は知りませんでした。
それにしても磐越東線の大越駅常備でこれがあったなんて驚きです。
>>「おおごえ」と読むのですか。福島県とは想像できませんでした。ウィキペディアに「1963年(昭和38年)6月 - 住友セメント田村工場操業開始、専用線も開業」とありますね【ワークスK】
投稿: Brass_solder | 2011/09/04 22:15
中村汪介氏が亡くなられたことをご家族からの欠礼状で知りました。7月8日とのことです。ネットを検索すると成蹊会のサイトに出ていました。謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。
投稿: ワークスK | 2013/11/14 01:45
中村汪介氏の訃報は、TMS2013年10月号856号、P114「編集者の手帖」に掲載されていました。
>>コメントをありがとうございます。同誌が報じていたと知ってホッとしました【ワークスK】
投稿: ヤマ | 2013/11/14 11:48