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2018/05/29

転換クロスシートの探求(5)

The link-type walkover seat introduced in Japan in the 1930s

Tenkuro1.jpg

 おおおっ! これぞ求めていた転クロ!
 またまた宮崎繁幹氏からお便りが届いて、開封したらこの図が出てきた。【画像はクリックで拡大】

 掲載の書物は「客貨車工学」、鉄道教育研究会著、交友社発行、昭和16年(1941年)初版、昭和18年(1943年)改訂第3版だという。

 以前にもお見せした1934年(昭和9年)製2等車オロ35の写真と見較べると、ヒジ掛けや枕の様子がそっくりだ。

オロ35室内.jpg

オロ35.jpg
1934年製スロ30850(オロ35) 2枚とも1974年交友社刊「100年の国鉄車両 2」から引用

 複雑なスライド式転クロを載せた石井貞次著「客貨車」が1930年の初版なので、リンク方式の導入はこの中間、1930年代前半ということになるか。“一応”、そういう結論にしておこう。まさかとは思うけど、我が国で発明された‥‥のか?

 なお、記述のほうは木ネジがどうのこうのと、現場での組立や補修の便を図っているので、その筋の本なのだろう。ファンに役に立つ部分は、「腰掛脚および腰掛受などのごとき金具類はすべて暗緑色焼付漆塗」というあたり。表地の色は不明。興味深い点は、背ズリフトンに“馬毛”を使っていること。どういう効能があるのだろう。全国の2等車に使えるほどの量が入手できたのか。

 3等腰掛の図も紹介する。説明に曰く、「背ズリは木で直立のものと、適当の傾斜をつけたものとがある。また近頃新製せられるものは全部背ズリをフトンにし裂地を貼ってある」。確かに木板直立には座った。木板傾斜は経験が無い。

Santo1e.jpg

 次は3等の座フトン。中に並んでいるコイルバネがポイント。現在でも基本は同じだろう。多くの方はご存じないはず。そういえば1988年頃だったか、コイルバネの当たる面にバネ網(ネット・スプリング)?とかいうもの張っていたのだけれど、製造中止になると聞いて大騒ぎをした。ただその結果の記憶が無い。

Zabuton1.jpg

 2等固定腰掛の説明は文言だけで、「(3等と異なるところは)腰掛脚およびヒジ掛け受は一つの鋳物でできている‥‥背ズリフトンに座ブトンと同じ鼓形バネを入れてある」というくらい。

どうしてこうも転クロにこだわるのかと自分でもイブかっていたら、いろいろと思い出してきた。すこし長くなるけれど、お暇な方のために一席。

 最初はどうも、先日お話しした児童向け図書の湘南電車80系のようだ。カッコイイと憬れたわけ。月日が経って他のものを知るうちにスカ線70系も同じスタイルだと気が付いた。もちろん新性能電車もよかったけれど、やはり正面2枚窓。ブルーとクリームの塗り分けが見馴れていた上田丸子電鉄と同じということも理由だったろう。サイドビューが湘南電車は鈍重だと感じるようになっていた。

Rf197011 スカ線を調べていれば32系とか42系を知ることとなる。とくに42系が狭窓をズラッと並べた2扉車で惚れた。ここで、これが関西から転属してきたことを知る。そしてちょうど鉄道ファン誌1970年11月号に「電車の競争はなやかなりし頃」などという記事が掲載された。狭軌というハンデもモノカワ、弱界磁で京都・大阪・神戸間の複々線を疾走したという文には痺れた。(表紙画像は「日本の古本屋」HPから引用)
 そして153系の新快速投入にはビックリ。おいおい急行用だぞ。そんなことをしていいのか‥‥というような話を同級生のイシイ君にしたら、「泊めてやるから見においで」と誘われた。お宅は阪急神戸線岡本駅の近くだった。

 出発したのは1973年の5月4日。金沢駅でお土産として「福梅」を買った。乗ったのは多分、急行立山。経由した米原でDD50を見たような気がする。大阪駅に着いたのは昼で、駅の食堂で鴨ナンバを食った。これはイシイ君のお勧め。美味かった。今から考えると、たぶんここで彼の魔法に掛かった。お目当ての新快速で京都まで戻るつもりだったのに、御堂筋線で淀屋橋へ連れて行かれた。

 お察しどおり京阪特急に乗り込んだ。確か、最後尾で車番は1920。ガラガラだった。位置は右側、すなわち山側の真ん中あたり。イシイ君は、やおら座席を引っ張って、すなわち転換して、向かい合わせとした。

 もちろんそれまでに転クロは知っていたし、新幹線で座った経験もあった。ただ、弄ったことが無かった。自分で前後に動かしてみて、これが学校で習ったばかりのリンク機構であることは直ぐに理解した。イシイ君は当方を前向きに座らせて、パイプ補助椅子のこととか、新しい3000系のこととかをしゃべっていたような気がする。こちらはリンクの倒れとか、背モタレの重さのことを考えていた。

 そして目的だった新快速は最終日、京都駅の次の写真だけに終わった。国鉄に117系が登場する6年前の3日間である。それから魔法はずっと解けていない・・・・。

関西旅行

【追記1】文中で言及した「ネットスプリング」が現在でも製造されていた。南美唄福祉工場というところ。そこに記してあるように、泉製作所という会社が製造をやめると言い出して対策を練っていたら、引き継ぐ工場が出てきた‥‥ということだったかな。ここだったのか。
 「使用頻度が高いため高度の耐久性が求められる通勤電車の座席」という点がミソ。

 馬毛はウィキペディア日本語版に項目が立っていた。「クッション、マットレスなどの詰め物」という用途を記している。他にもブラシや画筆、さらにバイオリンなどの弓の毛だという。そんなに多くを一体どこで生産しているのだろうか。2018-05-30

【追記2】鉄道写真のベテラン、野口昭雄氏の手になる「1970年代~80年代 関西の国鉄アルバム」が発売された。同氏は1945年に国鉄吹田工場に就職された経歴をお持ちで、今年90歳とのこと。そうなんだ。あの日この電車に乗っていれば……。2018-06-07

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