国鉄技師訪米記30:米国鉄道の機関車
The book of a JNR engineer's travels around the USA in 1950, part 30
このテキストの経緯と詳細は、第1回をご覧ください。
23 米国鉄道の機関車
[1] 輸送と機関車両数
戦時中に輸送量の増加した点は日本とよく似ているが、米国においては飛行機のすさまじい発達に伴う航空路の拡大と自家用車、バス、トラック、タクシーの量的増加により、鉄道の地位は日本のそれと非常に異なるのである。
例えば運賃と到達時間との関係で見ると、自動車(バス)で旅行する方が鉄道を利用するより遙かに経済的であるし、飛行機旅行の方がもちろん時間は短くて運賃も鉄道と大して変わりない。シカゴ・ロサンゼルス間は前述したシアトル・シカゴ間と略同で、
運 賃 時 間
汽 車 81ドル25セント 40時間15分
飛行機 118ドル75セント 7時間45分
バ ス 36ドル85セント 58時間10分
である。早く行こうとする人は飛行機で飛ぶし、安く行こうと思う人はバスを利用するであろう。
鉄道はゆっくり楽しみながら旅をしようとする旅行者のものになっている。そのため当然の結果として貨物輸送に重点を置くようになるし、旅客輸送は旅行を楽しめるように非常な努力が払われる。
米国鉄道の収入は貨物輸送が91%で旅客輸送は僅かに9%に過ぎない。国鉄の旅客55%、貨物45%に比較して非常な懸隔がある。
1940年に比して最近の旅客輸送状況を輸送機関の種類によって分類すれば、
1940年 | 1949年 | % | |
汽 車 | 61.5 | 54.0 | |
湖 | 3.4 | 2.6 | |
航空機 | 2.7 | 10.6 | |
電 車 | 2.3 | 0.9 | |
バ ス | 30.0 | 31.9 |
となる。即ち汽車輸送は次第に減少し、逆に航空機とバストによる輸送が激増している。その中、特に航空機による輸送の激増ぶりは他の追随を許さない。貨物輸送も同様な傾向を持ち、
1940年 | 1949年 | % | |
汽 車 | 62.3 | 61.5 | |
河 川 | 3.7 | 4.6 | |
油 管 | 11.1 | 12.3 | |
湖 | 14.4 | 11.0 | |
トラック | 8.4 | 10.5 | |
電 車 | 0.1 | 0.1 |
トラックと油管との発達により汽車輸送の百分率は旅客列車の場合ほど著しくはないが、減少しつつある。
汽車輸送の仕事量を示す列車マイルと車両マイル、および機関車両数を過去30年間にさかのぼり数字を示してみよう。
列車マイルおよび車両マイルの推移
(マイル) | ||||
貨物列車 | 貨車 | 旅客列車 | 客車 | |
1921- | 588 | 23,261 | 563 | 3,622 |
1926- | 599 | 27,820 | 565 | 3,849 |
1931- | 421 | 18,986 | 412 | 2,808 |
1936- | 468 | 22,126 | 399 | 2,982 |
1941 | 567 | 28,276 | 400 | 3,223 |
1942 | 666 | 34,135 | 427 | 3,750 |
1943 | 701 | 36,090 | 463 | 4,405 |
1944 | 698 | 36,619 | 476 | 4,659 |
1945 | 652 | 33,655 | 481 | 4,749 |
1946 | 590 | 30,211 | 448 | 4,316 |
1947 | 616 | 32,201 | 414 | 3,811 |
1948 | 584 | 31,454 | 407 | 3,784 |
1949 | 498 | 28,003 | 380 | 3,508 |
機関車両数の推移
蒸気 | 電気 | ディーゼル | その他 | 計 | |
1921- | 64,458 | 366 | - | 1 | 64,825 |
1926- | 58,979 | 537 | 28 | 9 | 59,553 |
1931- | 49,998 | 745 | 89 | 22 | 50,854 |
1936- | 42,316 | 833 | 396 | 29 | 43,574 |
1941 | 39,624 | 857 | 1,267 | 23 | 41,771 |
1942 | 39,491 | 855 | 1,667 | 20 | 42,033 |
1943 | 39,725 | 868 | 2,125 | 13 | 42,731 |
1944 | 39,681 | 863 | 3,049 | 19 | 43,612 |
1945 | 38,853 | 842 | 3,816 | 19 | 43,530 |
1946 | 37,551 | 832 | 4,441 | 17 | 42,841 |
1947 | 35,108 | 821 | 5,772 | 18 | 41,719 |
1948 | 32,914 | 829 | 8,089 | 19 | 41,851 |
1949 | 28,964 | 817 | 10,888 | 22 | 40,691 |
(71.2%) | (2.0%) | (26.8%) | (0.1%) |
この表で分かるように、旅客貨物共に第2次大戦終期1943、44年において最高を示し、以後次第に列車マイルは減少し、貨物列車は20年前の数字に近づいているし、旅客列車は、遙かに下回っている。
そのため機関車の数も64,825両より40,691両という大きな減少である。
その中、蒸気機関車は64,458両から28,964両と激減であるのに対して、ディーゼル電気機関車は逆に10,000両以上増加している。電気機関車は増加で1949年で817両となっているものの、全機関車に対するパーセントは極めて過小である。
今後共、国際情勢に大きな変化の無い限りこの傾向はますます顕著となるのではあるまいか。ちなみに日本国有鉄道の現況は、
蒸 気 5,074両 93.3%
電 気 358両 6.6%
ディーゼル 8両 0.1% (電気式米国製)
[2] ディーゼル化
鉄道が経営を合理化しない限り、他の輸送機関にその地位を譲らねばならない。米国で経営合理化の第一線におかれているものに機関車運転費がある。保守費、減価償却、燃料費、乗務員らの給料を含む機関車の運転費は、1948年には2,188,000,000ドルに達し、全運営費の29%になっている。経営の面からこの費用の減少に非常な努力が払われているのは当然であろう。
蒸気機関車運転に要する費用削減のため、ディーゼル電気機関車運転を計画している。即ちディーゼル化により経営の合理化を図らんとするのである。しからばディーゼル化によってどの位の節約ができるかというに、判り易い一例としてボルチモア・オハイオ鉄道のCumberland-Keyser-Crafter間の1年間の運転費を示すと、
蒸気 | ディーゼル | |||
列 車 マ イ ル | 17,925 | マイル | 16,548 | マイル |
所 要 機 関 車 両 数 | 45 | 両 | 34 | 両* |
乗 務 員 の 給 料(年間) | 16,836 | ドル | 14,135 | ドル |
燃 料 費( 〃 ) | 22,323 | ドル | 10,491 | ドル |
水 費( 〃 ) | 374 | ドル | - | |
潤 滑 油 費( 〃 ) | 1,107 | ドル | 541 | ドル |
補機に要する費用( 〃 ) | 15,449 | ドル | 8,824 | ドル |
本務機 の 保守費( 〃 ) | 23,999 | ドル | 6,393 | ドル |
ディーゼル監督 費( 〃 ) | - | 1,323 | ドル | |
費用計 | 80,088 | ドル | 41,707 | ドル |
*印:5,382,800 ドル
運転経費の計は、ディーゼル化すると半分で済むことになる。列車マイルが少なくなるのは、列車単位が大きくなることを示している。他の線区でも大体この結果に近いもので、両者の差のうち主なものは、上表に示されるとおり燃料費と保守費との差に他ならない。
石炭費の中にはその輸送費が相当大きな部分を占めているため、炭鉱より遠隔の地においては、かなり高価になることは避けられない。前述のボルチモア・オハイオ鉄道は炭鉱地に近く、ここで購入している石炭とディーゼル油の価格を年次別に示せば、
石炭 | ディーゼル油 | |||
ドル/トン | ドル/ガロン | |||
1940 | 1.93 | - | ||
1941 | 2.04 | - | ||
1942 | 2.14 | - | ||
1943 | 2.44 | - | ||
1944 | 2.68 | (100) | 0.0658 | (100) |
1945 | 2.84 | (106) | 0.0639 | ( 97) |
1946 | 3.16 | (118) | 0.0604 | ( 92) |
1947 | 3.59 | (134) | 0.0779 | (118) |
1948 | 4.30 | (160) | 0.1170 | (178) |
1949 | 4.48 | (167) | 0.1050 | (160) |
1950 | 4.61 | (172) | 0.0957 | (145) |
となる。
石炭のカロリーは13,000BTUが平均である。1ドルを360円として換算すると7,200cal(13,000BTU)の石炭が、1トン1,880円で買えるのである。国鉄の購入価格(6,300calが3,265円)と比較すると、まさに半分以下の低廉で、これでもなおディーゼル油の方がエネルギー当たりの価格は安い。
その上、価格の昇り方が石炭の方が遥かにディーゼル油より大きく、時々起る炭鉱ストも鉄道首脳部としては悩みの種であるらしく、ディーゼル化への推進は実に強力なものがある。
以上はボルチモア・オハイオ鉄道の数字を示したものだが、石炭の価格はニューヨーク・セントラル鉄道で5ドル97セント、西海岸では8ドル前後である。
上図はディーゼル機関車の輸送トン・マイル当たりの燃料費(セント)を他の型式と比較したもので、経費の順位はディーゼル電気機関車が最も低廉になり、次が電気機関車、石炭焚き蒸気機関車、油焚き蒸気機関車の順となっている。過去においては減価償却の関係で、電気運転が高価についているが、最近では蒸気機関車よりは安くディーゼルよりは高い。今後もこの関係はあまり変化がないとみて、大部分の鉄道会社でどんどん蒸気機関車をディーゼル電気機関車に変えている。
ただこの曲線をみると、油焚きの蒸気機関車運転費の高い点が不可思議に思われるが、これは主としてサザン・パシフィック鉄道その他西部の勾配線区に使われているため不利な結果を示しているのではなかろうか。
ディーゼル電気機関車の保修費が蒸気機関車に比較して安いのは、米国における素晴らしいディーゼル工業の発達を示すものである。
[3] 機関車の種類と型式
1949年における機関車両数は、蒸気機関車28,964両、電気機関車817両、ディーゼル電気機関車10,888両、その他のガソリン機関車、ガソリン電気機関車、ガスタービン機関車等22両、計40,691両となっている。前述のとおり年々非常な勢いでディーゼル化されており、ボルチモア・オハイオ鉄道のごときは恐らく5年後には入換機の他は蒸気機関車の姿は無くなってしまうと思われるくらいの勢いである。
ただこれは米国全体の一般的な傾向で、炭鉱との距離、線路の状況、幹部の方針により、会社毎に相当の相違がある。
過去数年間に蒸気機関車の新製があったのはこの間の情勢を示すものであろう。
ここ15年間に新たに製造された機関車をみると、蒸気機関車は次表に示すように総計は2,522両となっているが、後述するディーゼル電気機関車に比較するとかなり少ない数であるし、その内容はマレー型式等の大型重量機関車の新製が目立つ。
これに対し、電気機関車は221両のみで、如何に電化が微々たるものかをよく示している。その内訳は、旅客列車用174両、貨物列車用31両、入換用16両となっている。
新製機関車の最も主要部を占めるディーゼル電気機関車は15年間で7,212両と大量生産されたが、これを馬力別に分類してみると、
馬力 | 貨物用 | 旅客用 | 兼用 | 入換用 |
未満 | 21 | - | 3 | 925 |
1,000 | 48 | 25 | 19 | 2,044 |
1,350 | 1,136 | 4 | - | - |
1,500 | 1,494 | 239 | 46 | 62 |
1,600 | 4 | - | - | - |
1,800 | - | 23 | - | 1 |
2,000 | 92 | 717 | 44 | 18 |
3,000 | 14 | 24 | - | - |
不明 | - | 8 | - | 201 |
計 | 2,809 | 1,040 | 112 | 3,251 |
となり、貨物列車用としては1,350馬力と1,500馬力、旅客列車用としては1,500馬力と2,000馬力、入換機用としては600馬力と1,000馬力が普及している。
入換機として1,000馬力未満のものも相当に多いことと、新製される機関車の大部分が貨物列車用である点とは、鉄道の当面せる問題を如実に示しているといえよう。
貨物列車は非常に大単位で6,000トンを超えるものさえある。そのため機関車は重連で、主要貨物列車用は大抵3~4両編成をリモート・コントロールにより運転し、乗務員は1組に過ぎない。旅客列車用としても2~3両が多く、高加速、高速運転を目標としている。
蒸気機関車に比較すると、汚れないし、振動も少なく、前途の見透しも良いので、この面からもディーゼル化は喜ばれている。
なお、牽引力の平均値(ポンド)は、
年 | 蒸気 | 電気 | ディーゼル |
1930 | 45,225 | 50,693 | - |
1935 | 48,367 | 53,688 | - |
1940 | 50,905 | 56,238 | 55,130 |
1945 | 53,217 | 57,295 | 55,698 |
1948 | 55,170 | 59,250 | 56,228 |
となり、1940年と比較して、蒸気機関車は9%増、電気機関車は5%増、ディーゼル電気機関車は僅かに2%増となっているのは、小型の蒸気機関車が主として廃車されていくことと、ディーゼル電気機関車はほとんど標準化されたものが製作されていくことを示しているのであろう。
さらに蒸気機関車の牽引力を100とした場合、電気機関車の牽引力は107、ディーゼル電気機関車は102となり、旧型式を多数有する蒸気機関車に比較して、新型式を標榜するディーゼル電気機関車の牽引力がほとんど差を認められないことは、機関の性能上、容積当たりの馬力が低くならざるを得ない点を数字で示したものといえよう。なお、以上の数字は日本国鉄機関車の牽引力のまさに3倍に当たる。
[4] 電化
電化されている割合は実に僅少で問題にならない。そして将来もあまりこの国では電化の促進を考えていないようである。ボルチモア市の地下へボルチモア・オハイオ鉄道が敷設された際、蒸気機関車の煙で困ったので1895年、地下の電化工事が完了したのが最初だという。
その後もニューヨークのマンハッタン島の地下駅を中心に電化されたが、その他はあまり進展せず、次表に示す通り僅かにニューヘイブン鉄道、ペンシルベニア鉄道の一部、ロングアイランド鉄道、ミルウォーキー鉄道が本線で目につく程度で、全電化軌道は6,367マイル、全軌道延長397,000マイルの1.6%に過ぎない。これはもちろん電車運転区間も含んでの数字である。
前述のとおり米国では、ディーゼル油の低廉なのと電力費の高いことで、電化そのものはあまり経済的に有利とはいえない点はわかる。
またさらに条件の悪いことには次表で示すごとく、架線電圧と機関車型式が標準化されていない点も大きな悩みであるらしい。電圧の種類は多く第一は11,000V交流式、第ニは11,000V交流で直流モーター付き、第三は600V直流、第四は1,500V直流、第五は3,000V直流と恐ろしくまちまちで、ニューヨークの地下を例に挙げるとロングアイランド鉄道が第3軌条を使って600V直流で走れば、同じところをペンシルベニア鉄道が11,000V交流で架線を用いて運転しており乱脈そのものの姿はあまり感心できない。
[5] 新型式機関車
蒸気機関車の欠点は何といっても熱効率の低いこと、往復運動部分のあること、煙を出すことであろう。さらにその他転車台や給炭水施設を要することも欠点に挙げられる。
ディーゼル電気機関車にも蒸気機関車と比較して次の欠点がある。
第一は馬力当たりの長さが大なること。4ユニットの5,400馬力または5,000馬力の機関車は200フィートを突破し、蒸気機関車に比べて2倍である。
第二は低速における荷重の限度があること。電気機関車と同様に速度の低いところで荷重を大にして運転することは電動機に悪い影響を与える。
第三は部品の交換に対する苦労。狭い機関室の中で部品を交換することは非常な手数と時間を必要とする。例えばクランクシャフト、ピストンその他電気部品または電動機部品を取り換えるにも相当大掛かりな解体を必要とする。
このため新たな方式の機関車の開発に種々努力が払われ続けている。
第一は蒸気タービン機関車で、もちろん熱効率が高い点と往復運動部分が無い点が喜ばれる。ペンシルベニア鉄道で一度使用されたが、今は使用中止されている。逆向き運転に15マイル時以上の速度が出せなかったり、勾配を登るときにいろいろ困難な問題を起こしたらしいが、いずれにしてもコンデンサー無しのタービンには大きな望みは掛けられない。
第二は蒸気タービン電気機関車で、チョサピーク・オハイオ鉄道が3台を導入したが、あまり成績は良くなかったようでその後は中止している。
第三は、ガスタービン機関車で、これには油を燃料とするものと石炭を燃料とするものがある。前者は今、ユニオン・パシフィック鉄道で使用されている。私自身も同鉄道で運転状況を見たいと考え予定を立てたが、私の予定と機関車の運用とがチグハグとなり、とうとう見る機会を逸してしまった。「使用」というより「試用」の程度らしい。しかし出力は4,500馬力あり相当なものである。
石炭を燃料とするガスタービン機関車はいろいろと宣伝されているが、実用の域には達していないし、この点に興味を持ち努力している鉄道幹部は予想外に少なかった。要するに石炭そのものにエネルギーを求めることはあまり感心しないもののようである。
[6] 将来の機関車
神ならぬ身で誰も予測に自信はない。私ごときが僭越にもこんな事を書くことをお許し願いたい。米国では今後数年ディーゼル電気機関車化へと強力に推進していき、そして5年後には輸送の80~90%を占めるのではなかろうか。
その間に一部の特志家により研究され改善されたガスタービン機関車が現われ、ディーゼル電気機関車との競争となる。軍配は果たして何れに上がるのか興味ある問題に違いない。
私は熱効率の素晴らしく高い点を考えてガスタービンこそ現在考えられている中では陸上機関の理想的な姿だと思っている。
■蒸気機関車からディーゼル機へ変遷する、いわゆる“トランジッション・エラ”においては、歴史的な大転換期として、社会全体に大変な負担が掛ったことが実感できますね。この50年前後が、まさに鉄道ファンや模型ファンに一番人気のある時代ということになります。
なお、本文は数字が多くて判り難いので、一部の表をグラフにしてみました。
まず、車両マイルです。
ここの1930年代の落ち込みは、29年に始まった大恐慌の影響でしょう。
さらに車両マイルを列車マイルで割ると、編成当たりの平均連結両数が出ます。
これは、ローカル線を含めての数字ですので、貨物列車が戦後に長くなりつつあるのは単にその廃止が進んだのかもしれず、本線の長大編成は判りません。
機関車構成の表は積上げグラフとしてみました。ディーゼル化の勢いが加速していることが見てとれます。
なお、本書に使われている統計数字はたぶん、サイクロぺディアを参照したのだと思います。
一方、鉄道を回って集めた具体的なデータは大変に貴重で、石炭の値段が地域によって大きく異なるなど、生々しい実情に唸らざるをえません。
また、蒸気機関車の最近15年間における軸配置別両数は、面白い表です。ノーザン4-8-4の多さに圧倒されます。貨物列車用や兼用が多いのは意外ですが、SPのGSの様に、名目だけかもしれません。
ディーゼル機の出力別構成は、モデラーにとっても大変に興味深い表です。しかし、原動機毎の牽引力平均の経年変化をみるのは、あまり意味がありません。本線用の主務機の出力が年々アップしているのかを知りたかったにも関わらず、たぶん資料が無かったのでしょう。
電化については、付け足しの感が無きにしも非ずです。その黎明期においてアメリカが様々な方式を暗中模索した結果であることをご存じなかったようです。特にPRRの様子は是非見てきて欲しかったですね。
それにUPのガスタービンは試作機の両運、No.50で、これを実見されなかった点は、返す返すも残念です。この辺りの記述は、1950年という時期を考慮して、以前の一覧表と見比べていただくと御理解戴き易いと存じます。
■さて、以上がこの本のすべてです。永の御愛読、まことにありがとうございました。
【追記】著者が見逃したというガスタービン試作機が登場する動画を発見しました。1950年にGEが制作した鉄道技術のプロモーション・ビデオで、正にこの本に書かれた時代です。ただ、長さが20分36秒ですので、そのつもりでご覧ください。2012-06-20
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