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2012/06/19

西尾博保さんのこと

Mr. Nishio Hiroyasu (1933-2011) is a famous modeler who scratch-built a large number of HO gauge models of Japanese prototypes, particularly old style JNR Electric Multiple Units, or "Kyugata-Kokuden." He has been my mentor for a long time and I'm really proud of it.

Tms197006p367a ここに、昨年亡くなられた西尾博保(にしお・ひろやす)さんのことを記しておきたい。

 西尾さんは、1969年から82年に掛けて鉄道模型趣味誌上に膨大な作品群を発表され、特に編成単位で自作された旧型国電は前後合わせて10回にわたる連載だったので、ある程度の年輩の方には懐かしい御名前だろう。

右上はTMS誌1970年6月号の表紙で、高田正彦氏の作品と共に並んでいるところ。写真は荒崎良徳氏提供とある。【画像はクリックで拡大】

Tms197001p016b
同誌1970年1月号記事中にある西尾さんの姿。中尾豊さんによれば、作者の顔写真を掲載した最初で、編集部内の説得に苦労したという。

 最初にお会いしたのは忘れもしない1970年の3月、場所は金沢の雲竜寺というお寺だった。その名を冠したレイアウトで有名な荒崎良徳さんのお宅で、その地で一人暮らしを始めた私が挨拶に出向いた時だった。

 先客としておられたのが西尾さんで、奥さんが同道されていた。
 「ペーパー電車をやってます」と話したら、荒崎さんが「だったら、西尾さんに教えてもらえ」ということになった。私の下宿が小立野(こだつの)3丁目で、西尾さんの御自宅が歩いて10分ほどの錦町だったことも理由のはずだ。

 こちらは親元を離れた寂しさと、同年代の同好者がいないものだから、自分の作品がある程度進捗する度に持参した。奥さんには御迷惑だったと思う。

 実をいうと、1970年1月からの連載を知らなかった。バックナンバーを入手して、ビックリした。
 それと、西尾さんの作品を直かで拝見した記憶が無いのだ。当方の自作をお見せすると、「ボクはこうしている」と、作り掛けを引っ張り出してこられる程度だった。話題の中心は道具類で、手製のノミとかカンナ、面相筆、塗装乾燥用の赤外線ランプを次々に見せていただいた。
 そしてTMSの記事は、暗記するほどに読んだ。

 一方、カメラ、写真にはうるさかった。私がニコマートFTNで揃えていたのは氏の“命令”で、都内某所に連れて行かれて買わされた。これは、本人が一度、弄ってみたかったからだと勘ぐっている。最初からマクロ・レンズを付けていたのは、やはりどうかと思う。
 旧国の取材で撮影された写真の現像焼付は御自身で手掛けられていて、数が半端では無かった。また床下機器周りを覆い焼きされていて驚いた。
 モデル撮影用としてレフランプを2つ譲っていただき、フィルム・カメラ時代を通して使っていた。

 あるとき高田正彦さんに、「お前は、窓抜きから箱まで西尾さんソックリだ」と言われた。

01dsc09618 その箱というのは、菓子店のフタ付き缶箱で、旧型国電を4両ないし5両を納めるのにちょうどよかった。2枚目の写真でスタンドの笠の先に見える、積み重ねてあるタイプである。

 これは白と紺の配色で、確か泉屋のクッキー用だった。写真のものは「京都店」の名で、内寸が21,4×16.2×5.1cmと小さ過ぎる。「東京店」のサイトに大きめのものも示されているものの、20m車を容れるには、どれも帯に短しタスキに長しなので、念のため店に問い合わせると、いつ頃までかは定かでないが、かつてはもう少し深さがあったとのことだった。A-300という商品の寸法の、26.8×20.9×5.2cmとある5.2cmが6.0cmならピッタリだ。

 西尾さんはテレビ局にお勤めで、その筋のアルバイトを頻繁に紹介していただいた。これは大変に有難く、ご想像通り、割が良かった。ときどきは画面に出ていて、友人にはテレビスター、縮めて“テレスタ”と呼ばれた。

 参加した「じくばこ会」は、私を含めても6名という少人数ながら、TMS誌執筆の常連ばかりで、中尾豊さんも頻繁に来沢された。その縁で、私の作品も掲載していただいた。また各地のクラブとの交流は多く、地元の催事への協力も数知れず、若造にとっては身に余る最高の環境といえた。軸箱会

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1972年1月15日に東西のクラブを招いての運転会での集合写真。レイアウトはピンクが荒崎氏、スカイブルーが私のもの。西尾氏の勤務先MROの別館をお借りして開催。サービス版の裏に書き込んだメモに拠れば、後列左から2人目が私、そして荒崎、高田、2人おいて磯田、黒田、阿川、土屋、北市、小原、飛騨、西尾。前列左から小島、西川(ピノチオ)、一人おいて赤井、また一人おいて中尾(TMS)、伊藤(掛川)の各氏。この撮影直後に私は、近くで開催された成人式に出席して、また戻った。

 ところが3年半後の1973年の秋に、そのクラブが解散となってしまった。詳しいことはよく判らない。しばらくして再結成されたが、私は加わらなかった。

Kanazawa_mokei_dojin_kai 右の冊子は、その7年後の1980年、新しいクラブが開催した運転会のもので、このとき関西に就職していた私にも声が掛かって参加した。

 この文字は紛れも無く西尾さんの手で、ハンド・レタリングを得意とされた面目躍如だ。文章も同様で、軽妙洒脱な書き振りはお人柄を良く反映している。
 この中から、クラブの経緯と自己紹介を抜粋、一部書き変えてお見せしよう。

金沢もけい同人会 【当クラブの沿革】

 1958~60年頃、金沢市内の模型店などで数名が顔なじみとなり、以後個人的な付き合いが始まった。
 1963年頃、模型鉄道運転会が金沢市内某所で催された。当時は「ほくりく鉄道模型クラブ」と称し、この頃に有志のTMS誌への投稿が始まる。
 地方都市の悲しさか、はじめアマタいたクラブ員の中にはラジコンマニアや単なる鉄道ファンなども含まれていた。

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TMS誌1966年1月号p11に掲載された運転会の様子。右端が荒崎さんで、その隣が西尾さん。左端手前は富田さん。

 1967年頃、鉄道模型人を中心に集団を再編成し、名称を「じくばこ会」とした。この時期は、裏日本の地方都市でも鉄道模型の文化を高めようという意欲に燃えていた。デパートや、国鉄駅・管理局とタイアップし一般向きの催し物を数回にわたって行い、後進の育成に努めた。1970年頃の当クラブ・メンバーの手になるTMS記事は数多く、ほとんどのメンバーが執筆者となっていた。

 1973年頃、諸事情により集団を再々編成し、メンバーを増す。相変わらず、TMSへの投稿は数多く、また関西、関東の諸クラブとの交流が徐々に増え、今日に至る。

 当クラブの集会は組立式レイアウトによる16.5mmゲージ運転が中心となっているが、ささやかながら新年会、忘年会をはじめ、年に1、2回は遠方で催される運転会にも参加し、通算年間会合は10回ほどとなる。

 今までのクラブ歴を振り返ってみると、1、2ケ月毎に開かれる運転会をはじめ、デパートなどとタイアップしたイベントへの出品、地方テレビ局への番組出演、地方新聞への掲載など、金沢地方における鉄道模型発展の一翼を担ってきたことを、一同光栄に感じているところである。

 現在当クラブのメンバーはバラエティに富み、16.5mmのペーパーや金属車両をはじめとし、Nゲージやライブスチーム、ナロー、さらにレイアウトまで及び、外国型と新幹線を除けば、ほとんどのジャンルを網羅していると自負している。

‥‥
【会員紹介:西尾博保】

 旧制中学時代にSゲージを始めるが、某模型店の高慢さに立腹中止。

 1963年、機会あって再開、高田正彦氏と共に北は仙石線、長岡第二運転所から、西は宇部、小野田線まで、ほとんどの旧型国電の線区の代表編成を作る。取材もまた高田氏と同道で、全旧型在籍区を取材、全容は膨大。
 旧型をほぼ終えて、金属車両も人並みに経験。EL、SLも両数が増えた。
 現在は、金沢駅に出入りする車両を全部作るというのが目標で、優等列車は完成、これからローカル列車に移るところ。

 遅く授かった子どもが就学して、今スパルタ教育中。おかげで製作はお預けの形。1ヶ月に1編成を手掛けていた頃からみるとペースはグッと落ちている。

 他に趣味として8ミリ、写真があり、先日も廃止となった北鉄能美線に?万円を使った。酒タバコは一切タシナまず、そのせいか自宅を2軒持ち、一軒は車両工場となり北鉄石川線に接している。

 家族は恐妻(恐竜みたいなもの)と男子2人。「日本海縦貫鉄道」総裁兼工場長

鉄道模型趣味誌への掲載記事一覧(ワークスK作成)

1969年2月号(No.248) 2軸貨物電車福井鉄道デワ2

1970年1月号(No.259) 旧型国電狂ここにあり
 七尾線キハ55系4連
 小田急1300形4連

旧型国電作品集(1)
 飯田線混合4連

北陸の運転会<金沢・伸びゆく国鉄展>

1970年2月号(No.260) 旧型国電作品集(2)
 中央東線山線低屋根車4連
 身延線戦前型低屋根車4連
 阪和線快速用70系4連
 大阪ローカル通勤用3扉車5連
 飯田線旧型混合4連

1970年3月号(No.261) 旧型国電作品集(3)
 鶴見線11系4連

1970年5月号(No.263) 旧型国電作品集(4)
 仙石線54系ウグイス色4連
 新潟ローカル70系4連

1970年6月号(No.264) 旧型国電作品集(5)
 名古屋ローカル70系6連

1970年7月号(No.265) 旧型国電作品集(6)
 京浜東北線73系6連
 高崎線ローカル60系6連
 片町線4扉車4連

1970年8月号(No.266) 旧型国電作品集(7)
 身延線山用低屋根車4連
 大糸線クモヤ90015霜取車
 南武線11系4連

Tms197004p001970年10月号(No.268) 485系特急電車はくたか8連(右表紙の説明は「雲竜寺鉄道祖山線を行く485系」とだけだが、この記事中に「262号表紙写真参照」と記されている。)

1971年10月号(No.280) 単行でも楽しめる近郊型気動車キハ23

1973年10月号(No.304) 旧型国電を追い続ける(1)
 名古屋ローカル80系6連
 大糸線60系4連
 可部線11・12系17m車3連

1973年11月号(No.305) 旧型国電を追い続ける(2)
 阪和線社型20系と60系混合4連
 新潟ローカル70・68形混合4連
 飯田線混合スカ色4連

1973年12月号(No.306) 旧型国電を追い続ける(3)
 両毛線70系4連
 福塩線12・51系4連

1974年10月号(No.316) 広島ローカル 近代化73系4連

1975年1月号(No.319) 急行型電車475系8連

Tms197610h 1976年10月号(No.340) 電車特急485系に貫通型クハ481-200

1977年3月号(No.345) 中央東線急行用165系8連

1977年5月号(No.347) 旧型国電宇部線4連

1978年6月号(No.360) EF70-1000

1979年11月号(No.380) 寝台電車583系8連

1980年9月号(No.392) 団臨用グリーン客車5連

1981年12月号(No.409) 旧型国電を追う
 御殿場線4連
 岡山ローカル4連

1982年2月号(No.412) 中央東線115系5連

 題名は適当に改変しています。誤記や抜けているものがありましたら、ご教示をお願いいたします。

Img615a【追記】奥様にこの記事を印刷してお送りしたら、その御返信に昔の雑誌に登場されたことが記してあって、思い出しました。

 アサヒグラフ1974年7月26日号の80-81頁、「ほびい-鉄道模型との恋<10>」です。
 右の写真には、「旧型の第一作・流電(右)と最近作・広島ローカル73型(左)」、下には、「北は仙石線、新潟ローカル、上毛線から、南は福塩線、広島ローカル、可部線まで、色とりどりの旧型国電(140両のうちの一部分)」との説明が付いています。
 なお、撮影は久保元機という方です。

Img618c

Ishikawa1 また、送っていただいた石川県が発行する「グラフいしかわ」の第52号、1984年1月発行の22-23頁にも、「楽しんでます14:列車を追って津々浦々へ」と題して紹介されています。
 こちらには、5、6年前から金属ボディの車両を手掛けていることや、国鉄マンだった父親に感化されて模型に入ったことが記されています。
 展示ケースを設えられたのは存じませんでした。
 レイアウトについての記述は記事には無いものの、確か「Nゲージを作ってみた」と伺ったような記憶があります。

 そういえば、小生の結婚式に出席していただいたなんてこともありました。2012-07-25

Ishikawa2

Ishikawa3

 次は、いただいたプリントの中から、上のレイアウトだと思われるもので、日付は80-10-26となっている。(2013-06-30追加)

Nishio2a

【追記2】浜松のアールクラフト、井指隆嗣店主より次のメールを頂戴しました。2012-06-20

いつも楽しく拝読しております。

今回の西尾博保氏の記事、当方も思い出が有ります。
丁度読み始めたTMSに、毎号の様に旧国が掲載されていたものの、正直当時は殆ど興味がありませんでした。
 その後、多方面に興味を持ってくると、特に旧国の奥の深さで、何度も読み返したと同時に「良くこの様に作れるなあ」と感心させられたものでした。
 逝去されていたことは知りませんでした。御冥福をお祈りします。

さて、皆さまで写された記念写真の中の、前列の伊藤(掛川)氏はお名前を祥蔵さんといい、その昔のTMSに、満州の電気機関車(1970年7月号)や、友人2名とで造られたレイアウト「遠江鉄道原野谷線」(1973年10月号)の記事が掲載されました。伊藤祥蔵

その伊藤氏は15年前ほどに模型を再開されたものの、御病気で今はリタイアされておられます。
 同氏はご存知と思いますが(古いTMSの記事には書かれていましたが)、俳優の伊東四朗さんの実兄です。弊店にお越しになった時も色々お話しされました。
 よくよく伺ってみると当方とは遠縁でした。奥様の旧姓が井指で、当方の父親とも同級生との事。墓所も出身の菊川の田舎の小さな集まりの同じ所でした。
 その昔は情報伝達も少なく、全く存知ないところでしたが、改めて縁というものに驚きました。 ア−ルクラフト/井指

【追記3】northerns484さんからは、次のコメントをいただくと共に、冒頭の英文を添削していただきました。感謝です。また、クッキー缶の件を、判明した事実を基に少し書き換えています。2012-06-22

私の興味は蒸機が主体だったので、あまり西尾さんの記事に記憶がないのですが、紹介された485系電車特急の表紙は鮮明に覚えています。
 素晴らしい出会いがいろいろとあったのですね。うらやましく思いました。northerns484

【追記4】北市正弘氏より電話があって、荒崎良徳氏が2014年10月、亡くなられたとのこと。1928年のお生まれなので、85歳か86歳。2015-01-29 キラリという方のブログによれば、亡くなられた日付は10月13日で、85歳だったとのこと。2015-06-16

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よしなし事」カテゴリの記事

コメント

ワークスK様
貴サイトをありがたく拝見しております。
 西尾さんの訃に接し、大変残念に思いました。
 私がTMSを毎号買い始めたのは1970年2月号からで、西尾さんは荒崎さんとともに、小学生だった私のヒーローでした。祖山線を行く485系の表紙はスクラッチビルドの頂点に立つものだと今でも思います。
 栗生様のレイアウトを紹介した「走れコータロー!」というコピーは、堅物イメージのTMSでは逸格でしたが、前年の「作って作ってまた作る 旧型国電狂ここにあり」という見出しもまた、正月号とはいえ、異色だったと今にして思います。私が「城下町」という言葉を知ったのも、小柳ルミ子の唄以前の、この70年1月号でした。
 シルやヘッダーは鋏で切りだす、とか、鉋は親父に叩き込まれた、レタリングは正座してから書きこむ等々、西尾さんの工芸的な作風には、加賀百万石の伝統が息づいていたように思います。西尾さんに直接お目にかかったことはありませんが、90年頃、北陸放送に何度かお邪魔する機会があり、安藤さんという方から、あんなに手が器用な人はいない、と伺ったことがありました。
 西尾さん・高田さんの作品は、77年頃、東京・池袋の西武百貨店模型売り場で展示されたのを見ました。ヘッドライトは、挽物パーツのライト面に銀でなく白を塗ってあったのを記憶しています。草創期のエコーモデルの「店内で展示中」という広告も覚えています。
 じくばこ会の小原さんが、サイトで西尾さんのクハ485を保有している、と書かれています。散逸する前に、作品群をもう一度拝見したいものだと思っています。
 末筆ながら、栗生様のご健勝と貴サイトのご発展をお祈りしております。

>>コメントありがとうございました。確かにTMS誌上だけでは伝わり難い雰囲気というものがありますね。話題にされた262号の表紙を追加しておきました。彼の地の活動がさらに発展することを祈っております。【ワークスK】

投稿: もとまち | 2012/06/23 23:58

こんにちは
西尾博保さんの名前で検索していたらこちらに偶然たどり着きました。
中を見てびっくりしました。
懐かしい写真が載っているではないですか。
まだ二十歳の頃です。
西尾さんの隣の隣がボクです。

あの頃は荒崎さんや西尾さんが中心となって「じくばこ会」を立ち上げた当時です。
北国講堂でのじくばこ会の設立祝賀運転会で、一番列車を牽いたのは私のC56でした。
前に日章旗を付けお召し列車みたいでした。

その後ボクは就職で故郷金沢を離れ勤務地を転々としている間に、いろんな事情があってじくばこ会は解散になっていました。
西尾さんは亡くなる直前まで我々の運転会や我が家での運転会の時でもカメラや埃にまみれた(失礼!)かつてTMS誌上を賑わした名車を持参されわいわいがやがや皆で楽しんでいました。
氏からいただいた車両やパーツ、塗料、記念切符など今となっては懐かしい大事なものになってしまいました。
葬儀の会場にも氏の旧国が飾られていました。

あまりの偶然と懐かしさでついつい長文になってしまいました。

>>コメント、ありがとうございます。私は金沢に5年しかいませんでしたから、詳しい事情は判りません。是非、当地の趣味を、じくばこ会時代以上に盛り上げていただきたいと、心より願っています【ワークスK】

投稿: 石鉄 | 2012/11/17 06:58

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