伊藤剛さんの4-6-2スノー・ホワイト
「好きな写真を持って帰れ」と言われたけれど、地元の方を差し置いてというわけにもいかない。残った内から記憶にあるものをと選んでみたのがスノー・ホワイト、白雪姫号と名付けられたOゲージのアメリカ型パシフィック機だ。
これは鉄道模型趣味1953年5月号に掲載され、特集シリーズ8「高級モデル・ノート」(1959年刊、1982年再版)にも再録されているから、御存じの方も多いことだろう。
写真は同じでも、当時の印刷よりは鮮明にスキャンできたはずなので、先輩方には懐かしく、また初めて目にする方には現代でも十分に通用するその迫力を感じとってもらえるはずだ。
モデル自体はカツミ製とのことだから、1950年にIMP(International Model Products)向けとして輸出されたUSRA Light Pacificとなるが、オキュパイド・ジャパンの粗悪品時代なので、自在に走るようにするために、自作と同等の手が掛かっている。
ちなみに同製品は、TMS誌の1950年1月号に写真無しの広告が出たのみだ。また"とれいん"誌では1995年7月号p43と、2006年12月号p41にコレクションが紹介されている。
キャブ屋根やテンダー、さらには煙室扉といわず、給水口までを開放できるところは、ギミックを凝られるゴーさんならではの造作といえる。
鉄道名はDreamland Pacificで、車番の5304は4番目に完成した1953年の作品とのこと。マークはC&O風を気取っている。
上の写真で、サイドに出っ張ったノブが問題である。これを差し込んで指で回すと、ウォームの噛み合いが外れて、機関車を手で押せば、フリーで動くようになる。
その辺りの機構を判り易く描いた画が次だ。中尾豊さんの手になり、ここに描き込まれたメガネをかけた人物がNY、その人である。ゴーさんが描かれたポンチ画を基にしているとのことだが、印刷用に墨入れしなければならないとなると、こちらも名人技と言わざるを得ない。
さて、この作品こそが、アマチュアが旋盤を使わずにタイヤ絶縁をやった最初の(唯一?の)機関車ということになっている。
なんと、爪楊枝とセメダインを使ったというのだから、現代の連中が信じられる話ではない。このあたりは、掲示板ログ(発言番号523以降)をご覧いただきたい。
レイアウト上の写真は「中津川機関区での出張展示」とのことだ。
次は、ご家族と一緒に写された写真で、テンダーを持ち上げている機関車がスノーホワイト、その右が僚機のシンデレラの様だ。コンクール会場と見えるから、TMS誌NMRCスペシャル号1998年刊を紐解けば、1953年8月に名古屋駅前の商工館ホールでの一コマと推察できる。
その模様はTMS誌同年11月号に掲載されていて、BB箱型の電気機関車は青木茂という方のED42、2軸の路面電車は池田葵一氏の名古屋市電300型ということになる。
ゴーさんは現在、川崎市へ転居されている由。しかし、まだまだ矍鑠とされている様は、自分も同じ齢まで‥‥と思わずにはおれない気迫を感じた一刻だった。
右は2007年12月で、一緒にカメラに収まっていただいたときのもの。テーブルの上は新作の8620で、ディスプレー用として発売されたモデルに徹底的に手を入れたとのことだった。動力化はいうに及ばず、急曲線を通すためにコネクティング・ロッドが伸縮するなどという言語道断の機構を、持参されたドライバーで分解して見せていただいているところである。
【追記】御子息から2014年24日に亡くなられたとお便りを頂戴した。94歳だった由。そのお葉書に貼られた切手に、昭和62年1987年発行の「さようなら鉄道郵便記念」とあって、特定郵便局長を務められたご経歴と合わせて、まことに氏に相応しい趣向だと感じ入った次第。ご冥福をお祈りする。2014-07-11
追悼記事は「伊藤剛さんの偲んで」2014-07-24
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