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2014/06/30

京阪びわこ号の台車流転と

Train201407p22
とれいん誌2014年7月号p22に掲載された63号車で両端台車付

 さて、とれいん誌2014年7月号。大津線500型の記事。
 当方が驚いたのは、その22頁。びわこ号の写真。場所は錦織(にしごおり)車庫で、なんと台車を履いている。右は1975年4月。【画像はクリックで拡大】

 おっ、これは廃車直後の貴重なショットか!
 そう。この63号車は、両端の台車がずっと無かった。

 60型は連接車だから1編成に車体が2つで、台車は3つ。全部で3編成なので、台車は3×3の9つ。そのうちの8つを、京阪線の700系に流用したわけ。
 そして余った中間台車1つだけが残っていた。

 ちなみに、63号車の廃車は1970年10月5日で、その両端2つの台車を使った760号車の竣功が翌1971年1月26日。改造の手間が必要だから、63号車が完全な状態だったのは、ほんのわずか。

 ところが、写真に添えられていた撮影日は1979年3月7日。
 あれっ? 間違っている?
 と、思ったのもつかの間、直ぐに理解した。その後、台車を譲った760号車が廃車されて、それが戻ったときだったのだ。

 詳しくいうと、760号車が冷房改造されて新1000系に生まれ変わったということ。そこで台車を新品に履き替えたから、不要となった旧品が元の持ち主に返されたわけ。
 760号車の廃車が1977年12月12日で、63号車は1980年3月5日に枚方パークで展示となっている。復元工事期間を差し引けば、こういう姿だった日数はさらに短くなる。(データは西野信一氏にお聞きしたもので、ネット上で得られるものとは異なる)

 そんなメールを新宮琢哉氏にお送りしたら、他のショットをお送りいただいた。公開しても良いとのことなのでご覧いただこう。

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 注目してほしいところは、この両端台車の、オリジナルから大幅に改造された姿。枚方パークでの展示は、このまま。ただし、760号車時代からは、オイルダンパーが切り取られていた。

 そして、当方がイニシアチブを取ることができた1996年の改修工事。
 一番大きな違和感は、イコライザーの太さ。単なる厚鋼板の切抜きだから、ガス溶断機を使えば簡単に細くできる。
 台車職場の近藤汎輝(ひろてる)氏に、そう頼んだ。「あとは程ほど」と言ったはずなのに、日に日に原型に近くなっていく。管理職的には工程管理や会計処理が脳裏をヨギったけれど、人材育成の面では大喝采。
 クラスプ・ブレーキをシングルに。枕バネを板バネらしく。軸箱をプレーン風に。端梁補強を切除などなど。さらにスポーク車輪まで入手して、結果は皆さんご存知の通り。

 そんな仕上がりを見て、寝屋川市は直ぐにでも動かせると勘違いしたのだろう。復活プロジェクトの最初の報道発表は、なんと「本線走行」。
 台車はダミーだし、第一、そんなことは技術的に不可能。これについては、以前に書いた

 市役所の人間はいざ知らず、電車屋が加担していたのだから情けない。

 その後、「車庫内の自力走行」へトーンダウンしたのは、当たり前。
 でも風の便りに曰く、某鉄道から吊掛式の台車を入手と。それを聞いて、「駄目だ。こりゃ」。そんなものを活かすためには、集電系から制御系、そして最後の接地まで、完璧に復元して、さらに維持する必要がある。構内入換車と同じでも、それを20年、40年と動かし続けなければならない。

 そして今回、寝屋川市のサイトを訪れたら、その「構内入換車で押す」とあった。いままでと何ら変わらない。とりあえず、繕った形。大山鳴動してネズミ一匹。寄付金が思うように集まらなかったこともあるのだろう。

 隠居ジジイとしては、何をやっているんだと言いたい。寝屋川市側の思惑に振り回された面があったかもしれない。しかし、それに同調して外観から安直に判断したのではなかったか。経験や知識が無いことを率直に自覚して、あらゆる方面に探求の触手を伸ばせば、事前に予測できた。復元工事の記録は部内に残っている。外部資料でも、とれいん誌1996年7月号で仔細が分かる。

 なお、人間を乗せて走らすときは、引戸にくれぐれも気を付けてほしい。びわこ号に戸閉保安などという仕組みは無いのだから。って、それくらいは判っているか。

保存は、かくありきって

 今年の3月、京阪ではテレビカー3505号車を復元展示した。京阪本線樟葉(くずは)駅下車すぐの、新装開店なった、くずはモール。

 これは概ね好評を持って迎えられたようだ。
 詳しいファンからは、「いったい、どの時代としているのか」という疑問が多かった。工期とか費用対効果を考えると、難しい面がある。ざっと見まわした限りでは、よくやっている。そりゃあ一部に見過ごした怠慢はあるけれど。

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特別に撮影したと思しき映像を使ってのシミュレーター。正面のみならず、右サイドに流れる景色が、乗客気分を味わえて秀逸。

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来場者が引きも切らない。モデル化したい向きには貴重なアングル多し。妻面の転落防止ホロは撤去。

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驚いたのは座席。枕部分が一体。モケットを含めてオリジナルの様でいて、更新後風でもある。どうなっているのだろう。

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妻面は金箔入り内張りを復元って、まさか‥‥。ただし、側面と天井面は更新後。休憩場所としても使われている様子

 こういう復元工事は、部外者にすれば、ここは違う、あれも異なるとなりがち。

 一方、当事者にとっては単純。できることをやるだけ。
 想像し難いことは、維持と安全。実働時代と違ってバックアップ体制が無いのだから、それなりの材質と構造が必要だし、乗客と見学者とでは行動が異なる。

 産業遺産という概念がどういうものかは知らないけれど、「何を残すか」という問いへの答えは、意外と難しい。世の中が大きく変化しているのだ。当時の部品や材料は入手できず、技術は廃れている。
 例えば塗料。3000系が生まれたときにはハイソリッド・ラッカー。ところが今は、ウレタンか。静電自動塗装機を使う前提なら、そうなる。
 例えば、ネジ。製造時は旧JISネジで、今はISOネジ。部品手配と工具を考えたら、そうなる。
 これらは、作業の労働安全と直結する。

 正解は、確とは見えない。是々非々。知識や情報を集約して、工夫に工夫を重ね、アイデアを絞り出す。
 もちろんモノではなくても、図面や文書という手はある。そう、資料が大事。我々の紙の時代では、場所を取るという物理的な理由や、興味も無いし面倒だからと捨てられることが多かった。もちろん、地道にやっていた連中もいた。今は、技術的には良い環境。ほぼ無制限。

 びわこ号の図面だって、残ってはいなかった。1996年のときに探し回った結果、偶然と好意が重なって、たまたま入手できただけ。あって当たり前、なんて考えたら大間違い。

 打ち合わせの議事録を軽視しがちだけれど、これ大変に重要。背景や理由が事細かに書いてある。キチンと整理して、必要になったときに備える。次のケースとかトラブル。さらには復元のときに役に立つ。そして、経緯を知れば、変更改変を自信を持って行える。そう、温故知新。あぁぁあ、隠居ジジイは抹香臭い。

 3月の、くずはモールの新装開店については、掲示板

 昨年、2013年10月に寝屋川市駅で見聞した、びわこ号復活プロジェクトのキャンペーンも掲示板。今年の秋が楽しみだ。

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