京阪びわこ号の連接構造は(1)
The articurated constraction of the Keihan's Biwako trains, and other articurated cars around the world
前回は、びわこ号が連接車となった理由の推理でした。
じゃあ、その構造はどうなっているか、とモデラーなら疑問になりますよね。
そう、さすがは我々の先輩で、ちゃんと探究しておられるのです。
60年も前の鉄道模型趣味誌1951年7月号、「電車巡り第12回 京阪電鉄」に言及がありました。上の写真は、ツバメ模型店写真部、植田正博撮影、御陵(みささぎ)駅にて、となっています。【画像はクリックで拡大します】
Harry生という方のテキストは次です。写真共々一部加工しています。
【連接部は如何に】 京阪といえば出てくるものが“びわこ号”である。日本最初の連接車とだけで贅言は要しない。‥‥その道の専門家は別として、例の連接部の構造をご存知だろうか? 事前に、我々の予想した形が図のイとロである。
これを究明すべく一同張り切って、守口車庫の訪問とはなった。ある者は電灯片手に床下に潜り、あるいは屋根に上っておろそかならざる調査が続いたが、らちが明かず、半ばあきらめたところ、内部から連接部ドラム床板のフタを開けるに及んで一切は氷解した。
すなわち構造的にイのごとく、車体の関節部は台車中心ピンと一致する。
車体より三角形に突き出た軸受が台車心皿の上に乗っているだけで至極簡単。
中間台車も普通のトラックと何ら変わりなく、もちろんこの台車にモーターを装備することもできる(名古屋市電の如く)。
かかる簡単な構造に頭を悩ませたのは、実に貫通ドラムのせいであった。
これが単に貫通幌の役をするに過ぎないのか、あるいは車体の連接に何らかの影響を与えているのか、しかもこのドラムを台車に取り付けてある金具のために、外部から全く判からないのである。
図のドラムが台車に固定してあると、車体に動揺の余地が全くないから、図のようにスプリングで台車に付けてあるだけのこと。ドラムと車体との隙間はゴム板を当ててあるが、全くのフリーである。
判ってみれば余りの呆気なさに、油に汚れた顔を思わず見合わせたものであった。
ここで問題は、「守口車庫」というところです。大津線の錦織車庫ではないのですね。
1980年の第1回目となる復元のときに、錦織で運び出す算段をしていて「2車体に分解したことが無い」と言い出されて、慌てました。
なんでも大きな検査修繕では必ず京阪本線の守口車庫へ回送していたとのことで、本線のOBに来てもらって指導を仰いだ記憶があります。
次の図は、小坂狷二著「客貨車工学」1950年刊に出ている「日本車両式関節電車連結器」です。“びわこ”号で使われたもののはずで、判りやすいように彩色してみました。
これでTMSの記述が少しは検証できます。
また、前後方向にギャップが発生しない構造にご注目ください。
なお、「4-心皿抑え」は、脱線したときの分離防止でしょうか。中心ピンを挿入すれば事足りるような気もしますが‥‥。
[7-側フタ」と「8-上フタ」があるところをみると、ここにグリースをシコタマ詰め込んでいたのだと思います。
私も2度の復元工事に関わったのですけれど、こういうところは全くの他人任せで、「それなりの構造になっているのだろう」と暢気なものでした。まあ、今になって興味が出てきたとは困ったものです(笑)
さらにこの本は、イギリスとフランスの例も紹介しています。
まず右は、イギリスのLondon & North Eastern鉄道のものです。台車の心皿が描き込まれていませんが、非常に判り易い図です。
次は、フランスのChemin de ferdu Nord鉄道で、説明が加えられています。「枢(くるる)」を「アーム」と言い換えてみました。
凹側アーム枠Aは甲車(右)に取り付けられ、ゴム緩衝座Sで枕梁から絶縁された心皿Cに担われている球形アーム受Bの上に乗っている。
凹側Aの内懐に、内には乙車(左)に取り付けられた凸側アーム枠Dがあり、特殊な半球状アーム受E、F(共に青銅製)上に乗っている。
中心ピンは図に見るごとく、相当な隙間を有しており、単に用心のために挿しておくにとどまる。
じゃあ、アメリカはどうなんだ、となりますけれど、残念ながら図面が発見できません。次の写真はCar Builders' Cyclopediaの1940年版にあったものです。
General Steel Castings Corporationのページで、一体鋳鋼です。
上は組み合わさったところです。下は別の種別の単体です。側受のアームが2本ずつ出ていて、間隔は凸側が狭く、凹側が広くなっています。
ついでですから、このサイクロペディアに掲載されている連接車の外観写真を見繕ってお見せしましょう。
まず、UPのThe Challengerで、Kitchen-Dormitory dinningです。
プルマンは、Sleeper-Observationの組み合わせです。
CB&Qは、有名なパイオニア・ゼファーがそうでした。次はMark Twain Zephyrです。
AT&SFではガス・エレクトリックカーのM190、M160です。トレーラーユニットを外して、電動機を装荷した中間台車が写っています。連接用の心皿回りは前出の一体鋳鋼品によく似ています。
そして、なんと地下鉄にも事例がありました。
共にニューヨークのBrooklyn-Manhattan-Transitで、上の編成写真がバッド社のコルゲート車体です。左は、リベット車体にモニタールーフと古風です。これが第3軌条方式で走ったようです。
以上、今回紹介した車両はすべて第2次世界大戦前の登場です。
世界を見渡せば連接車というものが、あふれているということではないのですけれど、“稀有”というほどでは無くて、十分にコナれた技術となっていた様に見えます。
ですから、その得失は十分に認識されていて、伊達や粋狂で採用するなどというレベルではなかったのだと思えますね。
【追記1】ブログ、Cederの今昔写真日記に、びわこ号の連接構造の手本となったという電車がアップされました。Washington Baltimore & Annapolis Electric Railroadです。ホント、貫通路のドラム構造がそっくりです。
なお、上述のTMS誌でのファンの予想で、「ロ」は全く論外です。車体間に前後力が働いた場合に、台車を回転させる力が発生し、脱線の恐れが出てきます。2014-04-20
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