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2018/05/16

アメリカの鉄道の失われた1980年代(1)

The lost decade 1980s for U.S. freight car production, part 1: the starting point of the question was a stady of BN grain hopper cars

 その“謎”に出くわしたのは2000年頃だったと思う。
 バーリントン・ノーザン鉄道BNのカバードホッパーを調べていて、奇妙なことに気が付いた。私が拘っているBNは、その前身のGNやNP、CB&Q時代の1960年代から大量の穀物輸送用ホッパー貨車を増備した。俗にいう”穀物狂時代”で、BN発足の1970年以降も続く。

 ところが、1980年代に入った途端に、ピタリと新造が無くなる。そして、1990年代に再開される。これは一体、どういうことなのか。次の図をご覧いただきたい。穀物=グレイン用の各型式を製造年で並べている。【画像はクリックで拡大】

Evolutiongh_2

 貨車の発注は単発なので、途中で抜ける年があったり両数の多寡があるけれど、一応こんな感じ。1969年まではGN等が購入したもの。1995年にはAT&SFと合併してBNSFとなったので、それまでの25年間に存在したものである。

 モデルで発売される製品はかつてはメジャーな型式ばかりだった。それが、ここへきて抜けていた型式が次々と製品化されて、どれを買えばよいのかを整理するという目的も、この図にはあった。すべての製品がBNグリーンを発売してくれるとは限らないので、まあ塗り替える算段ということ。
 Tangent ScaleのPS-2CD 4000や、AtlasのThrall 4750、ExactRailのEvans 4780がマイナーなことがお解かりいただけるだろう。なお、数字は内容積をcubic foot=立方フィートで表している。

 メインはACF=アメリカン・カー&ファンドリー社と、P-S=プルマン・スタンダード社。
 まず1961年にACF社が最初のセンターフローCF 3980を出す。斬新的な円筒形=シリンドリカルである。すかさず翌1962年にはP-S社もセンターデスチャージと銘打ってPS-2CD 4000を開発する。こちらは従来型のリブサイドではあるが、車体断面が四角形だから、長さ当たりの容積効率で勝る。
 そこでACF社はハイキューブCF 4650で対抗する。


ACF CF4650 late-production (Atlas)

 P-S社は構造の見直しを行って"ジャンボ"を謳いPS-2CD 4427、さらに4740、4750と改良を続ける。1970年代に入るとFMC社やThrall社、Evans社が追随するというストーリーが読み取れる。主流がリブサイドとなったということは、大量生産によって製造コストが下がるのかもしれない。


P-S PS-2CD4750 (InterMountain)

 そして、1980年代に入ると新造が止まってしまう。正確には1982年からゼロとなった。
 セコハン車は買い入れているものの、新車は無し。調べると、UPも新造が無くなっている。絶対とはいえないが、他の鉄道も同じ様子。ただし、カナダの鉄道は別。
 しかも、この1980年代における既存車の塗替えでは鉄道ロゴが描かれず、必要最小限のデータだけという無味乾燥なものとなった。ファンは"logoless scheme"と呼ぶ。


FMC4700 (Athearn RTR, ex-MDC)

 なかで1981年に、なんとP-S社が廃業してしまう。1979年には例の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が出版され、1980年代が「日本の10年」だったにしても、あまりに突然だ。

 アメリカの農業に何が起こったのだろう。1960年代の後半に受けた社会科の授業で覚えた単語は、コットンベルトとかコーンベルト、冬小麦に春小麦だった。解説書を探した。

Grainbooks

 茅野信行著「アメリカの穀物輸出と穀物メジャーの発展、改訂版」、それに矢ヶ崎典隆・斎藤功・菅野峰明編著「アメリカ大平原-食糧基地の形成と持続性-増補版」という2冊を買った。それぞれ2,980円と3,500円だから、フトコロには痛い。

 ここに出てくる用語は、シカゴ穀物取引所、穀物メジャー、ソ連アフガン戦争、穀物禁輸、オガララ帯水層、センターピボット地下水灌漑などなど、教わらなかったものばかり。
 でも、穀物ホッパーの盛衰に結びつく記述は見あたらない。

 再びBNが新造を再開したのは1990年。P-S社の設計を踏襲したトリニティ社の4750cu.ft.で、加えて1992、1993、1995年に各々1,000両という凄まじさだった。BNSFとなった1996年以降は把握できていない。
 1990年代の塗装スキームではロゴが復活する。1970年代のものより少し小振りとなって"small logo scheme"と呼ばれる。


Thrall4750 (Atlas)

【追記】1990年代のグレイン・ホッパー事情の解説を見つけた。MRHフォーラムでScott Chatfieldという方の発言。慣用句が多くて難解だが、次のような要約でどうだろうか。2020-08-18

鉄道は、穀物業者やリース業者が保有する小規模な穀物ホッパー群を買いあさって集約輸送に務めた結果、1990年頃には穀物業者に配車日を保証できるようになった。さらに足りないとしてTrinity 4750cu.ft.タイプを新造した。一方、1995年1月に100トン車の制限が263,000ポンドから286,000ポンドへ拡大され、リブサイド(Trinity 5127cu.ft.)や、カーブドサイド(Gunderson 5188、NSC 5150、Trinity 5161)を大量に導入した。今日、BNSFやUP、NSは500,000ブッシェル(120両編成)単位で運用し、積込には大規模なエレベーターで数日を要する。

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