京阪びわこ号の連接構造は(2)
The articurated constraction of the Keihan's Biwako trains, part 2: from Nigel Gresley to Biwako
この21日、レイル103号が発売された(オフィシャルHP)。なんと、"びわこ号"特集。全100頁の内、半分の50ページというから驚き。
グラフページの、天満橋での停車中や、複々線を疾走する姿は、初めて目にする。1935年頃という守口工場での台車単体も凄い。こんな写真はどうやって発掘できたのだろうか。
いやいや、「登場の謎」を追った中山嘉彦氏の一文こそ目を剥く。なにせ注記と参考文献だけに5ページも費やされているのだから。
要は、"びわこ号"は鉄道会社の戦略の一環という説と、連接構造は車両課長の米国視察の結果という風聞が夫々正しいのかという疑問を、資料を探し出して検証する思索と証拠の積み重ね。読み物というよりは、学術論文。
もちろん当方の興味は連接構造。
英国の蒸機技術者として知られるナイジェル・グレズリーの名前が出てきて仰天。【画像はクリックで拡大】
"びわこ号"連接部の図面はp42。
以前にこのブログでお見せした「日本車両式関節電車連結器」(次図)と主構造が一緒で、寸法が少し異なる。
技術的な特徴は、連結機構と台車心皿が共に球面となっていること。特に両車体の連結に関わる球面が重要で、空隙皆無の結合を維持できて、緩衝器を不要としている。
これこそが連接車の根幹で、当たり前と考えていたのだけれど、記事には、そうではないフォーク・ピン結合のものの特許をグレズリーが取得とあった。しかも、1902年に連接車を発案したヴィルヘレム・ヤーコプスも同じだという。
奇妙な点は、これが1921年で、それ以前の1908年に同じグレズリーが球面式を出願していること。これは前記事のLondon & North Eastern鉄道LNERの客車用に相当する。その前身Great Northern Railwayの客貨車局長にグレズリーが1905年就任というのだから年代は合う。
ネットを検索すると、グレズリーの2つの特許が見つかった。ただしアメリカのもの。まずフォーク・ピン式(Google US1412053A)。
テキストはOCRでの誤変換が多くて理解不能。強引に解釈すれば、照合20のスプリングでピンを引っ張って連結の空隙を殺すということだろう。枕木方向の拘束は照合12と13の摺動で実現。さらに左車体の照合5aの上に、右車体の6aが乗り掛かり、その間を照合15から供給されたグリスで潤滑という具合か。フォークには車体荷重が掛からない。
記事にはこの図のFIG.3のみ掲載。
球面式の特許はアメリカでは1928年公開となっている(Google US1674778A)。記事に引用の英国特許はその20年前の1908年で、車体端梁が木材。
注目は台車心皿。"びわこ号"と同じ球面と見える。イギリス特許も同様。(記憶によれば、我が国での球心皿は、イングリッシュ・エレクトリック社製と、ED41、ED42という電機のみ。他社の連接車は不知)
勘繰ると、球面式がトラブったので、フォーク・ピン式を考案したのではないか。
緩衝機構の無い剛結合では、形状が急激に変化する部位に応力が集中し、繰り返しの衝撃荷重により疲労破壊を起こす。最初は大丈夫でも、年月が経つと割れる。空隙、ガタがあったら滅茶苦茶に危ない。空隙を無くしても強度と形状は大事。当時の鋳鋼の品質も問題だったことだろう。球面式の安全クサリと、フォーク・ピン式の車体補強部材が暗示的。
フォーク・ピン式を開発したけれど、球面式が本命とグレズリーは考えて、アメリカでも特許を取得しておいたという経緯か。
で、問題は、"びわこ号"のアイデアが、どこから来たのかということ。記事紹介のものを含めて今までに見聞できた欧米のものとは、似ていないことが気になる。
当方は、日本車輛がアメリカのGSC辺りの構造を翻案して、車体のストレスト・スキン構造と共に売り込んだと考えた。
ところが中山氏は、京阪が素案を作ってメーカー数社に打診し、それに応えたのが日車だったのでは、と言われた。根拠は、"びわこ号"(1934年)に先立つ1550型と1580型(1927-1928年)を、日車、汽車、藤永田、川車の4社が手掛けていること。さらに、世間の注目を集めるようにと経営者から強く求められたはずで、わが国最初の流線型だって、ためらうことなく決まっただろうとも……。
確かに当時の技術陣は、京阪線のロマンスカーや新京阪線のデイを続々と登場させていたのだから、実力は計り知れない。もし、グレズリーと"びわこ号"が直接結びつくのだったら愉快。
参考までに、マレーなどの蒸機の関節構造にはフォーク・ピン式しか見つけられていない。
さて、アメリカ型の読者の興味は、近代的なインターモーダル貨車の連接構造だろう。スケルトンカー用の図版が、the Car and Locomotive Cyclopedia 1984年版p324-325にあった。
次はその核心部分。直上図とは左右が反対。
右車体の荷重を受ける球面座と、推進力を伝える球面半円ブッシュがミソ。後者ではクサビで空隙を詰めている。推進力はクサビ、牽引力はピンで伝わるということ。もちろんこれは、フォーク・ピン式。台車は基本的に平心皿。右車体の球面座には連結器力が働かないように工夫されている。
連接車は、2両や3両の短編成ならいざ知らず、長大編成となれば連結器力が桁違いで、細心の設計と製造技術、それに保守体制が必須。それを忘れて、たぶんあちこちで……(笑)
ところで中山氏の記事の本幹は、京阪の直通戦略。京都市に対して“報奨金”を払い続けていた話は初耳。三条駅付近の地番割を解明してまで連絡線の経緯を探求というのは恐れ入った。
それと、京都市と京都府とは別の見地という点は、全く同感。当方の経験に照らすと、府の道路担当部署は建設省の出先機関のような気がしたものだった。
この記事、京阪ファンには勿論お薦め。必携と断言していい。さらに研究者には探索手法が参考になること請け合い。
なお、「グレズリー」は昔、「グレスレー」と書いた。現地音に倣った結果なんだろう。クマの映画は「グリズリー」。
守口工場の台車単体写真は、新造時だったら1934年8-9月頃。台車を分解しての整備なら2年毎検査となる1936年だろうか。
【追記2】この号についての編集者のコメント>>[モデラーな日々]
【追記1】大津と京都を結ぶ交通路として、京阪大津線が大きな役割を担っていたことは、現在では想像できないことかもしれない。国鉄=JRの駅が、山科、大津、膳所、石山と存在しているのだから、曲がりくねって駅の多い大津線に対抗できるはずがないと思われるはずだ。
ところが、江戸時代からの旧東海道筋という人の結びつきと、京都の繁華街が四条界隈だったという条件を重ねあわせると、1970年代までは今とは違った様相を呈していた。
次は、1979年の運行系統で、石山寺から三条まで直通の急行と準急が運行していたことが知れる(鉄道ピクトリアル誌同年8月号p47)。
区間制を採用していた運賃が、三条・四条間を含んでいた事実もある(1980年刊「京阪70年の歩み」p376、京阪線は対キロ区間制)。
もちろん、琵琶湖上観光や、江若鉄道との連絡もあった。
そして、1974年に湖西線の開業(江若廃止)、1980年に京都駅前地下街ポルタ開業、1981年に京都市交烏丸線開業(京都駅と四条が直結)と続いた。
右は、ある筋からいただいた立命館大学鉄道研究会の会報。「ポイント」という誌名の第19号1984年11月発行で、テーマが京津線。当時は京都市交東西線の計画が動き出していたし、関心の的だったのだろう。今読むと、輸送力がどうのこうのと、今昔の感がある。2017-07-26
【追記3】この中山嘉彦氏の記事が鉄道友の会の「島秀雄記念優秀著作賞」に選ばれた(鉄道友の会HP)。下は"とれいん"誌2018年12月号の広告。2018-11-20 授賞式の様子はモデラーな日々。2018-11-29
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681 | 2017/07/22 | 京阪びわこ号の連接構造は(2) |
533 | 2011/09/16 | 京阪びわこ号の連接構造は(1) |
532 | 2011/09/14 | 京阪びわこ号が連接車となった理由 |
621 | 2014/06/30 | 京阪びわこ号の台車流転と |
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コメント
中山氏の本職は大学の経済学部教授なので、論文はお手の物と思います。
3年ほど前、某車庫の見学会をご一緒した後、帰るために向かった空港リムジンバスの車中で、びわこ号を調査している話をされました。伺うとかなりあちこち調べておいでで、内容も知らない事ばかりで驚きました。
特集号でよく執筆されておいでなので、その月刊誌に発表するのかを尋ねたら、もう少しと言われ、ようやくそれがまとまったものと思います。
>>鉄道友の会阪神支部の世話もされておられるのですね。精力的なご活動に畏敬の念を禁じえません【ワークスK】
投稿: とやまあきひこ | 2017/07/23 14:18
本は買ってあったが、長い記事なので、ここ二日ほどで、漸く読みました、
中山氏の論考は緻密ではあるが、欲張りすぎでちょいと読み難い印象がある。京阪の路線・運転史、連接車の歴史については、それぞれ単独の記事とした方が、良いように感じた。内容を「びわこ号」に絞った方が、読者は判り易いのではなかろうか。
北米の連接車について纏まった記事としては、英国で古くから発行されている“Modern Tramway”誌の1966年の号に4回連載で、E. Harper Charltonと云う人が“Articulated Cars of North America”を書いている。この記事は後に、一冊に纏められて再刊された。
雑誌の性格上、電車のみを対象とし、客車や貨車の連接車は含まない。これで却って的が絞られ、一読して米国の連接電車発達史が判る記事になっている。当時の業界紙(誌)や、技術書を参照するのも大切なことだが、大概のテーマは、誰かが研究している。そこからスタートして、遡る方が、時間の節約になると思うのだが、如何だろうか
発達史的には、路面電車用の所謂「駕篭かき」電車が先行するが、びわこ号は高速電車であって、Interurbanや、地下鉄の電車を参考にしたのに間違いない。従い重要なのは、時期的にもW.B.&Aと、Milwaukee Electric(TM)の連接車となる。当然に中山氏も参考文献に、挙げているのだが、書誌情報に問題がある。
洋書籍・洋論文の中[()内引用番号]にある次の2冊:
(77)TM The Milwaukee Electric Railway の出版社として出ているのは、印刷所。正しくは、CERAのBulletin 112
(88)Every Hour on the Hour (W.B.&Aの本) の出版社として出ているのも、印刷所。正しくは、編集したLeRoy O. King, Jr.の自費出版本である。 瑣末なことと思われるかもしれないが、彼は親子2代の鉄道ファンで、立派な研究家だった。刊行した本は3冊程だが、いずれも内容・造本とも素晴らしい。8年前に亡くなったが、私の大切な友人だったので、彼の名誉の為に、この場を拝借し、お知らせした次第。
他にも(79)Street Cars of Boston Vol.5 は、多くの米国の電気鉄道の本を出版した、Harold E. Coxさんの刊行した本だが、言及がない。
これらの著作が参照、紹介されたのは喜ばしい。しかし出版者は異国とは云え、我らの仲間の鉄道ファンであるだけに、彼等について、記述がないのは残念である。
>>コメント、ありがとうございます。私の興味は連接構造なのですけれど、言及頂いた資料の中にそれの判るものがありますか?【ワークスK】
投稿: 宮崎 繁幹 | 2017/08/24 21:25