アメリカの鉄道の失われた1980年代(2)
The lost decade 1980s for U.S. freight car production, part 2: the Stagger's Act and the IPD program probably were not the only causes.
1980年代にBNのグレイン・ホッパー新造が途絶えた原因を探求していて、しばらくしてスタガーズ鉄道法Staggers Rail Actにたどり着いた。
それは1980年に成立した連邦法で、鉄道をがんじがらめに縛っていた規制が緩んで、息を吹き返す契機となった。
運賃を自由に決められるから、カバードホッパーを26両や52両の単位で運用すれば割引を適用するとか、大口顧客への優遇策の有様がRobert C. Del Grosso著"The Burlington Northern Railroad in 1993"に書かれている。
そう、需要は落ち込んでいないし、競争力も大幅にアップしたはずなのだ。【画像はクリックで拡大】
ところが、貨車全体でも新造数が極端に落ちたことが明らかになった。
"Car & Locomotive Cyclopedia"の1984年版と1997年版のデータを合成して1961年から95年までをグラフにしてみると、異様な状況が一目瞭然である。1979年に9万5650両だったものが、4年後の83年には5772両と激減している。たったの1/16だ。
これではプルマン・スタンダード社が廃業するのも無理はない。ACF社は、よくぞ生き残ったといえる。
その後、IPDボックスカー政策が影響していることも知った。
1970年代に起こったボックスカー不足を解消するために、大鉄道が共同でレールボックス社を立ち上げた一方で、ICCによって小鉄道に汎用ボックスカーの新製を促すIPDプログラムが実施された。これが異常な投資ブームを巻き起こして大量のボックスカーが投入された。ところが、根幹が貨車使用料の優遇策だったために、不利益を被った大鉄道から不満が出て、1980年には政策の撤回が決定されてしまった。
また、インターモーダル・コンテナ化が大きく絡んでいるとも考えられる。
FMC 50' boxcar, Savannah State Docks Railroad (MDC)
実は、こういうときのために買った本がある。
定価が99.95ドルもする北米鉄道百科事典"Encyclopedia of North American Railroads"2007年刊だ。ところが、これが役に立たない。IPDについての記述は見つからず、スタガーズ法はチンプンカンプン。アメリカ人にも理解できないのではないかと疑ってしまう。オンラインの無料ウィキペディアのほうが、自動翻訳を含めてはるかに使える。
唯一参考になるのが統計グラフなのだけれど、これも目盛りが粗い上に縦軸と横軸の数値が読み取りにくいというオザナリなもの。次の機関車と客貨車の年毎の在籍両数では、1980年代に急減していることの当たりがつくが、確実には読み取れない。車両製造業界なぞに歴史家は興味が無いのだろう。
機関車は、1970年代のオイルショックと排気ガス規制が影響しているはず。
貨車は、1980年代後半にカブースの廃止が進んだ。それにしても右肩“下がり”の程度が尋常ではない。
そして、ひょんなところに糸口を見つけた。ニューヨーク・エアブレーキ社についてのウィキペディア日本語版の記述である。
「1980年、連邦議会はスタガーズ鉄道法を可決し、鉄道産業の規制緩和を行った。この結果、鉄道車両の所有に対する減税が廃止され、新しい車両の発注とそれに伴うブレーキの発注は、1979年の96,000両から1983年の5,800両へ急減した」
これだ!
規制緩和の代償として従前の優遇減税を廃止というこの記述は、英語版からの単なる翻訳。どの程度の金額なのか、機関車は含まれるのかなど、具体的に知りたいと探ったが、残念ながらこれ以上は分からない。我が国の税制でも、新造車に限り5年間は固定資産税を半減などという通勤電車の混雑解消策が実施されたから、似たようなものなのだろう。
ところで、これらのデータは20年以上も前のものだ。その後はどうなっているのだろう。当方に真剣さが足らないこともあって、たどり着けていない。
予想される大きな危惧は40年ルール。相互直通貨車は新造後40年以内に限るというAARの規則88である。暫時延長されているとはいうものの、1960-1970年代に大量に新造された貨車の代替えが始まっているはず。BN時代に活躍した型式が消えていくわけで趣味的には寂しいけれど、景気は良くなる。最新のスペックに統一されればシステム全体の競争力が強化される……。
■以上のことを10年ほど前に書き始めた。そのうち解説が出てくるだろうと考えていたのに、一向に気配が無い。もちろん当方の貧弱な語学力も災いしている。痺れを切らして今回、リライトしてオープンすることとした。独り相撲の感無きにしも非ずで、錯誤や誤認のご指摘をお願いしなければならない。
1950年代までの様子は教科書的な解説が多い。その後のことはかつて我が国の"とれいん"誌に先輩たちが研究成果を披露してくれていた。ただ、このところは途絶えている。知りたいことは山ほどある。皆さんの発表を切望する。
なお、用語についてはアメリカ型鉄道模型大辞典を御参照願いたい。当方の知りえた情報を逐次書き込んでいる。スタガーズ法 インセンティブ・パー・ディーム(IPD) レールボックス グレインホッパー センターフロー センターデスチャージ 40年ルール等々
【追記1】1980年代ではなくて1990年代となるけれど、その末期となる1998年の事件を、永瀬和彦氏がHPに「鉄道経営合理化の果てに」として書いていた。そう、1990年代は大合併など、別の進展。無手勝流に解釈すれば、「鉄道が投資対象の一つと認識され始めて、経営者が利益追求に走った時代」となる。そこが、1985-1995年にBNのCEOを務めたGerald Grinsteinが賞賛される所以かな。2018-05-31
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コメント
相変わらず内容が深いですねぇ。
ただ、この議論にあたっては、「なぜ貨車の新製が減ったのか」に加えて「そもそも投資はどこに行った」という観点が必要なのではないかと思います。
ぱっと検索して、ぱっと見た範囲ではありますが、多くの資料の中に、Staggers Act以前は、路盤の状態が極めて悪く、制限速度を抑えて運行せざるを得なかった、という記述があります。
このことは例えば、米国鉄道協会のHPにも触れられていますが、この中には、"Standing Derailment" -- 線路幅が広すぎて、静止したら、車輪が線路からはずれて落ち込むといこと? -- という信じられないような表現が書かれています。
ですので、以下は全く個人的な見解ですが、Staggers Actによってわずかながら将来の光が見えた鉄道会社は、その後の巻き返しのために、路盤の改良などのインフラ部分にお金を回したのでは、というのが私の仮説です。
以前私のBlogでも紹介しましたが、1970年代にPenn Centralが政府に窮状を訴えたビデオがあります。これを見てもいかに路盤がひどかったかが伝わってきます。
議論のきっかけになれば幸いです。
>>おお! それは慧眼です。投資家や経営者が、刹那的な利益を追い求めるのではなく、長期的な視野を持つに至ったということですね。それがごく一部の企業だけではなくて国家レベルで起こったわけです。一時的にワリを食う国民も再挑戦の道が開かれているからこそ執れる政策でしょうか【ワークスK】
投稿: northerns484 | 2018/05/18 08:12