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2018/05/22

転換クロスシートの探求(4)

Usage situation of walkover seats in the late 1920s in Japan

オロ35.jpg
1934年製スロ30850(オロ35) 2枚とも1974年交友社刊「100年の国鉄車両 2」から引用

 私の父親は平サラリーマンだったから一等車と二等車には無縁。もちろん私もそうで、どちらかといえば嫌悪感が先に立った。1969年に2等級制となってグリーン車と名前が変わったときには一億総中流の時代にふさわしいと考えたものだ。そのグリーン車には生涯で数度、事情があってお世話になった。ご想像どおり、いつも場違いな感じがして居心地が悪かった。
 1989年に“課長”というポストに就いたら、出張の際にグリーン車に乗る旅費が支給されるようになった。もちろん、真に受ける奴は変人で、その分はおおむね小遣いとなった。当方も模型や洋書に化けた。まあ、良い時代だった。【画像はクリックで拡大】

オロ35室内.jpg

 戦前の長距離2等車は転換クロスシートで、ボックスシートの3等車と較べればスコブる快適だったはずだ。乗車時間を考えると管理職の特権として実際に享受されていたのだろう。青帯車は月給取りの憧れだったかもしれない。役人連中や軍隊将校の需要もあったようだ。昨今の長距離列車は皆リクライニングだから、現代人には想像もできないことと思う。

 さて宮崎繁幹氏からは“ナイロ29500形”の出典もご教示いただいた。「日本国有鉄道百年史 第9巻」p474に次のように記されている。

‥‥大正8年度以降、車幅を約210ミリ、高さを約150ミリ増加した大型ボギー客車を製作することになった。‥‥2等車も2人掛け横手座席とすることができるようになり、近距離用には固定背ズリを、遠距離用には転換式背ズリを用いる方針とした。2座席の間隔は、前者が1920ミリで、後者が970ミリ、定員はいずれも52人であった。転換背ズリは大正10年に東京・下関間の急行用1・2等合造車(のちのナイロ29500形)が最初であり、大正13年からはこの方式の2等車も製作された(一部改変)」

 同じ記述が前回紹介の「鉄道技術発達史 第4篇」にもある。ただし、型式が「ナイロ20500」となっている。様々な検索を掛けてみれば、こちらが正解で、百年史が誤記と判断できる。引用というものは難しい。

 次の2枚は、固定座席がオロ36で、転換座席がオロ35という。乗車定員52人に違いが無いならば、調達コストなのだろう。

img429a.jpg

img428a.jpg

img437a.jpg戦前の客車座席を解説した「客貨車」石井貞次著もコピーしていただいた。1930年に初版で、1936年の再版だという。転換式はなんとリバーシブルとウォークオーバーとが区別して説かれている。ただし、我が国のどの車にどちらが採用されたかは不明で、単にアメリカで考案されたものの案内の風でもある。ちなみに、大多数を占めた3等車用ボックス座席については一切触れられていない。
 右はリバーシブル・カー・シート、原文のままだと「レヴァーシブルReversible」で「ヴ」は「ワ」に濁点。

img435a.jpg 左は「ウオルクオヴァーWalkover・シート」で「ヴ」は同じく「ワ」に濁点。記述のほとんどがイワズモガナの中で、いくつかが興味を引いた。
 1つは、「(これは)俗にローマンス・カーと称する客車に使用せる2人座席」としていること。
 さらに「これを随意に転換しえる様にすれば整頓を欠くのみならず破損せしむる場合多きをもって、Rにて鎖錠する装置を有するものがある」とした点である。

 背モタレについては次のように書く。

シート・バックはプレーン・バックPlain Backと称する全部平面のものと、上部に旅客の頭部を支持するために特に詰物をなして突起せしめしものとがある。後者をヘッド・ロールHead Roll、あるいはヘッド・レストHead Restというのである。この部分の汚損を防止すると同時に旅客に不快の感を与えざるよう、アンチマカッサーAntimacassarと称する白色の布をもってこれを蔽うのが普通である。これは必要に応じて取り外したるうえ清めることができるので清潔の点でより甚だ望ましきものである。

 アンチマカッサーなる語は初耳。「マッカーサー」ではない。weblio辞典によれば、「イスの背おおい 《19 世紀の英国でマカサ油の整髪によるイスの汚れを防ぐために用いられた》」。マカサ油は英辞郎で「マカッサル油 《19世紀にイギリスで大流行した育毛剤》」とのこと。当時の日本人も使ったのだろうか。

img436a.jpg こちらのシートは動作が説明されている。

1はシートバック・アームにして、シートバックは上部からスリット2を滑らしてはめ込むことができる。今シートバックを矢の方向に動かすときは、このアームは8のガイドの上を滑ると同時にアームの下端は3のごとく曲線をなすをもって4のリンクの上端を矢の方向に動かすこととなる。4のリンクは中心にてスピンドル5に固定されてあるをもってこれを中心として下端は矢の方向と反対に動くのである。これは6に連結せるをもって、6は同様に矢の方向と反対に滑動する。
 このスライドは7にてシートクッションの底部に固定せらるるをもって、クッションはシートバックと反対の方向に動くのである。なお5のスピンドルが回転すると同時にギアの関係にてフットレスト11のロッカー10の上端が矢の方向と反対に動き、フットレスト11は矢の方向に動くのである。このシートバックの位置を固定する装置は、第58図の下部にあらわせるごとくリンク4の前側に12のごとき孔を有するをもって、これにボルトがスプリングの力にてはまり込むのである。
(一部改変)

 わかるかな? 第57図と第58図の照号は一致しない。
 現代の4節回転連鎖(リンク)式と較べると理解し易い。要は、背モタレの回転実中心を床上面とした関係でその前後の動き代が足りない。よって座フトンをそれと反対方向にリンクで動かす。座フトンの傾斜はガイドで変えると読める(変えないかもしれない)。
 こんなスライドが多い構造は機構学的には落第。製造コストがバカにならないし、耐久性は皆無‥‥って言い過ぎか。たぶんこれは特許のカタマリ。輸入品だろう。

 時系列に並べると、1921年(大正10年)がナイロ20500、1927年(昭和2年)が京阪600、そして1930年(昭和5年)にこの石井本が出版だから、両者にはこの機構が使われたと考えるのが自然か。

 よわった。振出しに戻ってしまった。私が馴染んだ転クロはいったい、いつ、だれが発明したのだろう。

京阪の座席を知りたいと探したら、「京阪ロマンスカー史(下)」エリエイ2010年刊レイル74(出版元HP)に600型(1550型)の写真と図面があった。しかし、機構は分からない。

京阪600.jpg

img434b.jpg

【追記】このスタイルの転クロを見つけた(ブログ「黒鉄重工」)。場所は、カナダ・アルバータ州カルガリのHeritage Park Historical Village、Canadian Pacific 141なる1907年製客車とのこと。座フトンが中心を外している点に注目。表地はたぶん籐編み(woven rattan)で夏季用行楽列車という用途にピッタリ。
 その下のモノクロ写真はCar Builders' Cyclopedia 1928年版掲載のHale & Killburn社製。座フトンが明らかに傾いている。Heywood-Wakefield社製も似たようなもの。2018-05-29

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コメント

マッカーサルはローズウッドに良く似た樹種の名前でもあります。ローズウッドよりは、少々木目が強い目に出て来る綺麗な木材です。要するに茶色い木なんですが、「アンチマッカーサル」と言う事で、ヘッドレスト部分が茶色く変色するのを防ぐための枕カバー的なモノ、と言う事じゃないかと思いますが違うかな?。育毛剤云々の方が正解だとは思いますので、蛇足のお目汚しと言う事でご容赦ください。

>>情報をありがとうございます。種々あるんですね。またお願いします【ワークスK】

投稿: 松本哲堂 | 2018/05/26 05:36

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