国鉄貨車:プラ板から自作したセキ3000
Scrach building coal hopper cars with styrene plastic sheets, the class of JNR SEKI-3000 and SEKI-6000. The models were started to make in 1972.
先にお伝えした鉄製有蓋車テキ1で書いたとおり、タミヤのプラ板は1972年の発売開始です。
私にはそれが、魔法の素材だと思えました。
特に、妻面の1×1㎜のアングルが簡単に出来上がったことは、大感激でした。幅1mm前後の帯材を正確かつ大量に切り出す方法は既に会得していましたから、次はこのアングルを多用するセキの量産に着手することとしたのです。【画像はクリックで拡大します】
図面は「客車・貨車ガイドブック」誠文堂新光社1965年刊(1969年第4版)に載っていました。
一度に1ダース、12両を作り始め、途中で友人たちに3両を分けて、手許に残っているのは9両です。
底に貼り付けた銘板は1980年11月24日です。これは、運転会へ持っていくために、その頃に発売されていた車番のインレタを貼り、連結器などを整備した日付です。
今回はテキ1に味をしめて、細かな表記を付け加えました。カトーのワム90000を求めた理由の一つは、この参考用です。加えて台車を整備しました。
次の画がビフォー&アフターです。
1.標記の追加
既に貼ってある記号番号の文字は、少し小振りなのですが、もったい無いのでそのままとし、これ以外を自作デカールで補いました。
まず、側面向かって右下にある大小の四角い囲みです。
鉄道資料保存会編「1950年代国鉄貨車明細図表」1987年刊によれば、大きい方が「一般検査票」で、小さい方が「局部検査票」と知れます。
問題はその記載方法で、探すと大阪鉄道局編纂「鉄道用語辞典」1935年刊に解説されていました。
【一般検査 Whole Inspection】色々の方面に一般検査の語は使われるが車両検査中の一般検査は、左の期間内に工場に入れ各部を解体検査して不具合部分を修繕する。
機関車 | 3ヶ年 |
電気機関車 | 2ヶ年 |
気動車及び暖房車 | 1ヶ年 |
電車、気動車 | 1ヶ年 |
客車 | 1年3ヶ月 |
貨車 | 2年9ヶ月 |
貨物緩急車、冷蔵車、家畜車及び豚積車 | 2ヶ年 |
雪掻車及び活魚車 | 1ヶ年 |
【一般検査票】車両の一般検査を施行した年月日を標示し、なお次回検査期を知るに便するものである。 蒸気機関車には一般検査と局部検査を合わせ記入する。検査票を運転室にガラス入枠で掲げる。様式は‥‥(中略)
客貨車及び気動車の一般検査票は、先の通りで、外法長さ180㎜方形の輪郭を画し、白色ペンキをもって車体両側所定の位置に標記する。上半分に大形数字にて次回検査年月を、下部に小形数字にて検査施行年月と施行工場名を記入する。
電車の一般検査票は客車と同じ様式寸法にて車体妻板に標記する。
【局部検査 Partial Inspection】車両の定期検査中の一部である。局部検査を施行すべき期間は蒸気機関車、ガソリン動車は1ヶ月及び6ヶ月毎、電気機関車は15日、1ヶ月及び6ヶ月であって、検査すべき部分は長期のものほど範囲広くかつ長期の検査を行う際は短期の検査も同時に施行する。
客貨車の局部検査は一定の部分を限り次の通り行う。
1 | 空気制動装置及び水揚装置 | 8ヵ月 |
2 | 列車蓄電池 T形 | 9ヶ月 |
3 | 同 I形 | 1ヶ年 |
4 | 列車電灯発電機ならびに同付属品 | 1ヶ年 |
電車の局部検査はその主要電機部分に対して6ヶ月毎に行う。
【局部検査票】車両の局部検査を施行したる年月を標示し、なお次回検査期を知るに便するものである。
機関車及び電気機関車は検査票の局部検査欄に記入する。
客車検査票は長さ96㎜、幅68㎜の鉄製標札に、黒地に白ペンキをもって次の様式に標記し、車体両側所定の箇所に設けられた車票挿しに挿入する。上半分の大形数字は次回検査月、下部の小形数字は検査終了月日、最下部は検査施行場所を示す。
貨車の場合は前記標式を車体両側所定箇所に標記する。なお電車の局部検査施行場所は工場及び電車庫であるから、電車庫にて施行した場合は何々電と標記する。
検査日の表示は、機関車では運転室内に掲出されるからか、「年月日」が記入されますが、客貨車は一般検査が「年月」で、局部検査が「月」または「月日」です。
このうち「年」は、元号表示、すなわち「昭和」の様で、付図が本書の発行年だったり、他の本に登場する新車の写真では新造年に合致していることから推察されます。
検査体系は後年、技術の進歩によって変化しています。呼び方も一般検査は全般検査に、局部検査は重要部検査に変わり、期間(回帰)も延長されているはずです。ただ、戦後でもコロガリ軸受化されていない昭和30年代なら変化はないと思います。
記号番号の直下にある換算両数の数字についてもこの辞典に記載があって、空車も積車も10トンで1.0両とのことです。ただし積載重量は、その効率を70%と見做すことを原則とし、石炭車や水槽車のように常に満載するものは100%とするのだそうです。(なお、「換算」には重量の他に列車長に関する「貨車延長換算両数」があります。これについては後日‥‥)国鉄貨物列車重量換算値
一般検査票の左にある「A1」はよく判りません。他の車種では「B2」や「C3」、「D」というものもあります。この「A1」は、ウィキペディア掲載のセキ6000の写真に倣いました。
前述の明細図表に拠れば、ここは「級別」を記載する位置です。それだとして、何の級別なのでしょうか。ヤマ勘では、検修に関係しているような気がしています。
車籍を表わしている「日本国有鉄道」は、図面には記載がありますが、現車写真では無いものの方が圧倒的です。新車時だけなのかもしれません。
まあ、あった方が見栄えがするので、今回は全車に入れてしまいました。
残念ながら細かな文字は潰れてしまい、自己満足ですね。テキ1にも検査票を追加しました。
2.台車交換と車輪金属化
さて台車は39年前、1972年当時住んでいた金沢で一番大きな北陸模型へ買いに行きました。
カツミのTR41が具体的にいくらだったのかは忘れたのですが、値段を見て溜息が出た記憶があります。
その数年前に車輪付で270円ですから、値上がりしていたとしても、それほどの金額ではなかったはずです。あるいは12両分を想定していなかったのか、Nゲージの貨車と比べたのかもしれません。
このときは、とてつもなく高価に感じたのです。電車用の台車は何の抵抗も無く購入していましたから、貨車用は安いという先入観があったのでしょうか。
ちなみに、その年のTMSの広告を確認すれば、日光モデルのTR41、プレート車輪付きが450円となっています。
まあ、店に12両分もの在庫があったとは到底思えないのですけれど‥‥。
そんな中で、ショーケースにアメリカ型の貨車を見つけました。箱が無かったので店主の放出品だったのだと思います。
それが香港のクラウンというメーカーの4台車式フラットカーでした。
記憶では1両がカツミ台車よりも安価だったはずです。これが4両と、40’ボックスカー1両がありました。このボックスカーだけ手元に残っていて、HOガラクタボックスに展示しています。
これを全部もらって9両分と、足らない3両分は、水野製作所から売り出されていたベッテンドルフ台車を買いました。水野製はTMS誌を確認すると、1970年8月号に製品紹介あり、1両分が160円です。
今回、金属車輪化するに当たっては、このクラウン台車がネックでした。次の写真の手前がクラウンで、奥が水野です。
軸受が、普通のピボットの様な円錐形をしていないのです。これでは交換用の金属車輪が市販されていません。実をいうと、この軸端の細い形が学校で習ったピボットにソックリなのですが‥‥。
加えて、フランジが高く、モールド表面もイマイチということで、泣く泣く廃棄することとしました。
ホビーモデルのTR41が4両分で、さらにカブース用の板バネ式ベットンドルフも出てきて、数はそろいました。いずれも10.5㎜径の金属車輪に交換しています。水野製は、車輪径を増大したためにフランジが当たるブレーキ・ビームを切り取っています。
まあ将来、TR41を入手できたら、残りも交換するつもりです。
車体長100㎜で、重量90gは、NMRAのRP20.1より7%ほど重めです。
3.プラ板製のボディのこと
このモデルは前に「暗中模索、プラスチック用の接着剤」で一度ご覧に入れています。接着剤による変形が車体側面に出た例として取り上げました。
今なら瞬間接着剤やリモネン系を使うところでしょう。ただ、こういう自作を手がける方は稀有になってしまいました。もちろんセキは、ホビーモデルやエンドウ、安達製作所に製品がありますから、自作の意味は無くなっています。
なお、接着剤による歪み以外は、一部にプラスチックの欠けがある程度で、接着の外れも無く、無事です。
車体に使ったプラ板は0.5mm厚で、床板は1.2mm厚、チャンネルに用いた帯材が0.3mm厚×1㎜幅ですから、正確には断面は1.3×1.0㎜となっています。接着剤は全てラッカーシンナーでした。石炭を積んでいるのはもちろん、車体構造を考えてのことです。
手ブレーキハンドルとKCブレーキ装置は挽き物で、後者はキャブ社製です。
中間のカプラーはエコーモデルの自連型ドローバーです。当時はケーディーより安かったはずです。9両の内の2両をセキ6000型とした理由は、インレタのセットに含まれていたからです。
さてセキ3000は、北海道専用というイメージが強いのですが、本州でも運用され、常磐炭や宇部炭も運んでいたと思います。
問題は、信越本線上田駅東方の踏切で、私が見た記憶が無いことです。西小学校や第三中学校、さらに上田高校のストーブで燃やした石炭は、何で運んだのでしょうか。
なお、普通の混結貨物列車に9両ものセキを挟むのは違和感がありますし、かと言ってこれだけで1本の列車を仕立てるのには短すぎます。石灰石輸送を想定して2両ぐらいを混ぜるのが良いかもしれません。
このセキを1両ずつ引っくり返して石炭を下すという、室蘭港にあったロータリーダンパーを紹介したことがありました。
【追記】昔のパーツ箱をひっくり返してみたら、余分が出てきました。
右がキャブのブレーキシリンダーで、後年、梅田はマッハ模型のジャンクボックスから安く買ったものです。
次は、ハンドルですけれど‥‥。2010-10-30
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コメント
一度に9輌は凄いですね、ビシッと出来ていて既製品のようです。
帯板を簡単に作るといっても、アングルが交わる箇所が多いですからけっこう面倒な気がします。
常磐ではこのタイプの石炭車は使用されませんでした。
北海道のセキや九州のセラは石炭を降ろすために専用の桟橋が必要となります。
普通の駅の側線でぶちまけるには多過ぎる量を積んでますし、北海道型の場合両側へ降ろさなければならないからです。
北海道炭は一旦船に積み替えて内地へ来るので港でまとめて取り降ろしをしますが、常磐炭は直接消費地へ運ぶので普通の無蓋車でないと具合が悪いのだと思います。
セキと同じ構造の石灰貨車も同じく地上設備の関係で運用区間が決まっていると思います。
>>そうですか、信越線には似合いませんか‥‥。ということは、トムかトラですね。上田駅裏、すなわち別所線側に石炭の山があった様な気がします【ワークスK】
投稿: Brass_solder | 2011/10/09 16:58
積み荷の石炭はどうやって作られたのでしょう?貨車への固定方法も知りたいです。
それから、模型そのものからはちょっと外れますが、貨車底面の銘板シールの作成方法も気になります。1980年だと、これだけ細かいアルファベットを印刷する方法はあまりなかったはずです。
>>コメント、ありがとうございます。石炭は市販品で、固定はバラストと同じ様に木工用ボンドの水溶液です。レタリングは、インレタを貼り込んで、コピー機で縮めました。表面を3Mメンディングテープで覆い、貼付は事務用両面テープです【ワークスK】
投稿: YUUNO | 2011/10/11 04:37