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2011/10/15

国鉄貨車:中村精密/エーダイのプラモデル(4)

A story of my models, the JNR 4-wheel freight cars, manufactuered by Nakamura-Seimitsu and Eidai, part 4

エーダイ製を線路で走らせるには

 1971年頃に発売された、全くのプラモデルであるエーダイの2軸貨車は、2両セット1箱が250円という安さでした。それに飛びついたのが、貧乏学生だった私という図式です。

 次にお見せする6両は、だいぶ後の1980年の暮れに、ある事情で用意したものです。【画像はクリックで拡大します】

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 プラモデル・キットをそのまま組んだ、いわゆる“素組み”というやつです。
 ただし、ツヤ消しの黒を吹き、一部には車番らしきナンバーを入れています。また、カプラーをベーカーに、車輪を金属製に取り換え、ウエイトを載せています。

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 搭載しているミニカーはウエイト代わりで、ビスで留めています。

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 蛇足ながら、無蓋車のベーカーは中村精密製です。プレスを駆使して、手間の掛からない構造に感心したものです。
 ただし、自動連結器のゲンコツに当たる部分が、サイドビューでは素通しとなって、ジョン・アレンが愛用した理由が消し飛んでいます。

 単純に言えば、これだけで鉄道模型に化けさすことができます。
 まあ、それでは話が面白く無いので、当時、愚にもつかず悩んでいたことを書いてみました。

1.ピボット車輪は無理か

13dsc05357 一番の問題は、前述のとおり、輪軸と軸受です。

 車輪は、モールド自体のタイヤバック面に金型の突出しピンの痕跡があったことと、フランジの形状が鉄道模型のそれとは異なることから、早々とあきらめました。
 耐摩耗性の上でも、黄銅製車輪のフランジが削れて薄くなる現象を体験して、ポリスチレン樹脂では耐えられないと思いました。

 もちろん、金属製の車輪が潤沢に市販されているわけで、これに拘る必要はないという判断です。

 そのピボット車軸の長さは、24.0~25.0㎜が適合し、短い方が軸受が「ハ」の字に開かず、見栄えが良さそうです。できればスポークとしたいものの値段の壁があります。

 10.5㎜径は、1/87では36インチということで、あちらからの取り寄せを画策しているところです。

2.キットの軸受は貴重

 一方、軸受は別です。これが使えると、大きなメリットがあります。

 最初の頃のいくつかは、念のため、天賞堂のダイキャスト軸受を使いました。これについては、第2回でお見せした中村精密製の1両と一緒です。

 ところで、学校で軸受設計の授業がありました。
 その中で、樹脂には自己潤滑性を有して金属軸との相性が良いものがあることを知ったのです。もちろんそれはポリアセタールで、結晶性の高い樹脂の特性と教わりました。

 ポリスチレンがそれに該当するか否かは判らなかったものの、要は荷重と摺動速度の問題で、それらの条件が軽ければ使えるはずだと考えました。
 軸受で肝心な点は温度上昇で、軸を金属とすれば熱はそちらに逃げる。潤滑剤としてグリスを塗布すれば軸受側の熱も吸収できる、というような理屈です。

 グリスは、模型店で求めたシリコン系です。
 後日、プラ板が機械油によってボロボロに割れるという痛い目に会いましたが、この頃にはそんな知識はありませんでした。

3.ウエイトの重さは

 車両の重さは、軸受にとっては軽い方が良いに決まっています。
 一方、脱線対策では重い方が良いので、難しい問題です。

 中村精密製はTMS誌に、カ3000が38g、ワム23000と50000が42g、チ1000が30gとありましたので、一応40gを目標としました。学校の機械工場で拾った黄銅片を適当に切ったので、それほど正確ではありません。

 4車輪の線路への接地は、種々やってみて、変にガタツクことは全く無く、心配は要らないと思いました。

 で、こんな条件で仕立て上げた10両ほどの編成を6日間のイベントで走らせたら、ほどほどに走ってくれました。“ほどほど”の意味は、特に決まった車両が脱線し易くて困ったというようなことが無かった、という程度です。

 線路は、私の組立レイアウトですから、レールの継ぎ目がジョイナーを使わない突合せで、カントがあり、緩和曲線中はレールがネジレ状態にあります。

 観客がいたので、脱線につながる推進運転などは極力避けていたはずです。
 1両だけ、グリスを忘れた車があって、これがキーキーと鳴くようになりました。

 ここに写真を示した1980年組立の6両も同じで、何も問題は無い様に見えます。

 以上のことから走行は、なんとかイケると思っています。ただし、編成が長くなったり、速度が高くなったらどうなるかは課題でしょう。

4.プラには破損の恐れが

 次の写真を見てください。
 ディテールとして、ブレーキシューと側ブレーキ関係が、ボディから当然浮いて取り付いています。
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 普通のプラモデル、スタティックでガラスケースに飾っておく飛行機や船の模型なら、これで全く問題はないのですが、こと、鉄道模型に関しては線路の上を走りますから、脱線することもあるでしょうし、第一、線路には手で掴んで載せなければなりません。

 私自身、これには強烈な違和感がありました。たぶん、“プラ・アレルギー”の根源的なところだと思います。
 シューの方は、車輪に近接していますので、何とか大丈夫でしょうが、側ブレーキはダメです。よって、初期に組み立てたモデルには、これを付けていません。
 ここに示した6両のうちの3両は、偶々の“出来心”です。

Ecohmodel 後にエコーモデルが売り出した、黄銅製の「貨車用ブレーキテコ・セット」は、その意味でも穿った商品でした。右写真は、TMS誌1974年12月号製品紹介からの引用です。
 ただし、これで250円という価格は、本体の倍にもなって、無理無法でした。現物を手に取れば、その位の手間が掛かっていることは十分に理解できるのですが‥‥。

 今ではもちろん、アメリカ型に手を染め、繊細なモールドで知られるインターマウンテン社製キットの洗礼を受けてしまい、何の抵抗も残っていません。それに、今回お見せした3両も何ら破損は無しです。

5.ディテールの乱れ

 このエコーモデルの写真では、側ブレーキのテコが、軸箱の辺りで手前(外側)へ張り出していることが見て取れます。
 実物の側ブレーキ操作は、車端のステップに係員が乗り込んで、必要な地点でテコ先端部分を、足で押し下げるという仕組みですから、テコ棒は軸箱に干渉しないように、曲げられているのです。

 それが、エーダイ製では無視されています。ただし、全体のプロポーションに影響するものでは無いので、まあ良しとしますか。

 また、テコの回転軸がブレーキシリンダーを跨ぎ、車体のほぼ全幅の長さというのは、これはワム80000の、両側に側ブレーキが取り付けられたスタイルのはずです。
 これを短く修正することは簡単でしょう。

Tsubomi ブレーキシリンダーは、空気ダメや弁類と一体になったKC型という装置です。
 エーダイのモールドは、特にシリンダー部が異様な形となっています。

 写真の黄銅挽き物パーツが当時、つぼみ堂から出ていました。TMS誌73年6月号「床下機器買物帖」によれば、1個がたった30円です。
 私はもちろん、潤沢にストックしています。荒崎氏のモデルもこれです。

 なお取付用のネジ孔が1.4mmで、これが1か所なので、私のモデルの中には長い間に回転して弛んでいるものがあります。これは工夫が必要です。

 以上のようなことで、私のストックを年内には全てお見せできるように頑張りたいと存じます。温かく見守ってやってください。

エーダイのモデルが発売になった頃、TMS誌の山崎喜陽氏はミキストで、プラスチックについて繰り返し述べられています。たとえば1972年1月号には‥‥

「プラといえば、プラキットも今年こそは鉄道百年づいて、どっと鉄道モノが売り出される。しかし、1、2を除いては、プラキットとしては立派でも鉄道模型といえる品は少なそうである。先日のプラの見本市で‥‥私の眼でこれはと思ったのはEというメーカーが出していた1/80のEF58(流)で、内臓電池で走るようになっている。

‥‥客車一つとりあげても、オールプラでなくて部分的に上手にプラを使えば、型代もプラキットほどかからぬものが作れるはずである。1輌1000円位で売れる品が作れないことはない。‥‥3年後に貨車がプラ製というのは常識となるだろう」

 これは中村精密/エーダイの製品を踏まえてのコメントですね。ただし、Nゲージはイザ知らず、16.5㎜ゲージでは氏の予言は大幅に外れたというのが実態だと思います。

 その見込み違いの原因を大胆に推論すると‥‥

 一つは、73年2月に実施された為替の変動相場制への移行です。
 輸出が困難になったブラスメーカーが挙って国内市場に参入したことで、魅力的な商品が供給され、ブラスキットを組むことがブームとなってしまいました。もちろん、ファンの懐具合が良くなったことも挙げられます。

 もう一つは、プラ・アレルギーが世代交代に依らなければならないほどに治癒が困難な病気だった‥‥のではないかということです。
 大きな代価を払って購入したり、長い年月をかけて組み立てたブラスモデルや、愛着のあるペーパー電車に対する考え方を変える必要があるわけで、それは容易には受け入れ難い価値観だったと思います。もちろん、車両製作中心の趣味性向が大きな要素のはずです。

 以上は、まあ深く考えたわけではなく、もちろん単なる私見です。

 なお、これでエーダイEF58の発売時期がハッキリしました。貨車よりも後です。動力化の記事が載ったのは、同じ72年の4月号です。

 プラスチック時代への流れは、進捗がユックリとしてはいたものの、1970年代初頭に始まっていたことは確かです。

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