京阪電車は成田山の御加護で
Amulets of the Kansai-Naritasan temple on Keihan Railway trains
昨日、4月11日の朝日新聞夕刊には驚きました。
表題の横に、かつて見慣れていたヘルメット姿が写っていたからです。
これだけ読めば、京阪電車の車内に掲げられている成田山の御守だなと、察しを付けられた方も多いことでしょう。
記事は、第3面の半分を占める「ますます勝手に関西遺産」というシリーズで、近々宇治線でデビューする新型13000系にも取り付けられていることを伝えています。
馴染みのない方は、「なぜ、千葉県のお寺が?」と訝られるかもしれません。枚方(ひらかた)市と寝屋川市の境目となる香里園(こうりえん)駅の東800mほどの地にその関西別院があって、開通当時に電鉄が誘致した経緯があるのです。
実は、この木枠の御守入れに私は強いコダワリがありました。【画像はクリックで拡大します】
記録に「昭和61年度6000系2次車で実施」となっていますから1986年、その少し前のことです。
私は、第一検車係の作業場を訪れました。三村始さんという昔気質の方が係長で、いうなれば御機嫌うかがいのテイです。
ここで奇妙な光景を目にしました。
若い係員が、ひと抱えもある成田山の御守を一つずつ台の上に置いて、その裏面の真ん中を金ヅチで叩いていたのです。
係長いわく、この結び目のところに厚さがあって、ガラス面との隙間に入らないとのことでした。
ならばと、御守の裏が当たる木枠の部分を削ることにしたのです。この木枠を我々は御札差(おふださし)と呼んでいました。
この2514号車の写真で、御札が中間に留まっているのは、その削ったところに結び紐が引っ掛かっているのだと思います。定かでないものの、新車のみならず、更新工事や定期検査でも削ってもらったはずです。
また、当時の水引の紐は、右と左で紅白となり、裏で両色が繋がっていて、よけいに分厚かった記憶があります。この写真は左右とも白色ですから、成田山も改良してくれているのかもしれません。
なおこの他に、車両部中に掲げる「火迺要慎(ひのようじん)」という京都愛宕神社の御札も、毎年もらいに行くのが第一検車係の役目でした。
そして、88年に6000系6次車として、VVVF車を初めて導入したときのことです。この車は後に7000系に名前が変わります。
足回りに多くの新設計を採用したものですから、試運転の責任者となった私は大いに緊張しました。それというのも、その直前の試運転でトラブルが続発していたのです。
で、その準備中に、ふと御札差を見上げると、肝心の御守が入っていないではありませんか。
慌てました。
三村係長のところに飛んでいくと、「新造車の分をいただいてきたばかり。営業運転開始の前夜に入れる習わし」との応えです。「自分でやるから」と、編成分7枚を受け取りました。
社員食堂を請け負っておられた西田菫正さんに、塩を一掴み分けてもらい、一両ずつ御札を入れてまわりました。お清めの塩は車体が錆びるのを心配して、ほんの数粒ずつです。
御利益は‥‥、そう、もちろん、言うまでもありません。
さらに1990年新造の8000系特急車では一つ、解決しなければならない問題がありました。
「細部に気を配って、乗っている方々に違和感を持たせない」という思い=コンセプトに、この御札差が引っ掛かるのです。
それは“屋根”の部分を留めるビスの頭です。
せっかくの清浄な白木が、これでは台無しです。
メーカーである川崎重工の車体設計担当係長だった北原由弘さんに相談したら、木工屋に頼んでみるとのことでした。そういうわけで、次の8502号車の写真では、ものの見事に無くなっています。どういう風にしたかは‥‥企業秘密です(笑)
このときに伝え聞いた話では、形は木工職人が考え出したもので、設計担当者は単にそれを図面化しただけとのことでした。
この御札差は傷だらけですね。さまざまな経緯があって、荷棚の位置になってしまいました。でも、ご安心ください。ガラスは特注の強化ガラスです。
ところで大津線について私は、基本的な構造を担当しただけで、こういうところに口を挟む立場になかったのですが、同じ着眼点を持った方がおられて、御札差の厚さを増やすという改良がなされていました。次は錦織車庫の80型保存車を車外から撮影したもので、要らぬ風景が写り込んでいますが、厚さは判ります。また、塗装したものもありました。
800系は川崎重工の製造ですから、京阪線と同じ設計図でしょうか。
新聞記事の方は、1週間遅れでネットに公開されるはずです【「京阪の安全祈願札:おけいはん守ってはる」が公開2012-04-19】。まあ、14日に営業開始という13000系新造車の宣伝という趣きですけどね。この車両については既に、とれいん誌の「モデラーな日々で」で紹介されています。
冒頭写真の作業で気になったのは、明らかに利き手ではないと見える左手にドライバーを持っている不自然な姿勢です。右手だと御札が隠れてしまう‥‥というカメラマンの注文なのでしょう。
私の写真の撮影日は、京阪線の2枚が2008年1月30日、大津線は2011年3月17日です。
| 固定リンク
「京阪の車両」カテゴリの記事
- 京阪1900系の冷房化改造工事は縦横無尽(2025.02.26)
- 京阪2400系の床と8000系のモケット(2025.02.23)
- 京阪交野線はトーマス尽くし(2024.06.29)
- 京阪SANZEN-HIROBA 改装オープン(2023.05.22)
- 諸河久著 1970~1980年代 京阪電車の記録(2020.04.17)
コメント
この記事を読んで引っ張り出してみると(謎)色々歴史が詰まっているんだなあと見入ってしまいました( ^ω^ )
A新聞画像・・・「企業秘密」バレまっせ(笑)
>>いつもコメントをありがとうございます。取るに足らない小さなものにも様々な担当者の思いが込められていることを御理解いただき、本当にありがとうございます。【ワークスK】
投稿: ひかり・こだま | 2012/04/12 22:55
13000系見てきました。10000系+3000系ですね。
御札差の形は参考にさせてもらいました。自分の家にあった御札をまとめて掲出したいと思って、よく似た形のを作ったことがあります。前面はアクリル板で、側板にミゾを掘ってスライドできるようにしていました。引っ越しの時にどこかへしまい込んだので、まだあるはず・・・中身は返納しましたが。
それから、左手ドライバーは不自然ということですが、自分は左手で操作しますよ。鋸・鎚も左手です。
>>もちろん、そういう利き手も承知しています。ただこの方のドライバーをもつ手は、明らかに力の入る体勢ではないと解釈したのです。で、「不自然」は「姿勢」を修飾しているつもりだったのですが‥‥。言葉足らずで失礼しました。若干変えました。【ワークスK】
投稿: ヤマ | 2012/04/15 11:41